【ヨルシカ(n-buna)/メリュー】の歌詞の意味を徹底解釈 | 曲名の「メリュー」は何を意味するのか
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
メリューという曲名の意味を考察
「メリュー」という曲名にはどんな意味が込められているのでしょうか?
実はこの「メリュー」という言葉、日本語や英語では意味ある言葉としては存在していません。作者であるn-bunaさんからも具体的な説明は無いようなので断定はできませんが、おそらく造語ではないかと思われます。
歌詞を解釈していくとその姿が見えてきます。早速、歌詞の中身を解釈して行きましょう。
メリューの歌詞の意味を徹底解釈
1番
夕陽が落ちる様に胸が染まるので耳鳴りのような鼓動を隠してバスに乗った僕は言う 君は灰になって征くたとえばこんな言葉さえ失う言葉が僕に言えたら
まず、この曲には二人の登場人物が出てきます。
『僕』と『君』この二人は曲の中で対比的な存在として登場します。
心臓の音から耳を遠ざけようとしながらも生きている『僕』と灰になって征く=死んでしまうよなんて声をかけられてしまうくらいに死んでしまいそうな『君』この生と死を巡るお話がこの曲のテーマだと思います。
灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだもう声も出ないそれは僕じゃどうしようもなかったのだ
皆さんは「灯籠流し」ってご存知でしょうか?
「灯籠流し」はお盆時期に行われることが多い、灯籠を死者の魂に見立てて川などに流す、送り火の様な風習です。
ここでいう灯籠は死者、つまり先に死んでいってしまった人たちのことなのでしょう。灯籠がいっぱいの星の海は、その死者の魂が揺らめく死後の世界。つまり灯籠がいっぱいの星の海に心臓を投げたとは、自ら命を絶ってしまったという自殺のことではないでしょうか。
その自殺をしてしまう君に対して、僕はどうしようもなくそれを見つめることしか出来ませんでした。先ほどの歌詞の中で、僕は君に対して死んでしまうと声をかけることを敵わずにいました。
それは、僕自身が心臓の音から耳を遠ざける、つまり生から自身を遠ざける様な行為をしています。そんな自分に自殺を止めることなんて出来ないと、僕は思ったのではないでしょうか。
2番
悲しくもないし苦しくもないのに
辛いと思うだけ 辛いと思うだけ
古びたバス停の端傘を持った僕がいる
今でさえ埃を被った夜空の隅に足はつくのに
ひいらぎの解釈悲しくも、苦しくもないのに
ただただ辛いだけ
古びたバス停の端っこで、傘を持って立ち尽くす僕がいる
今はまだ夜空=死の海に足を踏み入れず、足をつけて立っているのに
ここで主人公は悲しくも、苦しくもないのにただただ辛いと漏らします。
頑張って生きてきたけど、辛いだけ。
そんな中で、僕はバス停で立ち尽くしています。
これまではバスに乗っていたのに、それに乗ることすら出来なくなっているのです。
僕はまだ地に足つけて立っている、生きているのに、ただ立ち尽くすことしか出来ない。
生きようと必死に頑張ってみたけれども、もう辛い。
ここで生きることを諦めてしまえばどんなに楽だろうか。
そんなことを思っているのではないでしょうか。
心臓が痛いから死んだふりの毎日を見なよ
もういっそ死のうと思えたなら僕はこうじゃなかったのだ
ひいらぎの解釈心臓が痛いなら、死んだふりで毎日生きようよ
もういっそ死んでしまえたら、こんな苦しまなくてもすむのに
もう死んでしまえたら楽なのに、そう思えない僕がいます。
ここに生として表現される『僕』の生への執着や執念が見え隠れしています。
死にそうになりながらも、その辛さから逃げるための手段として死んだふりを選ぶのです。
その一方で死んでしまえたら楽だという事実にも気づいています。
この生と死の狭間で僕は揺れ動いています。
どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか
どうせ死ぬくせに辛いなんて
だから愛さえないこんな世界の色に僕の唄を混ぜて
もうどうかしたいと思うくせに僕はどうもしないままで
ひいらぎの解釈どうせ死んでしまうのに、辛いなんて感情抱くわけないじゃないか
どうせ死んでしまうのに
だから愛なんてないこの世界に、僕の気持ちを織り交ぜて
どうにかしたいなんて思うけど
どうせ死んでしまうのだから、僕はどうにもしないままで
ここで先ほどの自身が気づいてしまった死んでしまったら楽だという事実について自問自答しています。
楽な死という結果はすぐ手に入ってしまう。それなのに辛いままなんておかしいじゃないか、と。
辛いのはどうしてなのか。それはこの世界に愛がないから。
愛のない世界の中で、僕が自分の気持ちを世界に落としてどうにかしたいと思っています。
でも、それも出来ず、どうしようもないと諦めてしまっています。
それだけこの生として表される『僕』は追い込まれてしまっているのでしょう。
あぁあ
灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだ
もう声も出ないから死んだふりなんてどうもなかったのに
僕もきっとこうで良かったのに
君がずっと遠く笑ったのだ
ひいらぎの解釈灯籠がいっぱいの星の海に僕は心臓を投げたんだ
もう助ける声を出すことも、この現状を変えることも出来ないから死んだふりして生きていても辛くなかった
『僕』も死んだふりで良かったと思っている
それなのに、死んだ『僕』を見て、『君』はそれを笑っていたんだ
ついに『僕』が死を選択します。
『君』を助ける声を出すことも、現状を変えることも出来ないから、生きていながら死んだふりをすることになんの辛さも感じていなかったと『僕』は言います。
実際に『僕』自身もそれで良かったと思っています。
それなのに、『僕』はその状況に耐えきれず、死を選択します。
どうして、『僕』は死を選んでしまったのでしょうか。
それは死んだふりして生きていても辛いという事実に気づいてしまったからです。
そのまま死んだふりして生きていても良かったのに。
死を選んだ『僕』を待っていたのは、先に死んでいった『君』の笑顔でした。
物語の世界には「メリーバッドエンド」というものがあります。
周囲から見ればバッドエンドであっても主人公にとってハッピーエンドである物語のことです。
この曲に出てくる『僕』と『君』にとっては、この結末がハッピーエンドだったのではないでしょうか?