【kemu/リンカーネイション】の歌詞の意味を解釈
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
リンカーネイションという曲名の意味を考察
リンカーネイションという言葉は英語で「輪廻転生」を意味します。この曲では主人公にそれまでの主人公達の記憶が引き継がれています。
ある意味、過去の主人公達の魂がこの世に戻ってきたと取ることもできるでしょう。この主人公の後の輪廻転生はあるのでしょうか……?
リンカーネイションの歌詞の意味を徹底解釈
1番
曇天の大都市に 耳鳴りがぱちり
願ったり 縋がった覚えなど無いけど
大事変混沌の立役者 演者
記憶とさ傍迷惑の継承
解釈曇天の大都市に耳鳴りがぱちりと鳴った
僕は願ったり縋がった覚えなど無いけど
大事変混沌の立役者や演者の記憶と傍迷惑を継承してしまったんだ
曇天の日、大都市に住む主人公のはぱちりと響く耳鳴りを聞きました。今までの歴代主人公の記憶を引き継いだ主人公は「僕は願ったり縋ったりした覚えはないんだけど」と思い、この耳鳴りを傍迷惑とさえ思います。今までの、神様に願った主人公たちと異なる点ですね。
汚れてしまった世界で
止まない雨に嗤ったり
灰に変わった世界で 確か
有限を夢見たんだ
解釈僕以外の演者は汚れてしまった世界で止まない雨に嗤ったり (イカサマライフゲイム)
時には灰に変わった世界で、確か有限を夢見たんだ(地球最後の告白を)
ここでは引き継いだ記憶が描写されます。
まずは『イカサマライフゲイム』の記憶。PV及び『イカサマライフゲイム』の歌詞中にも雨の描写があるので確かだと思います。
そして、『地球最後の告白を』。PVと「灰に変わった世界」「有限を夢見る」という歌詞で判断できます。
最終走者(アンカー)は走る 結末へと
終わりにしようか ここらでさ
たった一度のイレギュラー
少年は完全を拒んだ
解釈最終走者(アンカー)の僕は結末へと走る
ここらでこの記憶と傍迷惑の連鎖を終わりにしようか
完全を拒んだ僕はたった一度のイレギュラーだ
最終走者(アンカー)となった主人公はこの記憶の継承と傍迷惑な運命の連鎖を終わりにするために行動を起こします。
たった1人、完全を拒んだ主人公は神様が予想しなかった唯一のイレギュラーなのです。
奇跡も何も無い世界で
ブラウン管の夢を見れたなら
なんて素敵な事でしょう
神は今 標的と為る
解釈奇跡も何も無い世界で
ブラウン管越しに見るような夢を見れたなら
なんて素敵な事でしょう
神は今、演者として標的と為るんだ
奇跡も何も無い世界で、ブラウン管(のテレビ)越しに見るような非現実で鮮やかな夢を見れたらなんて素敵な事だろうか、と主人公は言っています。ちなみに「鮮やかな」と入れたのはブラウン管の方が液晶より画面が鮮やかとされているからです。
そして、神は今、主人公によって演者の標的と為るのです。
2番
転生神童の解答や如何に
今更平凡に恋焦がれたり
交差点 喧噪に少年がぽつり
何卒とぞ 後は宜しくと
解釈転生神童の彼(僕以外の演者)の解答や如何なるものなのか
今更平凡に恋焦がれたりしている(人生リセットボタン)
交差点の喧噪に演者の少年がぽつりと立っている
「何卒とぞ後は宜しく」と言って(インビジブル)
引き継いだ記憶が描写されます。
『人生リセットボタン』の主人公は何度も人生をリセットして完璧を目指しました。その転生神童の演者の解答はどんなものだったでしょうか?この主人公は今更ながら平凡に恋焦がれ、最後には自殺する、それが答えでした。
『インビジブル』の主人公は「何卒とぞ後は宜しく」と言って交差点の喧噪にぽつりと立っています。
二人ぼっちの世界で
最後に手にした林檎は
たいそう調味料の味がして
愛しく思えたんだ
解釈二人ぼっちの世界で最後に手にした林檎は
たいそう調味料(=人工物)の味がして愛しく思えたんだ(六兆年と一夜物語)
『六兆年と一夜物語』のPV最後に出てきた林檎がここで出てきます。忌み子として差別された二人が二人だけの世界で最後に手にした林檎はたいそう調味料の人口的な味がして愛しく思えました。
「自然な林檎の味」ではなく「調味料の味」という点から、どんなに差別され、酷いことをされても、人を求めてしまうという解釈ができるのではないかと思います。
最終走者(アンカー)は走る 結末へと
主役の残骸を 踏みつけて
地球最後のチャンスは
存外無責任に託された
解釈最終走者(アンカー)の僕は結末へと走る
これまでの主役の残骸を踏みつけて
地球最後のチャンスは僕に、存外無責任に託された
最終走者(アンカー)の主人公はこれまでの主人公の残骸=記憶を踏みつけて結末へと動いていきます。
地球最後のこの連鎖から抜け出すチャンスは今回の主人公に、存外無責任に託されたのです。
奇跡も何も無い世界で
おとぎ話だって嗤えたら
なんて素敵な事でしょう
神は今 標的と為る
解釈奇跡も何も無い世界でこれまでの主役たちの話を「おとぎ話だ」って嗤えたらなんて素敵な事でしょう
神は今、演者として標的と為るんだ
奇跡も何も無い世界でこれまでの演者・主役たちの話を「おとぎ話だ」って嗤えたのなら、なんて素敵な事だろうか、と主人公は思います。
神は今、主人公によって演者の標的と為るのです。
泥沼掻いて網にかかって
祭り上げんだ 天才偶像
どの道寒い延命処置で
イキがれなんてさ もう嫌だ
解釈泥沼掻いて網にかかって
別のとある主人公は天才の偶像を祭り上げたりしたんだ
そんなどの道寒い延命処置でイキがれなんて言われてもさ、僕はもう嫌なんだ(カミサマネジマキ)
『カミサマネジマキ』の主人公は泥沼の現実を掻いて、網のような罠にかかって天才の偶像を祭り上げたのです。
これを記憶として知った主人公は、どの道虚しい人々への延命処置として演者となり「虚勢を張れ、得意になれ」なんてカミサマに言われても、もう嫌なのです。
カミサマずっと一人でさ
出来っこ無い理想を追いかけて
馬鹿な僕らにゃそもそも
飴は いらないんだ
解釈カミサマはずっと一人で出来っこ無い理想を追いかけているんだ
馬鹿な僕らにゃそもそも飴(願い・希望・夢を叶えること)はいらないんだ
カミサマはずっと一人で、人々の願いを全て叶える、という出来っこ無い理想を追いかけています。しかし、馬鹿な愚かな人間たちにはそもそも飴(願い・希望・夢を叶えること)はいらないのです。
最終走者(アンカー)は走る 結末へと
終わりにしようか ここらでさ
夢を見るため僕らは
夢の無い世界を望んだ
解釈最終走者(アンカー)の僕は結末へと走る
ここらでこの記憶と傍迷惑の連鎖を終わりにしようか
夢を見るため僕らは夢の無い世界を望んだんだ
最終走者(アンカー)となった主人公はこの記憶と傍迷惑な運命の連鎖を終わりにするためにを行動を起こします。
夢を見るために、主人公達人間は夢の無い世界を望んだのだと宣言します。夢が叶っている状態で更に良い状況を夢を見ることは……ほとんどないでしょう。夢を見るというのは望みが叶わないからこその行動なのです。
奇跡の匣が無い世界で
それなりに生きて死ねたなら
なんて素敵な事でしょう
神は最終章の今 標的と偽る
解釈奇跡の匣(=kemuキューブ?)が無い世界で
それなりに生きて死ねたならなんて素敵な事でしょうか
神は最終章の今、演者の標的と偽るんだ
「奇跡の匣」はkemu voxxの楽曲シリーズのPVに共通して出てくるkemuキューブのことでしょうか?PVでは最後に匣が壊れています。「奇跡匣」は「パンドラの匣」を意味しているのかもしれません。
好奇心で開けてしまうと絶望することになります。歴代の主人公達は人によって差はあれど好奇心から耳鳴りに従いました。その結果……幸せな結末を掴んだものはいたのでしょうか?
この世界でそれなりに、普通に、平凡に生きて死ぬというのは意外と難しいことです。平凡でいるというのはある意味一番幸せな選択肢であると、今回の主人公は知っていたのです。
そして最終章の今、「カミサマ」は「標的と偽る」んだと主人公は言っているのですが……漢字が変ですよね。ここだけ「偽る」であり、本来の「いつわる」という読みではなく「なる」と読みます。誤字……というわけではなさそうです。
「カミサマ」が偽りの存在なのか、はたまた「カミサマが次の標的になること」が偽りなのか、はっきりとはしません。ただ、PVでkemuキューブが割れているので、kemuキューブが大切なものだとすれば「カミサマ」が標的になる可能性はなんとなくありそうですよね。「カミサマ」が「標的」となって存在が「偽り」に「為る」。そんな解釈もできそうです。
歴代の主人公のPVが絡んでくることからkemu voxxシリーズの集大成とされることも多い『リンカーネイション』。
すごく難解な歌詞ではないので、PVも合わせて見ればストーリーそのものは見えてきます。しかし、細かいところまで解釈しようと思うとかなり内容が深く、解釈の難しい曲になります。わかりそうで、わからない曲です。細かいディティールにも気を配って聞くと、より一層病みつきになる曲でしょう。