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【ヨルシカ/六月は雨上がりの街を書く】の歌詞の意味を徹底解釈

編集: ひいらぎ 最終更新:
目次


六月は雨上がりの街を書くの歌詞の意味を徹底解釈

1番

窓映る街の群青
雨樋を伝う五月雨
ぼうとしたまま見ている
雫一つ落ちる 落ちる
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く

解釈窓から見える雨樋を伝って流れる群青色の五月雨
ぼうっとしたまま見ていた。

「六月は雨上がりの街を書く」という曲名なのに、五月雨のことが歌われていることから、この歌詞は過去の出来事を歌っているものと推測できます。

また、五月雨とは、俗に言う梅雨のことです。

梅雨の雨粒をぼうっと眺めているなんて、主人公はエルマを失って相当病んでいるんでしょうね。


心の形は長方形
この紙の中だけに宿る
書き連ねた詩の表面
その上澄みにだけ君がいる
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く

解釈君が書いた詩の中に僕の心はあるのだろう。
君が書いた詩の文字にだけ君の面影を感じる。

「心の形は長方形」と言う歌詞の長方形とはエルマが詩を書くときに使っていたレポート用紙のようなものを指すのでしょう。

詩の表面の上澄みにだけ君がいると言う考えは、レポート用紙にエルマがいるのではなく、エルマが作詞した詩だけにエルマがいると言うことを言いたいのだと思います。

主人公の心はレポート用紙にあって、エルマの心は文字にある。主人公とエルマが離れ離れになってしまったと言う皮肉を歌っていますね。


なんてくだらないよ
馬鹿馬鹿しいよ
理屈じゃないものが見たいんだよ
深い雨の匂い
きっと忘れるだけ損だから
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く

解釈なんて、考えるだけくだらないし馬鹿馬鹿しいな。
そんな理屈じゃないものが見たいんだ。
僕のこの深い悲しみを忘れるだけ損だろうから

深い雨の匂い。これは主人公の心の中を表現している歌詞だと思います。そう解釈するとこの歌詞は「深い悲しみ」と表現できるかと思います。


口を動かして
指で擦って
言葉で縫い付けて
あの街で待ってて
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く

解釈口を動かして指で擦って言葉で縫い付けて。
いつか僕も行くから、あの街で待ってて

なんとも切ない歌詞ですね。「あの街」とは一体どこなのでしょうか。

仮にエルマが既に亡くなっているとするならば、死後も一緒にいたいという歌詞にもなりますね。


2番

雨音の踊る街灯 薄暮の先の曲がり角 一人、足音のパレード 夏を待つ雲の霞青
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く
解釈 雨音が踊るようになる夕暮れ時の街角。 一人。はしゃぐ女の子。梅雨が過ぎて夏が来るのを待っている。

「あの街」にいるであろうエルマのヨススを描いた歌詞でしょうか。 霞青という表現、すごい素敵ですよね。検索したところ「霞青」という色は出てこなかったのですが、「霞青」と聞いただけで目の裏に情景が浮かんで来るのがすごいですよね。


今の暮らしはi^2 君が引かれてる0の下 想い出の中でしか見えない 六月の雨上がりの中で
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く
解釈 君のいないから0から1引かれて今の暮らしはマイナス1だ。 君はもう思い出の中でしか見えない。

はい。出ましたi^2。i^2という表現は藍二乗という曲の曲名の意味で考察しているので、そちらを参考にしてください。 最後の「六月の雨上がりの中で」という歌詞から主人公には「エルマ≒夏の始まり」というイメージがあるのでしょうか。

別の曲でも「夏の始まり」に歌われていましたし、可能性はありますね。


笑った顔だって書き殴って 胸を抉って 割り切れないのも知ってたんだろ 深い雨の匂いだって忘れるだけ損なのに
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く
解釈 君の笑ったかをを書いては現実との対比に胸をえぐって 忘れることができないってもうわかってんだろ。 この深い悲しみだって忘れるだけ損なのに

ここの部分は主人公がエルマの笑った顔を思い出しては、もうエルマはいない事実に酷く傷つき、忘れようとしても忘れられるわけがないというようなことを歌っている部分です。 

なぜ「深い雨の匂い」を忘れるだけ損なのでしょうか。

詳しくはわかりませんが、もしかしたら、エルマを失うという深い悲しみを乗り越えられたら、主人公の人生においてプラスになると考えているのかもしれませんね。


ただ僕の書いた手紙を読んだ 君のその顔が見たい あの夏を書いてる
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く
解釈 ただ僕の書いた手紙を嬉しそうに読む君の顔が見たい。 君を書いている。

あの夏を書いているという表現。ここは「夏=エルマ」として、エルマを書いていると解釈する方法と、「夏=エルマとの思い出」とし、エルマとの思い出を書いていると解釈する方法のふた通りの解釈ができます。

ただ、主人公に「エルマ≒夏の始まり」というイメージがある可能性があるため「夏=エルマ」の方が自然かもしれませんね。


どうだっていい事ばかりだ 関わり合うのも億劫だ 言葉に出すのも面倒だ 結局君だけだったのか
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く
解釈 こんな人生、どうだっていいことばっかりだ 他人と関わるのも面倒くさいし。 自分の気持ちを出すのも面倒だ 結局、この人生は君だけなのか。

ここでは「だから僕は音楽を辞めた」から「五月は花緑青の窓目から」までで歌われてきた、「エルマ」がいなければ主人公の人生は意味がないということを再確認する歌詞が歌われていますね。


だってくだらないよ 馬鹿馬鹿しいよ 理屈じゃないのも知ってたんだよ 深い雨の匂い ずっと雨の街を書いている
ヨルシカ -六月は雨上がりの街を書く
解釈 だってくだらないし馬鹿馬鹿しいよ。 エルマなんか忘れればこんなに悲しくならないなんて理屈じゃないんだよ。 僕の悲しみでずっと雨の街を書いている

理屈じゃないというのは、先ほどの歌詞を考慮するとエルマを忘れれば主人公が悲しむことはないという理屈ではないということを言っているのでしょう。 

「雨の街を書いている」というのは、主人公には「エルマ≒夏の始まり」というイメージがあることから考えると、「夏の始まりより前の梅雨の街を書く→妄想のエルマを書く」と解釈することができます。