【菅田将暉/ドラス】の歌詞の意味を徹底解釈 | 曲名ってどんな意味?意外と奥が深い曲名だった!
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
ドラスという曲名の意味を考察
「ドラス」という聞きなれない言葉が曲名の楽曲ですが、一体どんな意味で曲名として使われているのでしょうか?
ドラスの意味がわからない?
ドラスという単語をそのままgoogleに突っ込むと、パチスロアプリ、パチスロシミュレーター、スマートフォンアプリを主に製作している「株式会社ドラス」という企業しか検索結果に出ていません。
さすがに、菅田将暉さんがその会社について歌った歌とは考えづらいので、自分で検索してみてどういう意味なんだろう?わからない。と思われた方も多いのではないでしょうか。
今回「ドラス」という曲名の意味を考察して見えてきたものがあるのでご紹介します。
ドラスはドラスティックの意味!?
「ドラス」という言葉が含まれる言葉として、「ドラスティック」という言葉があります。
意味は、変化に対して、「極端な」「思い切った」というような意味がある言葉になります。
(参考:「ドラスティック」の意味と使い方は?反対語とビジネス例文も紹介
なぜ、私はドラスをドラスティックのことでは?と思ったのか。それは、
あぁ憧れたムービースターは
世界平和を願ってトロフィーを捨てた
唖然とたじろぐ我々を尻目に
カンペを見ながら一人で長い台詞をしゃべった
という歌詞が曲中に含まれているから。
この歌詞の、「ムービースター」というのは俳優や役者、コメディアンのことを表現していて、「カンペを見ながら一人で長い台詞をしゃべった」というのはニュースキャスターのことを表現しているのだと思います。
役者や俳優からニュースキャスターに転身…もう思い切った決断だなぁとしか言えませんよね。
そうです、この曲は「極端に」変化した人間を通して、菅田将暉さんが「何か」を伝えたいと思って作詞されたのだと思います。
つまり、「ドラス」というのはドラスティックという意味で使われていて、この曲は「極端に」変化することに何かメッセージが隠されているということになります。
では、歌詞の意味を詳しくみていきましょう。
ドラスの歌詞の意味を徹底解釈
1番
勘違いしないでくれ
このドラマに最終回なんてものは多分ないんだ
明日からも生きていく我々は
今日もマシンガンをぶっぱなしてやる
解釈
勘違いはして欲しくない。
人生に終わりなんてないんだ。
明日もまだ生き続ける我々は
今日も全力で進んでやる。
「ドラマ」を人生と解釈するとものすごく前向きな歌詞になりますね。
前向きに人生を歩もうとする主人公は、どんな物語を紡いでいくのでしょうか。歌詞を追っていきましょう。
あぁ憧れたムービースターは
世界平和を願ってトロフィーを捨てた
唖然とたじろぐ我々を尻目に
カンペを見ながら一人で長い台詞をしゃべった
頬を伝う透明な液体を
すごいねで片付けちゃうのは
なんだか寂しいね
解釈
ああ、憧れていた役者は
世界平和を願うために役者での地位を捨てて
驚く周りを尻目にニュースキャスターに転身してしまった。
戦争で犠牲になる人々を見て涙を流す君を
「すごいね」や「偉いね」で簡単に片付けちゃうのはなんだか寂しいな。
解釈で「君」と表現しているのは、役者をやめてニュースキャスターに転身した人を指します。
ムービースターや「カンペを見ながら一人で長い台詞をしゃべった」という歌詞の部分は、人によって例えるものが違ってくると思います。
ですが、ここの歌詞は「例えるもの」が重要なわけではなくて、「ムービースター」として地位があった人間が、突然他の職業に転身してしまった。という事実が重要なわけです。
ですので、役者やニュースキャスターの例えについては特に意味はないと思ってください。
ゴミ袋と一緒に風に舞った
涼やかな空は暗闇の中
わき腹をつつく風の音が
許された 許された
許された 許された 許された
解釈
風に舞ったゴミ袋のように僕もまた風を感じた。
目の前に広がる壮大な空(=これからの人生)はまだ真っ暗なままだ。
でも、僕の横を通り抜ける風が
僕の存在がこの先この世に存在していいんだと許している気がした。
涼やかな空は暗闇の中という歌詞がすごく好きです。
風に舞って空高く舞い上がった主人公がみた涼やかな空はきっと群青色に染まった空だったのでしょう。そして、その先に見えるのは濃い青色をした宇宙です。
その暗く先が見えない宇宙を自分自身の未来だと例える表現の仕方は菅田将暉さんだからなせる表現ではないでしょうか。
また、「許された」と繰り返し歌詞にするところもいいですよね。存在していることを認められたことが相当嬉しかったのかもしれません。
2番
勘違いしないでくれ
このドラマに最終回なんてものは多分ないんだ
明日からも生きていく我々は
今日もマシンガンをぶっぱなしてやる
解釈
勘違いはして欲しくない。
人生に終わりなんてないんだ。
明日もまだ生き続ける我々は
今日も全力で進んでやる。
あぁ憧れたあのディレクターは
五臓六腑を抉ってトロフィーを受けた
唖然とたじろぐ我々を尻目に
ワインを呑みほし一人で真っ赤に燃えて眠った
解釈
あぁ、憧れていたディレクターは
死ぬ思いで表彰を受けた。
驚く我々を尻目に
彼は至福のワインを飲み干し優雅に眠った。
五臓六腑とは、伝統中国医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられたことば。という意味があります。(参考:Wikipedia「五臓六腑」)
つまり、「五臓六腑を抉って」というのは、内臓をえぐる想いでという意味で歌われているのだと思います。もっと簡単にいうと「死ぬぐらいの思いで」という感じでしょうか。
一番は”ドラス”を「思い切った」という意味で使って、歌詞を構成していましたが、2番では、「猛烈な」という意味で使って、歌詞を構成していますね。
聞こえてくるあの人の叫びを
エンディングテーマにしちゃうのは
なんだか悲しいね
解釈
見てなくても感じてしまうあの人の「努力」を
”努力があったから”表彰できたんだというふうに解釈しちゃうのは
なんだか悲しいよね。
「努力」で表彰を受けた人はたくさんいます。
多くの人は、その人には他にもいろんなドラマがあるのに、そんな人の努力の面しか見ません。
この歌詞は、そんな大衆に対して「努力」だけで評価するのは寂しくない?と問いかけているのです。
蔑んだ瞳の奥に
艶やかな口紅が見えた
欠け慣れた台詞を使い回し
狂わした 狂わした
狂わした 狂わした 狂わした
解釈
見下した瞳の奥に艶やかな口紅が見えた。
言い回されたセリフを口にし
我々を狂わせた。
艶やかな口紅。一体どんな意味があるのでしょうか。
私では見当もつかないので、なんとなく意味がわかった方はコメントで教えてください。お願いします。
まとめ
いかがでしょうか。今回は菅田将暉さんのドラスを徹底解釈しました。
菅田将暉さんの表現のレパートリーを垣間見れた気がします。