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【米津玄師/アンビリーバーズ】の歌詞の意味を徹底解釈 | MVの狼は何を意味するのか

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
アンビリーバーズという曲名の意味を考察
アンビリーバーズの歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番

アンビリーバーズという曲名の意味を考察

一般的には信じることの方が信じないことよりも重要視されます。希望を抱いて前を向いている印象があるからで、その方が幸せそうに思えるからです。

しかし、信じる対象を、恐怖や危険や破滅と言った悲観的な要因に限定した場合はどうでしょう。不信を信念にした方が、全力で体当たりできそうに感じられます。

もちろん冷静に考えれば、それは現実的な視野を欠くことになります。注意しておけばかすり傷で済むような事故でも、事前の備えを怠ったがために大怪我に繋がるかもしれません。

通常の警戒心が働く人間には、したがって全てを否定することなどできません。だから恐ろしく潔い「アンビリーバーズ」から目が離せなくなるのです。


アンビリーバーズの歌詞の意味を徹底解釈

1番

ヘッドライトに押し出されて 僕らは歩いたハイウェイの上を この道の先を祈ってた シャングリラを夢見ていた
米津玄師 -アンビリーバーズ
ひいらぎの解釈 ヘッドライトに煽られながら僕らはハイウェイを歩いていた。 この道の先にシャングリラがあると夢見て祈っていた。

「ハイウェイ」は長旅に欠かせない舞台です。

本来は車で通る場所ですから、歩行者がいれば当然「ヘッドライトに押し出され」るように、隅に追いやられてしまうでしょう。 

夜の道を主人公たちは「シャングリラ」を目指し歩き続けていたようですが、「祈って」「夢見ていた」その場所への到着は描かれていません。  


誰がどんなに疑おうと 僕は愛してるよ君の全てを もしも神様がいたのならば 僕と同じことを言うだろう
米津玄師 -アンビリーバーズ
ひいらぎの解釈 誰がどんなに疑おうと僕は君の全てを愛している。 もし神様がいたら僕と同じことを言うはずだ。

突然登場した「君」に、「僕」が熱烈な「愛」を語り始めました。

第三者の疑念の一切を否定し「君の全て」を肯定し、「神様」が同意することさえ断言していますから、「僕」の盲目の度合いは知れたものではありません。  


何されたって 言われたっていい 傷ついても平気でいられるんだ だから手を取って 僕らと行こうぜ ここではない遠くの方へ
米津玄師 -アンビリーバーズ
ひいらぎの解釈 何をされようと何を言われようと構わない。 傷付いたって平気だ。 だから僕らの手を取って一緒に行こう ここではない遠い場所へ。

どうやら「僕」と同行者たちは、周囲の意見に意識的に耳を塞いでいるようです。

「何されたって」「言われたっていい」とは言いながら、ちゃんと「傷ついて」います。それでも「平気でいられる」と言っているのは、単なる強がりではないように感じられます。

 「遠くの方」と言う漠然とした目的地へ、彼らはただ「行こう」と「君」を誘っています。

 歌詞全体を通して、「僕」と「君」の関係性を示す記述はありませんが、根拠のない愛情や、旅へ連れ出していることを考えると、「君」は旅立つ前の「僕」とよく似た人物であることが推察されます。  


今は信じない 果てのない悲しみを 太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく 全て受け止めて一緒に笑おうか
米津玄師 -アンビリーバーズ
ひいらぎの解釈 今は果てのない悲しみなんて信じない。 地面に立ち尽くしても太陽を見ていた。 空を飛びたくて夢を見ては明日を迎える。 希望も失望も全部受け止めて一緒に笑おう。

「果てのない悲しみ」を「信じない」と否定しつつ、「今は」と限定的な表現も使っていることから、「僕ら」の楽観が作為であることが浮き彫りになりました。

 「地面に立ちすくんだまま」で「太陽を見ていた」様子から、願うことはあるのに圧倒されて動けなかった「僕ら」の過去が見えます。「それでも」「空を飛ぼうと」「夢を見」ながら「朝を繋いで」つまり日々を重ねています。

彼らは「太陽」までの距離に怯んだだけでは終わらなかったのです。 「全て受け止めて」と言っていることから、無様だった過去も、まだ「空を飛」べていない現状も、ひっくるめて受け入れようとする姿勢が伺えます。


2番

テールライトに導かれて 僕らは歩いたハイウェイの上を
気がつけば背負わされていた 重たい荷物を捨てられずに
米津玄師 -アンビリーバーズ

ひいらぎの解釈テールライトを追いかけて僕らはハイウェイを歩いていた。
気がついたら重たい荷物を背負わされていた。それを捨てられないでいた。

振り切れたポジティブ主義を掲げる「僕ら」ですが、いつの間にか「重たい荷物」を「背負わされて」いました。車が矢継ぎ早に追い越していく脇で「捨てられ」ない「荷物」を抱えているのは明らかな苦境であり、彼らもそれを自覚しています。


誰のせいにもできないんだ 終わりにしようよ後悔の歌は
遠くで光る街明りに さよならをして前を向こう
米津玄師 -アンビリーバーズ

ひいらぎの解釈誰かに押し付けることなんてできない。後悔は終わりにしよう。
遠い街明りに決別して前を向こう。

前述の「荷物」に対して「背負わされていた」と受け身の表現を使っていたことから、彼らが重荷の責任を他人に求めていたことがわかります。しかし、ここで「僕ら」はそれを止め、「後悔」を「終わりにしよう」と語り合っています。

「遠くで光る街明り」は過去の栄光とも、かつて抱いていた希望とも捉えられます。それらに「さよならをして」彼らは「前を向」く、つまり未来へ進んで行くことを決めます。

 

貶されようと 馬鹿にされようと
君が僕を見つめてくれるなら
キラキラ光った パチパチ弾いた
魔法だって使えるような
米津玄師 -アンビリーバーズ

ひいらぎの解釈貶されようと馬鹿にされようと
君が僕を見ていてくれるなら大丈夫。
キラキラ光ってパチパチ弾ける
魔法だって夢じゃない。

誰に否定されようと、仲間である「君が僕を見つめてくれるなら」「魔法だって使える」と「僕」は語ります。やはり盲目的で、深すぎる信頼がいっそ妄想じみています。

それを馬鹿々々しいと感じるか、眩しいと感じるかは、考え方次第ですが。

 

今は信じない 残酷な結末なんて
僕らアンビリーバーズ 何度でも這い上がっていく
風が吹くんだ どこへいこうと 繋いだ足跡の向こうへと
まだ終わらない旅が 無事であるように
米津玄師 -アンビリーバーズ

ひいらぎの解釈今は残酷な結末なんて信じない。
僕らはアンビリーバーズ。何度でも這い上がる。
どこを目指して進んでも刻んできた足跡の上には風が通る。
まだ終わらない旅が無事であれと祈るように。

打ちのめされても「何度でも這い上がっていく」と不死身の精神を誇る彼らに名前が付きました。相変わらず「今は」との限定表現が拭われず、心の底では「残酷な結末」に対する不安を抱え続けている様子ですが、あえて無視することを選んでいます。

彼らの目的地はまだ定まっていませんが、「繋いだ足跡」は進歩を物語り、「風」が背中を押しています。

 

そうかそれが光ならば そんなもの要らないよ僕は
こうしてちゃんと生きてるから 心配いらないよ
帰る場所も無く僕らは ずっと向こうまで逃げるんだ
どんな場所へ辿り着こうと ゲラゲラ笑ってやろうぜ
米津玄師 -アンビリーバーズ

ひいらぎの解釈それが光ならば僕はそんなものは要らない。
こうしてちゃんと生きているから。
帰る場所が無い代わりにずっと遠くまで逃げられる。
どんな場所に辿り着こうと大声で笑ってやろう。

「光」と言えば、確固たる希望を与えてくれるはずのものですが、「僕」は「ちゃんと生きてる」ことを理由に「そんなもの要らない」と言っています。どうやら彼にとって希望は外部から与えられるものではなく、内側から見つけ出すもののようです。

「帰る場所」は安全地帯と読み替えることができます。不安定な道程を猛進中の彼らには、安心できる場所はありません。また遠くに向かうことを「逃げる」と表現していることから、彼らが自由意志で「帰る場所」を拒絶していることがわかります。

冒険の果てに待ち受ける未来がどうであろうと、自分で選んだ結末を「ゲラゲラ笑」える程の大満足で受け入れようとしているのです。正気の沙汰ではありませんが、彼らにはそれが信念なのでしょう。

 

今は信じない 果てのない悲しみを
太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま
それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく
全て受け止めて一緒に笑おうか
米津玄師 -アンビリーバーズ

ひいらぎの解釈今は果てのない悲しみなんて信じない。
地面に立ち尽くしても太陽を見ていた。
空を飛びたくて夢を見ては明日を迎える。
希望も失望も全部受け止めて一緒に笑おう。

一度解釈したので割愛します。


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