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【ゲスの極み乙女。/キラーボールをもう一度】の歌詞の意味を徹底解釈 | 「自分を超えていく」川谷絵音の決意が前面に出ている歌詞を考察する!

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
キラーボールをもう一度という曲名の意味を考察
キラーボールとは?
『キラーボールをもう一度』に込められた意味とは?
こららから曲名の意味を考察すると・・・
キラーボールをもう一度の歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番

キラーボールをもう一度という曲名の意味を考察

キラーボールとは?

『キラーボール』とは、2013年12月4日に『ゲスの極み乙女。』が発表した2ndミニアルバム『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』に収録されている曲です。

この楽曲がきっかけで『ゲスの極み乙女。』を知ることになったファンは多く、現在においてもライブでの盛り上がり曲として絶対的なポジションにあります。

『キラーボールをもう一度』に込められた意味とは?

キラーボールを発表した翌年にはメジャーデビューを果たし、2015年の年末には紅白歌合戦で『私以外私じゃないの』を披露するなど、国民的バンドとして話題を集めていた『ゲスの極み乙女。』。

しかし、その年明けの2016年1月から彼らを取り巻く環境は変わってしまいました。ボーカル川谷さんのプライベートでのスキャンダルによりバンドへの悪いイメージが広がり、活動休止に追い込まれる事態になったのです。

活動を再開した現在においても未だ騒動のことについて言及する人たちがいますが、そうした意見に押し潰されずに『キラーボール』が広まった当時のように、初心を思い出してまた前へ進もうとメンバーたちは考えているのだと思います。

こららから曲名の意味を考察すると・・・

川谷さんのスキャンダルがきっかけで国民的なバンドとしては最盛期と比べイメージダウンしてしまいましたが、『過去の栄光を過去のままにせず、自分を超えていくぞ』という再出発の想いがこの題名には込められていると解釈します。

キラーボールをもう一度の歌詞の意味を徹底解釈

1番

キラーボールをもう一度
もう懐かしくならないように
湯掻いた魂でもう一度だけ
どこまでも行けるような歌を
ゲスの極み乙女。 -キラーボールをもう一度
解釈

あの頃の栄光をもう一度
今こそ輝くときさ
一度落ちぶれたからこそ
次へ進むための曲が奏でられる

キラーボールが広まった時期と比べ廃れていったなどとは言われないように、自分たちで自分たちの歴史を超えていくという思いが『もう懐かしくならないように』という部分から感じられます。

『湯掻く』は、ホウレンソウをお湯にくぐらせたときにふやけるような様子を指します。『ふやける』には『だらしなくなる』という意味があるので、ここでの歌詞では『落ちぶれた』と解釈しました。


償いをしようと喉を取った
博識な虚像が喜んだ
すったもんだリーダー
知らんぷりなローラ
紐解いてみたら
いきがってただけ
ゲスの極み乙女。 -キラーボールをもう一度
解釈

罪を償うために活動休止している間、
知ったかぶりの匿名のアンチが
僕の不幸を喜んだ
誰にも騒動を治めることなどできなかった
真実を知ることには無関心であるから。
騒ぎ立てる彼らはきっと
自分は偉いって言いたかっただけ

『喉を取る』は、『ボーカリストとしての活動を休止すること』と、『批判意見に対して言い返すことはしないこと』の両方の意味が込められていると思います。

川谷さんは過去のインタビューで、『人をネットで叩きたい人は優越感に浸りたいだけ』であり、その人たちの発言に真っ向から戦ったからといって『自分たちが作る音楽の価値は一ミリも変わらない』ので、過敏に反応するのはやめたと語っています。

『博識』は、『物知りであること』を意味するので、『博識な虚像』は『知ったかぶりの匿名のアンチ』という解釈をしました。

『すったもんだ』は、漢字では『擦った揉んだ』と表記されるように、物事がまとまらずにごたごたしている様子を指します。

正しい情報を伝えるはずのメディア(リーダー)は事態をややこしくしたし、受け取り手である視聴者たちも真実を知ることには無関心であるから、嘘の情報が飛び交いアンチが増える結果になりました。

そのように自分を傷つけた人たちに対して複雑な思いはあるけれども、その人たちの根底にあったのは憎しみなどではなく、『うらやましさ』や『嫉妬心』から来る強がりだと川谷さんは言っているのだと思います。


遠回りして息切れしそうなミュージック
早まりそうで早まらない人生
ふとした瞬間スローでダイジェストになった
錆びついて
ゲスの極み乙女。 -キラーボールをもう一度
解釈

(騒動のイメージがあるから)
音楽を聴いてくれる人の心にまっすぐ思いを届けるのが難しくなった
焦って判断してしまって失敗するのが怖いから
少しずつしか進めないな
ふと、ぼんやりして所々しか思い出せなくなるんだ
風雨に晒されてきたから心が弱ってしまっているのさ

『早まる』は、『速度が速くなること(意味①)』と、『焦ってしまって、まだしなくてもいいことをしてしまう(意味②)』の使い方があります。

『早まりそうで』が②、『早まらない人生』が①の使い方であると捉えました。

『スロー』、『ダイジェスト』という言葉の表現は映像としてイメージしやすい感じがします。少し機能不全な感じがうかがえますね。

『錆びる』は、雨風に晒されて(世間からの強い風当たりを受けて)、心が弱っている様子を表していると解釈しました。


キラーボールをもう一度
もう懐かしくならないように
湯掻いた魂でもう一度だけ
どこまでも行けるような歌を
ゲスの極み乙女。 -キラーボールをもう一度
解釈

一度解釈したので割愛します。


2番

安い女
だから
たわむことなかれと
優しいリリック
身近なロック
全て狙い目
全て撃たれた
ゲスの極み乙女。 -キラーボールをもう一度
解釈

『たいした女じゃなかったんだから
振られたからって落ち込むなよ』と
心に寄り添う優しい歌詞と
親しみやすいロックなメロディーに
吸い寄せられて
誰かの心に届きますように

『撓む(たわむ)』は、心がくじけることを意味するので、『たわむことなかれ』は、『落ち込むなよ』と、誰かを励ましたい様子であると解釈します。

この歌詞のパートは、ファンに対しての『作品に耳を傾けてもらいたいという期待の気持ち』が込められていると捉えます。


こんなんじゃダメって
2000時間前から思ってた
自覚を持って傷付いてみないと
踊れないぜ
昔の様な無防備じゃ軽過ぎて
ゲスの極み乙女。 -キラーボールをもう一度
解釈

そんな甘い期待じゃ今後やっていけないことは
もう結構前から分かってはいたんだ
自分と向き合って傷付いたからこそ
歌える曲がある
過去のような軽いノリだけでは歌えないような曲がね

一つ前のパートからの続きで、ファンに対しての甘い期待ばかりではこの先やっていけないと考えています。

『キラーボール』の歌詞中では、『踊ることをやめなければ誰も傷つかない』と歌われていました。

これは、この頃なりの時代を上手く生き抜くための処世術でした。

しかし、逃げてごまかすだけでは自分を超えられないし、そのままではファンを引っ張っていけるバンドになれないと心の在り方を変えた川谷さんは、自身の心の傷とも向き合う必要があると現在は考えているのかもしれません。


キラーボールでもう一度
騒がしい日々と手を取り合って
暮らした音には唯一の感謝と
踊り方変える許しを
愛愛愛愛愛されながら
ランランランと踊りましょう
愛愛愛愛愛されたなら
間違えてはないってことだから
ゲスの極み乙女。 -キラーボールをもう一度
解釈

初心を忘れず立ち向かおう
忙しい日々を大事に生き、
変わらず一緒にいてくれたバンド仲間やファンには
感謝の意を示したい
そして、これからバンドが
新しく生まれ変わっていくことを
どうか理解してついて来てもらいたい
ここを心の居場所にして
自由に踊り明かそうじゃないか
あの日僕らが『キラーボール』で分け合った時間は
誰にも奪えない確かなものだよ

最初の方では、『キラーボールをもう一度』と表現されているところが、ラストのパートでは『キラーボールでもう一度』と表現されています。夢を語るばかりではなく、次に進むために既にスタートを切った様子がうかがえます。

『暮らした音』は、変わらずどんなときも自分のバンド(音)のそばにいてくれたメンバーや、スタッフ、ファンに対して指している言葉であると解釈し、感謝の意を示したいと語っています。

『愛愛愛愛愛されながら ランランランランランと踊』る歌詞表現は、キラーボールの歌詞の一部としても出てきます。

『キラーボール』で自分たちの音楽の純粋な価値を認めてくれた人たちをもう一度巻き込んで、新たな志で突き進んで行きたいという気持ちが表現されているのだと考えられます。


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