【米津玄師/メランコリーキッチン】の歌詞の意味を徹底解釈 キッチンと食事が意味する米津玄師ワールド
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
メランコリーキッチンという曲名の意味を考察
食事は不思議な行為です。単に生存に必須と言うだけでなく、人間関係を構築する一種の装置にもなります。
知り合ったばかりの人と距離を縮めたい場合「今度食事でも」は常套句です。家族間の諍いは「ごはんだよ」から仲直りへ向かうことがあります。既に親しい間柄に食卓が加われば、おしゃべりの出来上がりです。
食事を提供するには、言うまでもなくキッチンが必要不可欠です。この「メランコリーキッチン」には明らかに孤独が満ちていますが、それでもキッチンですから料理は仕上がります。
憂鬱に苛まれ押し潰されそうな日常でも、続けるにはどうしても食事が欠かせません。無理やり咀嚼を重ねるのは拷問に似た辛さがありますが、食卓に誰かが加わると、不思議な力と相まって心境の変化を起こすこともあるようです。
メランコリーキッチンの歌詞の意味を徹底解釈
1番
あなたの横顔や髪の色が 静かな机に並んで見えた 少し薄味のポテトの中 塩っけ多すぎたパスタの中
「横顔」と「髪の色」は、顔と言う一つのオブジェクトとして認識されても不自然ではありません。
ところが別々に記され「並んで」見えています。ピカソの絵を連想する奇怪な表現です。恋人たちの食卓の情景ですが、僕はそこに違和感を覚えているようです。
あなたがそばにいない夜の底で 嫌ってほど自分の小ささを見た 下らない諍いや涙の中 おどけて笑ったその顔の中
独りで過ごす夜に、あれこれ思い出して僕は陰気に沈み込んでいます。
争ったり泣いたりしたことは、後悔や反省を呼び起こす出来事として容易に想像されますし、「おどけて」つまりわざと笑って相手の機嫌を取る心苦しさも、誰もが共感できるものではないでしょうか。
誰もいないキッチン 靡かないカーテン いえない いえないな 独りでいいやなんて 話そう声を出して 明るい未来について 間違えて凍えてもそばにいれるように
諍いも作り笑いも誰かと一緒にいればこそ。
しかし、独りでいるのはもっと嫌なこと、少なくとも僕にとっては受け入れ難いようです。
話し合いをしようと言う時に、わざわざ「声を出して」と付け加えるところを見ると、僕は言葉を用いた自己表現や、直接的なコミュニケーションが苦手なのだと思われます。
誰かと共にいることを選べば辛い出来事は避けられません。それでも前向きに考えたいとの強い決意が伺えます。
笑って 笑って 笑って そうやって きっと魔法にかかったように世界は作り変わって この部屋に立ちこめた救えない憂鬱を おいしそうによく噛んであなたはのみ込んだ
何度も「笑って」いるにも関わらず、部屋には「救えない憂鬱」が立ち込めています。
本心から笑っているなら憂鬱は自然に払しょくされるはずです。
つまり、僕は現状とは全く別の未来を求めて、それを作り上げるために無理やり笑い続けているのだと考えられます。 憂鬱な恋人の前で「おいしそうに」食事をするあなたは、僕の気持ちには気付いていません。
それにどれだけ救われたことか 多分あなたは知らないな 明日会えたらそのときは 素直になれたらいいな
自分の気持ちを知らないまま幸せそうな恋人に、僕は「救われた」と言っています。
自己表現が不得手らしい僕は、どうやら恋人に対してさえ素顔を晒すことが躊躇われるようです。
「素直になれたらいいな」と明日の自分に希望を託してはいますが、どこか儚げで実現可能性が低いように感じられます。
2番
あなたの頬や鼻筋が今 静かな机に並んで見えた 部屋に残してった甘いチェリーボンボン 無理して焼き上げたタルトタタン
ここでもピカソのような光景が描かれていますが、視線はあなたの顔の中心に寄っています。ただ、まともに目を見ることは避けているようです。
また、料理の中にあなたの姿を探す代わり、用意したものの出番のないチェリーボンボンと、「無理して焼き上げたタルトタタン」に意識を向けています。
甘いお菓子は女子のご機嫌取りにうってつけのアイテムですが、ここで登場する二つはいずれもフルーツの酸味が利いていて、大概地味な姿をしています。孤独な憂鬱は軽減されるどころか、別の要素が加わって重みを増しています。
張りつめたキッチン 電池の切れたタイマー いえない いえないな 嫌いになったよなんて 話そう声を出して 二人の思いについて 恥ずかしがらないであなたに言えるように
電化製品の電池が切れたら、命が途切れたのと同じです。緊張感の中に死んだものが転がっています。
これは「嫌いになった」と伝えた場合を想定した未来図でしょうか、それとも僕のエネルギーが切れてしまったことを表しているのでしょうか。 なぜ嫌いになってしまったのか明確な理由は書かれていませんが、作り笑いを続けることに忍耐の限界が来たと考察できます。
僕はその致命的な言葉を口に出せずにいますが、本音を話し合いたい気持ちは強く抱いています。「恥ずかしがらないで」とありますから、僕は相手の反応を気にし過ぎてしまう、自己否定の強い人なのかもしれません。
笑って 笑って 笑って そうやって やっと自由に許すようになれた世界を持って 作り上げた食事のその一口目を掬って 嬉しそうに息を吹いて僕に差し出したんだ
「自由に許す」ことは誰もが自然に行っていますが、僕の場合、おそらくは過剰な引っ込み思案のせいで、何を許すかという決定権まで他者に委ねていたのだと考えられます。
何度も作り笑いを繰り返しながら構築してきたあなたとの関係においては、ようやく「自由に許す」ことができるようになった、つまり、あなたにだけは多少心を開けるようになったと解釈できます。
そんな僕とあなたと二人の世界で、僕があなたのために作り「上げた」食事には、「無理して焼き上げた」と先にも述べている通り、かなりの労力が費やされたようです。
一方で、あなたは相変わらず僕の気持ちには気付いていないらしく、バカップルの王道とも言うべき、おめでたい光景を繰り広げようとしています。
それにどれだけ救われたことか もしもあなたが知ってても 明日会えたらそのときは 言葉にできたらいいな
ここで僕の気持ちに変化が現れています。 本音を隠してばかりだった僕が「もしもあなたが知ってても」と仮定した上で臆することなく、言葉にして伝えることを望んでいます。
緊迫した心持で無理をしてまで料理した甲斐があってか、この食事を通して僕は少し素直になることに歩み寄ったようです。
もう一度!
この後も繰り返されるプロセス、作り笑いと憂鬱と恋人の無自覚な救済を、僕は受け入れています。 僕の世界が作り変わるのはまだ先のようですが、少しだけ前向きになれたことが感じられます。
笑って 笑って 笑って そうやって きっと魔法にかかったように世界は作り変わって この部屋に立ちこめた救えない憂鬱を おいしそうによく噛んであなたは飲みこんだ
一度解釈したので割愛します。
それにどれだけ救われたことか 多分あなたは知らないな 明日会えたらそのときは 素直になれたらいいな
一度解釈したので割愛します。
La fin...