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【米津玄師/海と山椒魚】の歌詞の意味を徹底解釈 | 「山椒魚」とは何を意味するのか?

編集: ひいらぎ 最終更新:
目次

海と山椒魚という曲名の意味を考察


この曲名から、真っ先に井伏鱒二の小説『山椒魚』を連想した人も多いのではないでしょうか。

小説の主人公である山椒魚は、体が大きくなり過ぎて住んでいた岩屋から出られなくなり、自暴自棄になった挙句、たまたま岩屋に飛び込んできた蛙を閉じ込めてしまいます。

しばらくの間、両者は罵り合って過ごしますが、次第に憎悪は薄れていき、やがて和解が訪れます。しかし、この時蛙は飢えと渇きで瀕死の状態に陥っていました。

もう一つのキーワード「海」から思い起こされるのは、やはり夏でしょうか。少し見方を変え地球の歴史と照らし合わせると、原初の生物が誕生した場所、つまり全ての命の根源と捉えることもできます。

悲しい最期を遂げた蛙、その魂は海へ還ったのかもしれません。岩屋に残された山椒魚は、どんな気持ちで友の亡骸を見つめていたのでしょう。

海と山椒魚の歌詞の意味を徹底解釈

1番

みなまで言わないでくれ
草葉の露を数えて
伸びゆく陰を背負って
あなたを偲び歩いた
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈言われなくてもわかっている。
うつむき草に落ちた露を数え
長く伸びた陰を背負いながら
あなたを偲び歩いた。

「草葉」「偲び」という表現から、歌われている「あなた」が故人であることがわかります。したがって「みなまで言わないでくれ」と主人公が拒絶している言葉は、「あなた」の死を示唆するものだと考えられます。


足元を湿らせる露は、夏の夕立が落としたものでしょうか、それとも主人公が流した涙でしょうか。

「陰」は「光の当たらない場所」のことで、黒いシルエットを指す「影」とは微妙に意味が違います。つまり、ここで夕陽を受けて伸びた闇は主人公の影であると同時に、彼の心にのしかかる苦しみも表していると解釈できます。


二人で植えた向日葵は
とうに枯れ果ててしまった
照り落ちる陽の下で
一人夏を見渡した
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈あなたと一緒に植えた向日葵は
随分前に枯れてしまった。
強い陽ざしが傾く下で
一人夏の景色を見渡した。

「二人で」「向日葵」を「植えた」のは何年前の夏だったのでしょう。明確な記述はありませんが、「とうに」「果てて」との言葉からは長い時の経過が伺えます。

照りつける夏の陽ざしが「落ちる」つまり傾き始めた下で、主人公は孤独に浸ります。


今なお浮かぶその思い出は
何処かで落として消えるのか
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈未だに忘れられない思い出も
いつか忘れてしまうのだろうか。

「思い出」が「浮かぶ」という表現から、「あなた」の記憶は主人公が意識せずとも勝手に蘇ってきてしまうものと考えられます。


喪失は抱えきれない程の苦痛となります。「思い出」という形のないものを「何処かで落として」と物質のように扱っているところを見ても、主人公が「あなた」の死を感情的に処理しきれていないことが伺えます。


あなたの抱える憂が
その身に浸る苦痛が
雨にしな垂れては
流れ落ちますように
真午の海に浮かんだ
漁り火と似た炎に
安らかであれやと
祈りを送りながら
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈あなたの抱える憂いも
その身に受ける苦痛も
雨に溶け込んで
流され消えますように。
真昼の海に浮かんだ
漁り火みたいな明りに
どうか安らかにと
祈りを送る。

「あなた」が「憂」と「苦痛」に苛まれていたことから、故人が患っていたことがわかります。今は亡き「あなた」の不幸が、天上から降り注ぐ「雨」と共に流され消えていくことを、主人公は今でも祈っています。


「真午」は十二時辰で十二時ちょうどを表します。「漁り火」は夜間の漁で用いられるもので、この時刻に灯っているはずがないのですが、おそらく海面に反射する日光が「炎」のように輝いて見えるのでしょう。

あるいは、「あなた」を想うあまり主人公が幻影を見たのかもしれません。本来の「漁り火」を陸から眺めている様子を思い描くと、暗い海面をちらちらと揺れる炎は実に鎮魂の祈りのようです。


2番

みなまで言わないでくれ
俺がそうであるように
あなたが俺を忘れるなら
どれほど淋しいだろう
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈言われなくてもわかっている。
俺があなたを忘れたら淋しいように
あなたが俺を忘れてしまったら
どんなに淋しいことか。

いつまでも「あなた」のことを引きずる主人公を、周囲の人々は心配しているのでしょう。「みなまで言わないでくれ」と繰り返していることから、過去のことはもう忘れるようにと励まされたことがわかります。


しかし、それは主人公にとって余計なお世話のようです。「あなた」との記憶は、どんなに辛くてもかけがえのないものであり、同時に「あなた」にとっても「俺」との記憶は大切なもののはずだと、主人公は語っています。

二人の具体的な関係は明かされていませんが、互いの心を理解し合える程に親密だったことは確かです。


岩屋の陰に潜み
あなたの痛みも知らず
嵐に怯む俺は
のろまな山椒魚だ
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈自分の世界に引きこもって
あなたの痛みも知らないまま
恐ろしい未来に怯える俺は
あの愚かな山椒魚みたいだ。

小説『山椒魚』の主人公は「岩屋」に住んでいました。この曲の主人公も自分の「岩屋の陰に潜み」、近しく大切なはずの「あなた」が苦しんでいるのを「知らず」にいました。


続く歌詞に「嵐に怯む」とあることから、彼は「あなた」が近いうちに他界する可能性を理解していたと考えられます。恐ろしい未来を想像しすくみ上り、身動きが取れなくなってしまったのでしょう。

その間にも病の進行は止まらず、主人公が気付いた時にはもう致命的に悪化していたのだと思われます。

「のろま」は愚鈍を言い替えた言葉と解釈できます。「俺」は、自らのエゴのために友の命を奪ってしまった小説の主人公「山椒魚」と自分を重ねます。


零れありぬこの声が
掠れ立ちぬあの歌が
風にたゆたうなら
あなたへと届いてくれ
さよならも言えぬまま
一つ報せも残さずに
去り退いたあなたに
祈りを送りながら
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈零れ落ちるこの声が
掠れて響くあの歌が
風に乗って
あなたへと届きますように。
さよならも言えないまま
最期の言葉も聞けないまま
去ってしまったあなたに
祈りを送る。

主人公はどうしようもない思いを声に変えます。「あの歌」は「掠れて」いるので、遠くから聞こえてくるものと推察されます。同時に「零れ」「掠れ」という言葉からは溢れて止まない涙がイメージされ、聞こえてくる曲は主人公の心境を捉えた鎮魂歌だということがわかります。


「一つ報せ」は、文章の捉え方によっては主人公からの伝言とも「あなた」からの伝言とも受け取れます。いずれにせよ、互いに「残」すべきだった言葉を伝えられなかったのです。



青く澄んでは日照りの中
遠く遠くに燈が灯る
それがなんだかあなたみたいで
心あるまま縷々語る
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈青く澄んだ空に照りつける太陽。
遠くに灯る燈。
それが何となくあなたみたいに見えて
心のままに語り続ける。

1,2行目は海辺の夏空を描いた表現とも、時間の経過を表したものとも捉えられます。


前者の解釈をする場合、「燈」は先に出てきた「炎」と同じ、遠い水面に輝く明りのことだと考えられます。

後者の解釈をする場合、朝日が昇って空が「青く澄んで」、日中の「日照り」が続き、「燈が灯る」夜が訪れた、と読むことが可能です。喪失以降も変わらず流れていく月日を、主人公はただぼんやりと過ごしていたのかもしれません。

本当の「あなた」がそこにいなくても幻影を見つけては「縷々」言葉が流れ出し、独り言に似た声で彼は対話の相手を求めています。


今なお浮かぶこの思い出は
どこにも落とせはしないだろう
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈未だに忘れられない思い出を
きっと俺はいつまでも忘れられないだろう。

主人公は相変わらず「思い出」を物体として扱っていますが、「どこにも落とせはしないだろう」として、背負っていく覚悟を固めています。


あなたの抱える憂が
その身に浸る苦痛が
雨にしな垂れては
流れ落ちますように
真午の海に浮かんだ
漁り火と似た炎に
安らかであれやと
祈りをおくりながら
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈あなたの抱える憂いも
その身に受ける苦痛も
雨に溶け込んで
流され消えますように。
真昼の海に浮かんだ
漁り火みたいな明りに
どうか安らかにと
祈りを送る。

一度解釈したので割愛します。


青く澄んでは日照りの中
遠く遠くに燈が灯る
それがなんだかあなたみたいで
心あるまま縷々語る
米津玄師 -海と山椒魚

ひいらぎの解釈青く澄んだ空に照りつける太陽。
遠くに燈が灯っている。
それが何となくあなたみたいに見えて
心のままに語り続ける。

一度解釈したので割愛します。

La fin...