【mayuko/7番目の僕】の歌詞の意味を徹底解釈 | 7つの僕は何を意味するのか
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
7番目の僕という曲名の意味を考察
この曲には、1番目から7番目までの色々な「僕」が出てきます。これは全てが同じ人間の成長して生まれた様々な側面を表しています。
何も知らない状態から、学び知っていくにつれて人は成長していく。成長を単なる時間や年齢の経過ではなく、「知識」の増加と「個」の喪失によって表しているのがこの歌詞の面白いところです。
物事を理解する度に世界に対する見方と関わり方がガラッと変わる。さらに新しい自分が生まれると、その前の自分は死んでしまうのだという捉え方が興味深くなるほどとも思えます。
果たして私達は、どれだけのことを知ってどんな自分になってきたのでしょうか。そしてどれだけの自分を亡くしてきたのでしょうか。思わず自らの人生を振り返って考えてしまう曲です。
7番目の僕の歌詞の意味を徹底解釈
1番
1番目の僕
ただ何も知らず
歌うことが好きなままに叫び続けた
世界はこんなにも白黒(モノクロ)じゃないか
僕は歌いましょう
色をつけるために2番目の僕
代償を知って
その裏側に怯えながら歌い続けた世界はこんなにもちぐはぐじゃないか
僕は歌いましょう
繋ぎ止めるために3番目の僕
夢中で足掻いて
掴み取れるものを信じて声を枯らした世界はこんなにもうるさいじゃないか
僕は歌いましょう
居場所を告げるために『理解する』『学ぶ』ことが
いずれ実を結ぶだとして
それなら
僕は繰り返し僕を殺すだろう
ひいらぎの解釈元々の僕はまだ何も知らず、好きに任せて歌い叫び続けた
世界はこんなにもつまらないじゃないか
僕は歌おう、世界に色をつけるために
次に生まれた僕は、言葉や行動全てに代償があると知って、そこに裏はないかと怯えながら歌い続けた
世界はこんなにもちぐはぐでじゃないか
僕は歌おう、そのちぐはぐな世界が人がバラバラにならないように
そのまた次に生まれた僕は
夢中で足掻いて、困難の向こうに掴み取れるものがあると信じて声を枯らした
世界はこんなにもうるさいじゃないか
僕は歌おう、ここにいるよと誰かに気付いてもらうために
『理解する』『学ぶ』ことがいつかそのうち自分の実になるのだとしたら、僕は繰り返しその前の自分を亡くして成長するだろう
この曲は1人の人間の成長を描く、人の内面の話です。
「歌う」ことは生きることの比喩ではないかと思っています。
最初は生まれたままの何も知らない無垢な自分。
したいことをして、言いたいことを言って、つまらない世界に自分が一石を投じて楽しくするのだと希望をもっている姿です。
その自分が死んで、次に生まれたのは、自分の行動や言葉によってどんな影響があるかを知った自分。世界を見たまま捉えていた頃とは違って、裏側に何があるのかを怯えながら暮らしています。表と裏がちぐはぐだと思い、それがバラバラになって狂ってしまわないようにまた尽力していきます。
さらにまた成長をしてわかることも出来ることが増えてきた『僕』は、困難や努力の向こう側に何か得られると信じて世界へ貢献しようとしています。
世界はこんなにもうるさい、だから自分に気づいてもらえるよう、見て貰えるように叫んでいます。
物事を理解して知識が増え、いつか実を結んで自分の実力になるのだとしたら『僕』はどんどん成長して変わっていくだろう、そしてその前の自分にはもう戻れないのだと悟っています。
2番
4番目の僕
両腕を下げて
諦める事が終わりではないと叫ぶ
世界はこんなにも極彩(カラフル)じゃないか
僕は歌いましょう
色を増やすために5番目の僕
おしまいを知って
その裏側を考える事を拒否する世界はこんなにもがらくたじゃないか
僕は歌いましょう
鎖解くために6番目の僕
もう身を委ねて
掠れて痛む喉を撫でて口を閉ざした世界はこんなにも静寂じゃないか
僕は歌いましょう
心の中だけで
ひいらぎの解釈次に生まれた僕は、諦めで終わってしまってならないと叫ぶ
世界はこんなにもカラフルじゃないか。
僕は歌おう、その色のひとつとなるために
その次に生まれた僕は、物事の終わりを見てしまい、その裏にあったものを考えたくないと言う
世界はこんなにも無意味だったのか
僕は歌おう、しがらみから逃れるために
次の僕はもう流れに身を任せて、疲れてしまった自分を慰めて発信することをやめた
世界にはこんなにも何も無かったのか
僕は歌おう、誰にも聞こえないようにひっそりと
4番目もそうでしたが、5番目の僕もまだがむしゃらに頑張っている『僕』です。無闇に手を伸ばしていた頃から比べて落ち着いてきていますが、まだ野心があります。
特別な何者かになるために、また努力をすることでしょう。
その次に生まれた自分は、何か物事の終わりを見てしまってもう考えたくないと、傷つきたくないと外から来るものを拒んでいます。
カラフルに見えていたものたちが、こんなに無意味だったのかと放心している状態です。しがらみや辛さから逃れるために逃げてしまおうとしています。
そのあとに生まれた自分は、もう自分が何をしても仕方ないのだと、疲れて傷ついた自分を慰めて世界と関わることをやめてしまいました。
こんなにも何も無かったんだなと自覚して、誰とも関わらないようにしようと決めます。
色を失う事が
成長だと言うならば
もう何度自分を殺したのだろう?
消えた僕らはどこへ行こう?
そして生まれたのは
7番目の僕
無邪気で臆病大胆
盲目内気で無口な僕なんとも滑稽な姿じゃないか
生まれたばかりの君へ
祝福を希望を落胆を『理解する』『学ぶ』ことで
色を失い続けるなら
それなら
僕は何度でも生まれ消えるだろう7番目の僕、(僕)を(殺し)た。
ひいらぎの解釈個性を失うことが成長だというのならば、僕は何度自分を殺したのだろうか。消えた自分はどこに行ったらいいんだろう
そして生まれたのはまた新しい僕
無邪気で大胆、盲目、内気で無口な僕
なんてちぐはぐでおかしな姿なんだ
生まれたばかりの君へ
祝福と、希望と、落胆をあげよう
『理解する』『学ぶ』ことで自分の個性を失っていくのなら、僕は何度でも生まれて消えて変わっていくのだろう。そうしなければならないんだろう。
7番目の僕は、また僕を殺した。
「色」という言葉には、感情・思い、考え方や個性・価値観など人をその人たらしめるものを総じて表しているのではないかと思っています。それを失うことが成長ならば、何度自分を殺したのだろうか。
考えているうちにまた次の自分が生まれます。死んだ自分は次の『僕』へ統合され、ひとつの人格になりました。ちぐはぐで矛盾を孕んだおかしな自分の姿を嘲りながら、これから起こることを不安にも、楽しみにも思っています。
知識が増えていくとともに、自分という要素がまたひとつ消えるのであれば、何度でも生まれ変わっていくことは必然なのだろうと『僕』は悟りました。
最後の「殺した」というのは単にまた新しい『僕』が生まれるのということなのか、全てを悟って絶望し命を断ってしまったのかどちらでも解釈は合うと思われます。
La fin...