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【米津玄師/灰色と青】の歌詞の意味を徹底解釈 | 映画「キッズ・リターン」から考察する米津玄師の世界とは

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
灰色と青 ( + 菅田将暉)という曲名の意味を考察
灰色と青 ( + 菅田将暉)の歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番

灰色と青 ( + 菅田将暉)という曲名の意味を考察


「灰色と青」という曲名はどのような意図でつけられたものでしょうか。

まずこの「灰色」と「青」というのは二つとも色です。ここで大事になってくるのは、米津玄師がこの「灰色と青」という曲の着想を、1996年に公開された「キッズ・リターン」という北野武監督の映画から得ていることです。


「キッズ・リターン」は、不良行為をしている落ちこぼれ高校生二人が、それぞれ歩み出した道で才能がないことや挫折を経験し、葛藤をする友情物語です。「灰色と青」では米津玄師は菅田将暉とコラボレーションしています。

菅田将暉は米津玄師が前から気になっていた人物であり、米津玄師本人がオファーしました。米津玄師は、自分と菅田将暉が「キッズ・リターン」に出てくる二人の高校生のようであるというフィーリングを抱いたのです。


灰色と青 ( + 菅田将暉)の歌詞の意味を徹底解釈

1番

袖丈が覚束無い夏の終わり
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景
沢山の遠回りを繰り返して
同じ様な町並みがただ通り過ぎた
窓に僕が写ってる
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

袖丈が合ってない、夏の終わり。明け方に電車に乗っていると昔のこと(高校の頃くらい)思い出した。
電車での帰路のように遠回り、挫折を繰り返して同じような風景を目の当たりにした。

これは「キッズ・リターン」で言えば、映画が終わって数年後(劇中の二人は高校生であるため、具体的には米津玄師と同じ年齢になったくらいの時期)をイメージして作られたと思われます。

袖丈が合っていない、どこかちぐはぐさを感じる身なりで、夏の終わりという何だか寂しい時期に、若い頃の自分たちを思い出します。上手くいかないことが多くて、たくさんの遠回りを繰り返しました。窓に映る僕は、何か変わっただろうか。ということを歌っているのでしょうね。


君は今もあの頃みたいに いるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿馬鹿しい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

君(「キッズ・リターン」の主人公の親友≒菅田将暉)はどうしているだろう。
高校の校庭を自転車で走ったなあ。
馬鹿みたいな挑戦をして進んだ道で、葛藤して流れた血。
今ではその過去も虚しい。

親友(「キッズ・リターン」でいう主人公の親友)と長い間会っていないことが示唆されます。

「ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った」は、映画の最後で主人公と親友が卒業した高校に侵入し、自転車を漕ぎながら、「俺たちもう終わっちゃったのかな?」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」という問答をする名シーンをイメージしていると米津玄師は言っています。

それは劇中で二人がそれぞれの道を進んでいくという「綱渡り」に失敗した後でのシーンです。


どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

あの頃と見た目が変わっても、心だけは変わりませんように。
あの頃の思い出に勇気をもらって今でも僕は歌うよ。

高校時代とは背丈や身なりが変わっても、根本的な部分は変わらないでいたいという思いです。

米津玄師は、「ハチ」としてボーカロイドの曲を作る前の高校時代からニコニコ動画に自身のオリジナルの音源を上げていました。

その頃と同じように今も歌うことを繰り返しています。これは、「キッズ・リターン」に米津玄師本人を当てはめている描写でもあります。


忙しなく街を走るタクシーに
ぼんやりと背負われたまま
くしゃみをした
窓の外を眺める
心から震えたあの瞬間に
もう一度出会えたらいいと強く思う
忘れることはないんだ
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

タクシーにぼんやりと乗ったまま、あの頃と同じようにだらしなくくしゃみをした。
窓の外を眺め、昔のことを思い出す。
二人の息が刹那的に合ったあの瞬間にもう一度出会えたらいいのになあ。忘れることもない。

ここから菅田将暉のパートです。米津玄師のパートでは電車に乗っていましたが、今回は対照的にタクシーに乗っています。また、米津玄師のパートでは窓に映る自分を眺めていましたが、今回のパートではこれまた対照的に窓の外を眺めています。

人が人とコミュニケーションをとるときに、たまに二人の考えが綺麗に合致したり、発言がハモったりします。そのときに米津玄師は、「根本的に人は分かり合えない」という前提が払拭される美しさがあると言っています。

それが、「心から震えたあの瞬間にもう一度出会えたらいいと強く思う」という部分です。ここはそのような米津玄師が持つ考え方を歌詞にしたそうです。


2番

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えてる
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

君(「キッズ・リターン」の主人公の親友≒菅田将暉)はどうしているだろう。
しょうもないことで前に進まないのに、「何があっても上手くいく」と確信して笑った日々を覚えている。

靴を落として探し回るという表現は米津玄師がブログや歌詞でたまに使う表現で、戸惑いなどで前に進まずグダグダしている状況を表しています。

そのような高校時代に「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と自信だけは持ち、無邪気に笑った日々を思い出している、という状況です。


どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

上手くいかないことばかりでどれだけ傷ついても、終わらない毎日に希望を。
くだらない君(高校時代の親友)の面影探して今でも歌うよ。

葛藤で傷つく日々でも、希望を。という、前向きな歌詞です。それでも君(「キッズ・リターン」でいう親友)の間の抜けた面影を探しながら、歌うということです。


朝日が昇る前の欠けた月
君もどこかで見ているかな
何故か訳もないのに胸が痛くて
滲む顔 霞む色
今更悲しいと叫ぶには
あまりに全てが遅すぎたかな
もう一度初めから歩けるなら
すれ違うように君に会いたい
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

朝日が昇る前の欠けた月を君もどこかで見ているかな。
理由もなく感傷に浸って滲んだ顔と、夜明け前の空の霞んだ色。
(高校時代くらいの話なので)今ではもう遅すぎたけど、もう一度やり直せるなら、また君と会いたい。

米津玄師は夜明け前の時間が好きです。起きている人が少ない時間だからこそ、あの月を君も見ているか問うています。そして感傷に浸って、空が灰色に霞んでいきます。


どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う
朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色
米津玄師 -灰色と青
ひいらぎの解釈

あの頃と見た目が変わっても、心だけは変わりませんように。
あの頃の思い出に勇気をもらって今でも僕は歌うよ。
朝日が昇る前の欠けた月を君もどこかで見ているかな。
こんな日々から抜け出して笑える朝が来て、夜明け空は青に変わる。

上のサビの繰り返しですが、最後の二行だけ違います。灰色に霞んだ空だったけれど、夜明けが来るに連れて青くなってきます。

「ピースサイン」でも夜明けの青い色の描写がありますが、これは灰色という暗いイメージが希望の青に変わり、日が昇っていくということを示していると思います。

 

 

La fin...

 

 

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