【SEKAI NO OWARI/夜桜】の歌詞の意味を徹底解釈
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
夜桜という曲名の意味を考察
桜は日本の象徴とも言われる美しい花です。中でも夜桜は、花びらと宵闇とのコントラストが映えて格別に美しい景色を見せてくれます。
桜が花を咲かせる期間は短く、咲き始めから2週間ほどで散ってしまいます。そのことが美しさを際立たせるとともに、物悲しさや人生の儚さを思わせます。また、始まりと終わりを連想させ、未来永劫続くものなどないと教えてくれます。
SEKAI NO OWARIの「夜桜」も、すぐに散ってしまう桜の花に孤独や寂しさを重ね合わせ、和風なメロディーに乗せて歌われています。
歌詞の主人公は会いたい人を想っています。それは昔の恋人か、親友か、恩師か、明確には語られず、聴き手が自由に想像できるようになっています。かつては親しくしていた、特別な相手だったのに、いつの間にか交流が途絶えてしまったような誰か。そんな人に対して募る想いを、夜桜というモチーフに託されているのでしょう。
夜桜の歌詞の意味を徹底解釈
1番
春の匂いは前世の記憶のよう
思い出せないんだけど、少し懐かしいような
ここのところ夜がやけに長い気がする
貴方から連絡がないから
きっとそう思うんだろう
解釈春の暖かい空気に、遠い前世に思いを馳せる。
思い出すことなんてできないけど、ちょっと懐かしい気持ちになる。
春になったというのに、最近は夜を長く感じてしまう。
あなたと連絡できないから、
そんな風に感じてしまうんだと思う。
桜の咲く時期は、卒業や別れの季節です。
遠い過去の記憶が掘り起こされ、懐かしい気持ちになることが「遠い前世」に例えられています。
「貴方」との交流が時間を忘れるほど大切なものだったということも暗示されています。春の時季は、実際には夜の時間は短くなっているのですが、長く感じるということは「退屈」という意味だと思われます。交流が途絶えたことで、それが楽しくかけがえのないものだったのだと、主人公は気づいています。
あの時、僕らが数え切れぬほどあると、
思ってたこの春はもうあと何回来るんだろう
解釈あの頃、春は無数に巡ってくるものだと信じてたけど、
あと何回春を迎えられるんだろう。
いつの日か、この春を迎えることもできなくなると、主人公は限りある人生について考えます。この後に登場する、桜の花の儚さにつながっていきます。
貴方に出逢うまでは
もう少し強かった
一人がこんなに寂しいなんて
思わなかったんだ
解釈あなたと出会ってしまって、
僕は少し弱くなってしまったみたいだ。
ひとりでいることなんて平気だと思ってたのに…。
自分で自分を守れることが強さだ。そう思っていたのに、今ではこんなにも寂しい。ここでも、「貴方」がかけがえのない存在であることが示されます。
今すぐ貴方に会いたい
桜の花が散る前に
雨に堕ちていく儚さのように
短い其れだから
解釈すぐにでも、あなたに会いたくてたまらない。
桜の花びらが散ってしまう前に。
それは儚く過ぎてしまう時間。
桜流しの雨がすぐに散らしてしまう。
「貴方」への想いが抑えられないほど強いこと、「貴方」との縁が薄れていくことへの不安や焦りが、2週間ほどしか咲くことのできない、桜の儚さによって表現されています。
2番
貴方のことを想うと突然哀しくなる
寂しい事はいつだって幸せが教えてくれる
解釈あなたに会いたいけど会えなくて、悲しみに襲われる。
あの日の幸せが、この寂しさを余計に強く感じさせる。
「貴方」と過ごした時間がいかに幸せだったかを伝えています。主人公の気持ちはぶれることはなく、何度も思いを口に出すことで、むしろどんどん募っていく様子が表現されています。
何も考えずオオカバマダラのように
光に真っ直ぐになれたら どれほど良かったんだろう
解釈余計な頭を使わず、気流に乗って飛ぶ蝶のように、
迷わず光の当たる場所に向かっていけたら、どんなに良かったのかな…
オオカバマダラは蝶の一種です。渡り鳥のように、季節によって住処を変えます。気流に乗って漂う性質から「何も考えず」と表現されています。
「光」は「貴方」そのもので、何も考えずに「貴方」についていけばよかったと、主人公は自分の選んだ道を後悔しているのだと思われます。
貴方に出逢うまでは
もう少し強かった
一人がこんなに寂しいなんて
思わなかったんだ
解釈(一度解釈したので割愛します)
現代の日本は、「おひとりさま」がある程度認められていて、「一人でも寂しくない」というような雰囲気があります。そんな時代にあって、「一人が寂しい」と思えるような関係性は、いっそう貴重なものになっているのかもしれません。
今すぐ貴方に会いたい
桜の花が散る前に
雨に堕ちていく儚さのように
短い其れだから
解釈(一度解釈したので割愛します)
こうしている間にも桜は散っていく、と、「貴方」への強い想いが繰り返されます。
泥に汚れた花びらは戻れない
美しかった時間に
そんな事わかってたはずなのに
何も出来なかった
解釈一度散って、地面の泥にまみれてしまった桜の花びらは、もう枝に還ることはできないように、
あの美しい思い出の中には戻れない。
知ってたはずだった。
だけど、思い出の中にとどまることなんてできなかったんだ。
「泥に汚れた」と表現するほど、自分の選んだ進路を悔やむ主人公。「何も出来なかった」という言葉にも後悔の念が感じられますが、その裏側には、仕方なかったんだ、それでも自分の道を進むしかなかったんだ、というあきらめの気持ちも滲んでいるように思われます。
会いたい人に会えない辛さと同時に、今の自分を受け入れなくてはならない辛さも、移りゆく季節と重ね合わせて表現されていると考えられます。
物思いにふける春の夜、儚く散ってしまう夜桜と、逆に「また貴方に会いたい」という想いをどんどん募らせる主人公。その対比を表現したかったのではないでしょうか。