【米津玄師/眼福】の歌詞の意味を徹底解釈 | 「幸福」とは一体どんなものなのか
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
眼福という曲名の意味を考察
「眼福」とは、美しいものや貴重なものを目に入れることができた幸福のことを言います。
「目の保養」とも言い替えることが可能ですが、「お目にかかれた栄誉」と言った方がニュアンスの上で正しいような気がします。
そう頻繁に使われる言葉ではないので、ちょっとした喜びを言い表すには重過ぎる感があります。相当に奇跡的な光景に対して、あるいは心の底まで沁みる感動に対して、吊り合いの取れる表現です。
眼福の歌詞の意味を徹底解釈
1番
何にも役に立たないことばかり教えて欲しいや
あなたのそのくだらない話を灯りの麓で
今だけ全て見えない聞こえないふりして笑おうか
何にも役に立たないことばかり教えて欲しいや
ひいらぎの解釈何の役にも立たないことだけ話していて欲しい。
あなたのくだらない話を電灯の下で聞いていたい。
今だけは何もかも忘れて笑っていよう。
何の役にも立たないことだけ話していて欲しい。
主人公が「あなた」とおしゃべりしています。「くだらない話」の主体は「あなた」です。「教えて欲しい」と言っていることから、主人公が積極的に聞き役に徹していることがわかります。
「今だけ全て」知らんぷりして「笑おう」としているところを見ると、彼らは現状か近い将来に、何事か都合の悪い事態を認識しています。
主人公はそこから目を背け耳を塞いで、その上「何にも役に立たないことばかり」聞いていたいと言っていますから、事態に対処する意志がないようです。
あるいは、そもそも対処の仕様がないのかもしれません。
きっとあなたと私はいつまでも一緒にいられない
何か食べようか ここで話をしようか
ひいらぎの解釈きっとあなたと私はいつか離れ離れになる。
何か食べようか、それともここで話そうか。
主人公は「あなた」といつか別れることを予期しています。既に諦念が述べられていることも合わせて考えると、この別れは永久的か、それに近いものだと推察されます。
主人公にとって忌避すべき未来のはずですが、食事に行こうか会話を続けようかと、日常的な話に専念しています。このことから、回避の可能性は無いに等しいこと、主人公が「あなた」とのありきたりな時間に深い愛着を感じていることがわかります。
「そんじゃまたね 明日ね」
そんな風に今日を終えども
明日なんて見たこともないのにさ
随分あっけらかんとしてるわ
望むのは簡単だ あなたのいる未来が
ただこの目に映るくらいでいい
私はそれで眼福さ
ひいらぎの解釈「そんじゃまたね。明日ね」
そんな風に今日も終わる。
明日なんて来るはずがないのに
随分あっけらかんとしていられるものだ。
望むのは簡単なこと。
未来にあなたの姿があれば
私には眼福だ。
なんでもないように別れが交わされました。
「明日なんて見たこともない」との言葉から、主人公が未来に対して完全に後ろ向きな姿勢を取っているのがわかります。また、この部分は「明日」は訪れた瞬間に「今日」になるので永遠に訪れないと言う言葉遊びにも捉えられます。
「望むのは簡単だ」と言う一節は、主人公の「望」みが「簡単」なことだとの意味にも、「望む」だけならば「簡単だ」とも、読むことができます。いずれにせよ、「あなたのいる未来」を見たいと言う「私」の願いはとても儚いようです。
別れの理由については明示されていませんが、個人的な希望や努力では変えようのない強制力が働いているのは確かです。来る苦悩を知りながら「あっけらかんとして」いる彼らは、未来を受け入れていると言うよりは、抵抗を諦めて感情を麻痺させているように感じられます。
2番
何にも役に立たないことばかり教えて欲しいや
こうしてひっそりと時が進むまま死ねたら僥倖さ
雨が降り落ちはねる音を聞くあなたに寄り添って今
何にも役に立たないことばかり教えて欲しいや
ひいらぎの解釈何の役にも立たないことだけ話していて欲しい。
このまま静かに死ねたら幸せなのに。
雨音を聞きながら今あなたに寄り添っている。
何の役にも立たないことだけ話していて欲しい。
主人公は、眠るような老衰に似た最期を夢想しています。
「あなた」との離別を知らないまま、自分の死を自覚することさえないまま、人生が終わってしまえばいいと望んでいるようです。それ程までに「あなた」の存在は主人公にとって大きく、無力感と憂鬱が重たく感じられるのでしょう。
水の無いバスタブにふたり浸かり目を閉じている
雨が窓を突く ここで話をしようか
ひいらぎの解釈水の無いバスタブに二人で入り目を閉じている。
雨が窓を叩く。ここで話をしよう。
「水の無いバスタブ」からは無機質な冷たさが漂ってきます。狭い空間で「ふたり」は密着しているはずですが、「窓を突く」強い「雨」の音も相まって、人肌の温度が感じられません。
「きっと二人は 大丈夫さ」
子供みたいに笑う
その鼻先が頬を突いて笑う
言葉を捨ててまた笑う
望むのは簡単だ あなたのいる未来が
ただこの目に映るくらいでいい
私はそれで眼福さ
ひいらぎの解釈「きっと二人は大丈夫さ」
子供みたいに笑う。
あなたの鼻先が頬に触れて笑う。
喋るのを止めてまた笑う。
望むのは簡単なこと。
未来にあなたの姿があれば
私には眼福だ。
ここで初めて未来に対する前向きな意見が現れました。
しかし根拠は述べられず、ひたすら「笑う」ことと「子供みたいに」じゃれ合うこととで誤魔化している様子です。腹の底ではお互いに「大丈夫」と言う言葉が気休めに過ぎないことを理解しているのでしょう。
あえて「言葉を捨てて」つまり明確な意思疎通を止めて、「笑う」ことで空虚を埋めています。離別が避けられないのならばせめて、一緒に過ごせる時間だけは幸福を味わっていたいのかもしれません。
「そんじゃまたね 明日ね」
そんな風に今日を終えども
明日なんて見たこともないのにさ
随分あっけらかんとしてるわ
望むのは簡単だ あなたのいる未来が
ただこの目に映るくらいでいい
私はそれで眼福さ
ひいらぎの解釈「そんじゃまたね。明日ね」
そんな風に今日も終わる。
明日なんて来るはずがないのに
随分あっけらかんとしていられるものだ。
望むのは簡単なこと。
未来にあなたの姿があれば
私には眼福だ。
一度解釈したので割愛します。
私はそれで眼福さ
ひいらぎの解釈私には眼福だ。
一度解釈したので割愛します。