【マカロニえんぴつ/遠心】の歌詞の意味を徹底解釈 | 君は放課後インソムニアから受けた影響がもたらす音楽性とは
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
『君は放課後インソムニア』のストーリー
マカロニえんぴつの『遠心』とコラボすることになった漫画『君は放課後インソムニア』は、どのような物語なのでしょうか。
インソムニアとは、不眠症を指す言葉です。主人公の男子高校生『中見』は、日中は眠気に襲われるのに夜には目が冴えてしまう『不眠症』に悩まされながら学校へ通っていました。
ある日、クラスの仲間と文化祭の準備をしていた中見は、現在は廃部になって使われていない、幽霊が出ると噂される天文部の部室へダンボールを取りに行くことを頼まれます。
噂のことは気にしてはいましたが、日中眠くてたまらない中見にとってその場所は静かで居心地がよかったので、少し休憩しようかなと考えたとき……なんと同じクラスメイトの『曲(まがり)』という女の子が先にその部室を自分の居場所にしていたのを発見してしまいます。
曲もまた、中見と同じく不眠症でしたが、誰にも打ち明けられず悩んでいました。クラスの誰も知らない二人だけの秘密と、日中の心地よい束の間の眠り。
一人ぼっちで過ごしてきた夜や誰にも言えない悩みを打ち明けたとき、少し心が軽くなったような気持ちとともに甘酸っぱい想いが込み上げる。そんなみずみずしい青春が描かれた作品になっています。
遠心という曲名の意味を考察
『遠心』とは、中心から遠ざかろうとすることを意味します。反対の言葉は、『求心』です。
この曲はどのような想いを込めて作られたのでしょうか。以下に、ボーカルはっとりさんが寄せているコメントを載せます。
「私が月に行ったら、そこから手ぇ振るよ。」
漫画の中のワンシーン、曲(まがり)のこの屈折した想いの伝え方に思わずハッとしました。引き合う力に少しだけ逆らっている方が、強引に求め合うよりも美しい。
そんな長い恋の夜が誰にでもあったんじゃなかろうか。
全ての眠れぬ夜たちに、贈る歌。
はっとりさんがこの漫画作品から受けた印象から、この楽曲は、相手を想いながらも屈折した伝え方をすることの『もどかしさ』や『美しさ』を強調したいのだなと思いました。
『引き合う力に少しだけ逆らっている方が、強引に求め合うよりも美しい』というはっとりさんの言葉は、『ただそばにいることだけが愛の在り方ではない』と教えてくれているように感じられます。
遠心の歌詞の意味を徹底解釈
1番
絡まり続ける言葉に君が気付いて目を逸らす
謝り尽くせる馬鹿だぜ
余計な恐怖が今日も降る
言葉で伝えようとすればするほど空回りして伝えられない僕に
君は気付いていて、気付いていないふりをしていたね
そして、僕は結局謝る事しか出来ない愚か者なんだ
関係が悪くなったらどうしようとか、
悪いことばかり考えてしまうんだ、今日も。
『絡まり続ける言葉』は、イヤホンのコードがこんがらがってほどくのが難しいときのように、上手く整理して言葉に出すのが難しくなっている心境を表しています。
『君』は気付いているのに、目を逸らして気付いていない振りをします。
この二人にどのようなことが起こっているのかこの段階ではよく分かりませんが、きっと本音で話し合ってしまうと大事なことが破綻してしまうような危機を抱えているのかなと推測できます。
『今日も降る』と表現するように、自分で考えようとしているわけではないのに、雨が体に降りかかるときのようにその恐怖や不安は突如襲いかかってくるような感覚なのでしょうね。
螺旋の上か、中か外か
「分からず屋」と吐き棄てる
あなたは一体どこにいるのか
「どうして僕の気持ちを分かってくれないんだよ」と言いたい
『螺旋の上』という場所が、放課後インソムニアに出てくる天文部の部室に上がっていく階段を思い起こさせます。
『上か、中か、外か』とあちこちにさまよう様子から、主人公と『君』との、上手く分かち合うことのできない心のすれ違いを想像させられます。
間違いだらけの毎日が愛しいばかりでさ
眠れぬ夜の心音の風景 空に浮かべてる
また朝が少し遠くなる
正しいことが分からなくて間違ってばかりの毎日でも
君がそばにいてくれたら許されそうな気がするんだ
君を想い、打ち鳴らす心臓の鼓動
うまく言葉に出来ずに空を見上げたら
こんな夜が過ごせるなら朝なんか来なくていいのに、と思うぐらい
夜空がきれいだった
『間違いだらけの毎日』が『愛しい』という表現は、『君』と分かり合えない時間をも含めて大事にしたいと主人公は思っているのでしょうか。
『心音』は、心臓が鼓動を打つ時の音。好きな人と一緒にいられる喜びや安心感を表していると考えられます。
『夜』は、君と過ごせる大事な時間。言葉にするよりも、同じ夜空を眺めて時間を共有したいと主人公は思ったのでしょう。
2番
定まりきらない言葉は
君を射抜いてくれるのか
眠れぬ夜の向こう側
話をしよう、話をしよう
遠回りしてまっすぐではない言葉は、
君の心に伝わるのだろうか
孤独を分け合った二人だけの世界で
分かり合いたい、話がしたい
『定まりきらない言葉』は、弓道の的が外れたときのように、しっくりくる言葉が見当たらない様子がうかがえます。
そんな、的になかなか命中できない不器用な僕の想いでも『君』に伝わるだろうかと悩んでいるのだと考えられます。
『眠れぬ夜』は、漫画に出てきた中見と曲(まがり)が秘密を共有しあう時間と掛け合わされていると考えられます。
秘密を共有したからこそ心許して話せることがあり、またあの日のように語り合いたいと考えているのでしょう。
螺旋の先で、秘密の場所で
「分からない」を抱き寄せる
さまよいながら進んだ先、自分たちだけの場所で
分からないことも受け入れて守りたい
『螺旋の先』は、前の方のパートでも述べたように、二人だけの秘密基地へと登っていく階段を意味すると考えられるし、ぐるぐると渦を巻く『悩んだ先にある場所』を意味するとも捉えられます。
『抱き寄せる』時の感情は、『愛しく思う気持ち』や『全てを許して受け入れたい』という気持ちが込められていると思われます。
分からないことがあったとしても、許したいと言っているのですね。
間違いだらけの毎日が愛しいばかりでさ
眠れぬ夜には手を振るぜ 僕に気付いてよ
また君が少し遠くなる
正しいことが分からなくて間違ってばかりの毎日でも
君がそばにいてくれたら許されそうな気がするんだ
君を愛おしく想う夜には、手を振って合図を送るね
そんなことを言っても、君はお月さんみたいに遠くて伝わらないよな
『君は放課後インソムニア』では、好きな人を想って月を眺める描写が出てきていました(冒頭の天文部が廃部になった理由のところで)。
想えば想うほど遠く感じるような、そんな切ない感情が伝わってきます。
騒がしい夢なら目を覚ましてくれるのか
お願い、もう少しだけこの場所を許して
これが悪い夢なら、覚めてくれるということだよな
まだ僕ら、この場所に二人で居たいよ
『この場所』は、『天文部の部室』のような安眠できる秘密基地。
眠い日中、外側の騒がしい世界に自分たちの静かな居場所が乱されぬことのないよう祈りたい。
そうした心境は、ずっと今の幸せが続いて欲しいがゆえに、幸せが壊れるかもしれない危機を恐れてしまう時の人の心とも似ています。
間違い探しに疲れてしまったな
サヨナラ、僕らの夜とダンボールの惑星
間違いを探しながら生きていくのには疲れたよ
さようなら、僕らだけの時間、僕らだけの場所
前の方の歌詞では、『間違いばかりの毎日』は『愛しい』と語られていました。
今回の部分では、『間違い探しに疲れてしまった』と表現されているので、間違わないように生きようと努力しながらも叶わず、心が追いつかなくなった過程が想像できます。
『ダンボールの惑星』と表現されるのは、天文部の部室が『ダンボール』の物置になっていることと、部室には他の人が近づかないため、孤立した『惑星』のようであるからだと考えられます。
『さようなら』という言葉から、二人の時間があまり長く続かないことを示しているのでしょうか(漫画の内容と沿っているかは現時点で確認できていません)。
真実は分かりませんが、いずれにせよ、学生生活は永遠に続くものではありません。青春は一瞬のように過ぎ去るものです。
そういったせつなさを込めて『サヨナラ』という言葉が使われていると考えられます。
間違いだらけの毎日が愛しいばかりでね
眠れぬ夜の心音の風景 空に浮かべてる
また朝が少し遠くなる
正しいことが分からなくて間違ってばかりの毎日でも
君がそばにいてくれたら許されそうな気がするんだよね
君を想い、打ち鳴らす鼓動
うまく言葉に出来ずに空を見上げたら
こんな夜が過ごせるなら朝なんか来なくていいのに、と思うぐらい
夜空がきれいだった
前の方では『愛しいばかりでさ』だったところが、『愛しいばかりでね』という言い方になっているのは、君との毎日に慣れが生じてきているような雰囲気を思わせます。
いつもの調子でこうした幸せが続いていくといいなあと願う主人公でしたが、そのことが過去になってゆくこともここで予期させているようでもあります。
間違いだらけの毎日を懐かしむばかりでさ
必ず僕らまた会おうね、夜に溺れましょう
また君が少し遠くへ行く
間違ってばかりだった君との思い出を懐かしみながら
また必ず君に会いたい、同じ時間を分け合いたいと思った
そんなことを思っても、君はお月さんみたいに遠くて伝わらないよな
想えば想うほど遠ざかっていくなあ
『間違いだらけの毎日』を懐かしむ主人公。二人の間に月日が流れたのを感じさせます。
青春が過ぎ去ったあとに、もう戻らない時間を思って感傷的になっている様子が想像できます。
また日々は少し色を失くす
空が白っぽくなって、寝不足の朝がまたやってきた
日々の『色を失くす』とは、どういう意味なのでしょうか。最後に添えられた一文でもあり、意味深に響きますね。
朝になると、濃い群青色の空が白っぽくなっていきます。
夜の時間は自分の孤独と向き合い、その寂しさの中にも大事な人と共有した出来事を思い出せる大切な時間だったと思われます。
『また日々は』という表現からは、前に進めないのに無理に次の日に押し出されるような退屈さや仕方のなさが垣間見えます。