【ヨルシカ/エルマ】の歌詞の意味を徹底解釈 | 初夏を彷彿とさせる美しい歌詞を徹底考察!
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
エルマの歌詞の意味を徹底解釈
1番
嘘つきなんて わかって 触れて
エルマ まだ まだ痛いよ
もうさよならだって歌って
暮れて夜が来るまで
解釈嘘つきだなんてわかっている。
エルマ。まだ君が忘れられないよ。
夜が来るまで「さよなら」と歌っている。
前提として覚えておいて欲しいことがあります。
「だから僕は音楽をやめた」の続きの楽曲である可能性が高いということです。つまり、エルマは主人公の前からすでにいなくなっています。なのでこの楽曲もエルマは主人公の前からいなくなっているとして解釈していきます。
また、「だから僕は音楽をやめた」の解釈をまだ読んでいない方は、一度目を通してからこの解釈を読んでいただけるとすんなり理解できるかと思います。
朝日の差す木漏れ日 僕とエルマ
まだ まだ眠いかい
初夏の初め近づく五月の森
解釈朝日の美しい朝。木陰で休む僕とエルマ。
「まだ眠いかい?」
初夏の初めが近づく五月の森のこと。
5月の少し涼しい朝に木陰でエルマと二人で休んでいるという情景が目に浮かんできますね。
5月の朝といえば空気が澄んでいて清々しい朝ですよね。エルマも5月の朝のように清々しい女性だということを言いたいのかもしれません。
歩きだした顔には花の雫
ほら 涙みたいだ
このまま欠伸をしよう
なんならまた椅子にでも座ろう
解釈歩き出した僕の顔には涙が一つ。
このまま欠伸をしてごまかそうか。
なんなら、少し歩くのをやめて休んでもいいかもしれない。
ここでは、主人公がエルマを失った悲しみを歌っています。
「なんならまた椅子にでも座ろう」という部分は、「エルマのいない人生を歩んでいる途中で、涙が止まらなくなったら休んでもいいじゃないか」というようなことを言っているのでしょう。
許せないことなんてないんだよ
君は優しくなんてなれる
解釈許せないことなんて君にはないだろうね。
「だから僕は音楽を辞めた」では主人公は幸せな人や充実している人に憎しみを覚えていました。
それとは対照に、「エルマは憎しみなんて感情はないだろうね」と問いかけているのです。
このまま何処かの遠い国で
浅い夏の隙間に寝そべったまま
涙も言葉も出ないままで
ただ夜の深さも知らないままで
解釈このままどこか遠くに行ってしまいたい。
初夏に寝そべったまま、エルマのことを思い出しながら
遠くの国というのは「八月、某、月明かり」にも出てきますし、もしかしたらスウェーデンなのかもしれません。(n-bunaさんも幼少期スウェーデンに住んでいたようです。)
ここの歌詞は凄く美しいですよね。もういないエルマを少しでも感じることができる初夏に、誰も自分を知っている人がいない遠い国でエルマを思いたいという純情な思いが感じられます。
2番
嘘つきなんて わかって 触れて
エルマ まだ まだ痛いよ
もうさよならだって歌って
暮れて夜が来るまで
解釈嘘つきなんてことはわかっている。エルマ君に触れていたいよ。
夜が来るまでさよならだって歌おう。
嘘つきというのは、「だから音楽を辞めた」でもあったように、「音楽(≒エルマ)を辞めたい」という主人公の気持ちが嘘であるということであると思います。
辛いことも苦しいことも
何も見えないならわからないし
塞いだ目閉じたままで逃げた
月明かりの道を歩く
解釈辛いという感情も苦しいという感情も目に見えないからわからないし。
現実から眼をそらして月明かりの道を歩いた。
”目に見えないから”という表現はn-bunaさんがよく使う表現です。準透明少年でも使われていますね。
準透明少年では「目に見えないものはないのと同じだ」と歌われています。この考えはこの楽曲でも同じなのではないでしょうか。つまり、主人公は眼を塞ぎ現実から逃げることで、辛いという感情や苦しいという感情をなかったことにしているのです。
狭い部屋も冷たい夜も
眠い昼も 寂しい朝も
さよならの言葉越しに君の顔を見てる
解釈君にさよならを言ってから、狭い部屋も冷たい夜も眠い昼も寂しい朝もやってきたんだよ。
「さよならの言葉越しに君の顔を見てる」という表現。これは、エルマとさよならを言ってから現実が虚しいものに変わってしまい、エルマを思い出してしまう主人公を表現しているのではないかと思われます。
このまま何処かの遠い国で
浅い夏の隙間に寝そべったまま
涙も言葉も出ないままで
ただ空の青さだけ見たままで
ただ君と終わりも知らないままで
解釈このままどこか遠くに行ってしまいたい。
初夏に寝そべったまま、エルマのことを思い出しながら
君がもういないことから目をそらして。
1番の歌詞とほぼ変わりませんが、「ただ夜の深さも知らないままで」が「ただ空の青さだけ見たままで」に変わっていますね。
これは、私的な解釈になりますが、一番ではエルマとの別れを受け入れていない状態で浅い夏の隙間に寝そべりたい。と言っていて、2番ではエルマとの別れを受け入れている状態で浅い夏の隙間に寝そべりたい。という違いだと思います。
この違いで主人公がエルマとの別れを受け入れたということを表現しているのだと思います。
嘘つきなんて わかって 触れて
エルマ まだ まだ痛いよ
もうさよならだって歌って
暮れて夜が来るまで
解釈嘘つきだなんてわかっている。
エルマ。まだ君が忘れられないよ。
夜が来るまで「さよなら」と歌っている。
エルマがいなくなったことを受け入れた主人公がこの歌詞を綴ると、言葉の重みが違いますね。
どうしてもエルマを忘れられない主人公が目に浮かびます。