【ヨルシカ/五月は花緑青の窓辺から】の歌詞の意味を徹底解釈 | 花緑青が持つ重要な意味とは
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
五月は花緑青の窓辺からという曲名の意味を考察
曲名に含まれる「花緑青(はなろくしょう)」とは、明るく渋い青緑色のような色のことです。別名でエメラルドグリーンと呼ばれることも。
花緑青という言葉は後々歌詞で出てきますが、この「花緑青」という色が後々重要な意味を持ちます。今回は「花緑青」に注目して解釈していきましょう。
五月は花緑青の窓辺からの歌詞の意味を徹底解釈
1番
夏が終わることもこの胸は
気のせいだって思っていた
空いた教室 風揺れるカーテン
君と空を見上げたあの夏が
いつまでだって頭上にいた
「夏が終わる」そんなことは起きないって思っていた。
誰もいない教室で揺れるカーテン。
そんな窓辺から君と見上げた夏の空がいつまでも続く気がしていたんだ。
解釈に入る前に前提知識を。この楽曲はヨルシカの1stアルバム「だから僕は音楽を辞めた」に収録されていることは皆さんご存知だと思いますが、実はこのアルバム主人公とエルマの物語になっているんです!
なので、主人公の心情の変化や物語を理解するためにもこの楽曲の一個前の曲である「夜紛い」の歌詞解釈を読んでいただくことをお勧めしています。
では、解釈に入ります。
おそらくここは主人公がエルマとの思い出を回想しているのでしょう。エルマとの楽しい時間がずっと続くと思っていたようですね。
それにしても夏の誰もいない教室で異性と二人っきりって、なんか青春って感じがしますよね。主人公リア充すぎて許せん。
さようなら
青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ
黙ったらもう消えんだよ
馬鹿みたいだよな
思い出せ!
「さようなら」
夏の青い空気を飲んだ。この涙はなんだろう。例えるなら花緑青だ。
自分からすがらないと君は消えてしまうんだ。馬鹿みたいだな。
ああ!昔を思い出せ!
エルマと死別している主人公。エルマを忘れないために必死に過去の記憶にしがみついている様子が描かれています。
花緑青とは色のことだと思います。ちなみにこんな色です。明るく渋い青緑色といった感じですね。別名ではエメラルドグリーンとも呼ばれているようです。
この花緑青という色で涙を例えたのはどういった意味なのでしょうか?
実はこの花緑青色。海外では絵具や建築用塗料で使われていたようですが有毒なんだそうです。つまり、主人公はエルマと死別した際の「さようなら」を思い出すことはエルマの記憶を維持する上で有毒だ。という意味でこの詩を書いたのかもしれませんね。
ちなみに完全に余談ですが、「青々と息を呑んだ」という歌詞を「息を呑んだ」とせず「青々」という歌詞を付け加えているのは実にヨルシカらしいなぁと思いました。こういう細かいところがヨルシカの魅力の一つなのかもしれませんね。
思い出せない、と頭が叫んだ
ならばこの痛みが魂だ
それでも それでも聞こえないというなら
どうしても思い出せない。
ならばこの胸の痛みが君の魂だ。
それでも...それでもまだ君が消えてしまうのなら...
「この痛みを魂とする」なんとも哲学的ですね。エルマと死別してからエルマとの思い出でエルマを感じていた主人公が、エルマを思い出せなくなった今、「さよなら」を思い出した時の自分の胸の痛みをエルマとするとはなかなかエモいですね。
2番
愛想笑いの他に何も出来ない
君と夏を二人過ごした想い出を
笑われたって黙っている
もう愛想笑いでしか他人と接することができない。
エルマと僕の二人だけの夏を笑われたってただただ黙っている。
エルマを失って空っぽになってしまった主人公。他人と接する時もどこか上の空で返事してしまってるのでしょうね。
だから、他人にエルマと僕の二人だけの夏を笑われたとしても上の空で自分の殻に閉じこもっているのでしょうね。
笑うなよ 僕らの価値は自明だ
例うならばこれは魂だ
黙っただけ辛いのに馬鹿みたいだろ
なぁ、言い返せ
笑うなよ。僕らの価値は僕らしかわからないんだから。
この気持ちを押し殺して黙っているのは辛いのに言い返さないのは馬鹿みたいだろ?
なぁ、いいかえせよ。僕。
自明とは、特に証明などをしなくても明らかであることという意味があります。
自分の殻に閉じこもっている主人公は他人から見たら黙っているように見えますが、内心では「僕らの価値は僕らしかわからない」と考えているようです。
そして、外側の自分に対して「いいかえせよ」といっているのですね。
言い返せないまま一人歩いた
指を指された僕が残った
それでも それでも思い出せないのか
結局言い返せなかった。
指をさされて笑われた僕が残っただけだった。
それでも...こんなに僕らを馬鹿にされて傷ついても思い出せないのか。
どうやら結局言い返せなかったようですね。
最後の部分はエルマと主人公の思い出を馬鹿にされてもその思い出は思い出せなかったということを言いたいのだと思います。
さようなら
青々と息を呑んだ 例う涙は花緑青だ
黙ってくれ わかったよ
君の声がする
「思い出せ!」
「さようなら」
夏の青い空気を飲んだ。この涙はなんだろう。例えるなら花緑青だ。
ん?いや、ちょっと黙ってくれ 思い出しそうだ
ああ!思い出せ!
特に解説する部分がないため省略します。
思い出したんだ、と喉が叫んだ
この痛みが君の証明だ
それでも それでも聞こえないというなら
思い出した。と僕の喉が叫んだ。
この喉の痛みが君の証明なんだ。
それでも聞こえないというなら...
1番では、「思い出せない、と頭が叫んだ」だった部分が、ここでは「思い出したんだ、と喉が叫んだ」に変わっています。おそらくここに主人公の心情の変化が現れているのでしょう。
「それでも それでも聞こえないというなら」という部分。1番のサビもこの歌詞で終わっていますよね。なぜこの歌詞で終わっているのか。
それは、「もし喉の痛みがエルマの証明ではなく、エルマの声が聞こえないなら、エルマだという証明を見つけるまで何度でも思い出してやる」ということを伝えたいからなのでしょう。
この最後の一文だけで、何をしてでもエルマを思い出してやるという主人公の精一杯の思いが汲み取れますね。