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【米津玄師/リビングデッド・ユース】の歌詞の意味を徹底解釈

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
リビングデッド・ユースという曲名の意味を考察
リビングデッド・ユースの歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番
まとめ

リビングデッド・ユースという曲名の意味を考察


早速、タイトルの意味から見ていきましょう。

「living dead」を調べたところ、名詞では、生きる屍・ゾンビ形容詞で、生ける屍のような・沈滞したという意味だそうです。youthは、若者・青春時代と訳されますね。繋げて和訳すると、「行ける屍のような若者(青春時代)」となります。

PV を見ると、なるほど、ゾンビの様な挙動をした男性が、もがき苦しんで生死をさまよっているようです。もはや夢遊病に冒されたような男性の映像が見られます。主人公の精神状態がよく伝わってくると思います。お面を被った男性に似た格好の人が何人か登場し、追いかける様子、その道がかなり歪んで見えます。

これは、歌詞にあるように、人生の日々の歩みにくさを表しているように感じられます。最後は、花瓶で殴られた男性が死んでしまったのか、横たわるシーンで終わるという、気味悪さを残すPVとなっています。ちなみに、この作品は2014年に発売された「YANKEE 」というアルバムに収録されていますが、自身がこの作品について「ナタリー」で語っています。


これは自分の小学生・中学生くらいのことを思い返しながら作った曲ですね。その頃はすごく鬱屈としてたし、今あえて言っている「呪い」とは違って、ほんとに呪われてるんじゃないかって思ってた時期があったんです。その頃の自分を思い返して、それを肯定したいっていうか、ちゃんと「それでもいいんだ」っていうことを、昔の自分に言ってやりたかったっていうのがすごく大きくて。
(略)昔の自分を許したかったし、昔の自分に許されたかったっていうのもあるんですね。それをちゃんと、子供にもわかるような言葉とメロディとリズムで作ろうと思って。そうすると、やっぱり基準になるのは自分の子供の頃の記憶なんです。そういうものに頼らざるを得ない。子供の頃の自分はこういう言葉、こういう音で許してくれるだろうかって考えながら作ってました。


引用:https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi04/page/2

また、ある事件の犯人のいじめ体験、社会にうまく適応できない話から着想を得たそうです。


実際、歌詞を見ると作詞者自身の経験したエピソード的な歌詞や、現代社会の闇をついたような、犯罪を犯す心理的背景に迫った歌詞を匂わせるようにすら解釈できました。自分に自信がなく、いつも受け身で生きづらさを抱えながら、それでももがくように生きる様を表現した、なかなか深い作品です。

また、アルバムのキーワードは「呪い」だそうで、この作品にもたくさんこのワードが出てきます。それでは、歌詞のブロックごとに見ていきたいと思います。

リビングデッド・ユースの歌詞の意味を徹底解釈

1番

さあ 目を閉じたまま歩き疲れた この廃墟をまたどこへ行こう
そう 僕らは未だ大人になれず 彷徨ってまた間違って
こんな悲しみと痛みさえ どうせ手放せないのならば
全部この手で抱きしめては 情動遊ばせて笑えるさ
米津玄師 -リビングデッドユース

ひいらぎの解釈さあ 目を開けることもできないほど、歩きすぎて疲れきってしまった この廃墟のような街が続くなかをどこを目指して行こうか?
僕らは大人になってもなお、心は大人になれずに、何が正しいのか分からずさまよい、やはり道を間違えてしまう
その度に傷つき、苦痛ばかり伴うならば、いっそ全て受け入れ抱きしめ、激しい感情に突き動かされる勢いに任せて遊び、狂ったように笑おう

情動とは、百科事典マイペディアによると急激に発生しおおむね短時間で消滅すること,またきわめて激しい心身の変化を伴う。恐怖,怒り,喜び,悲しみ等,生体が強い刺激を受けた場合に生起するとあります。


激しい精神の高揚を抑圧せず、遊ばせてあげよう。全部抱きしめる、つまり認めてまるごと受け入れてあげたいという優しさが垣間見える歌詞です。

大人になりきれないのは、幼い頃に受けたトラウマを抱えたまま抜け出せないからでしょうか?そんな僕らは、自分のものさしで物事を考えられず、また間違えた方向に進んでしまう、と解釈しました。過去のトラウマこそが、呪いではないでしょうか?

 

さあ 呪われたまま笑い疲れた この現世をまたどこへ行こう
もう 息も続かない 喉も震えない 失ってまた躊躇って
「嫌い」を吊るしあげ帰りの会 どうせ負けてしまうのならば
弱いまま逃げてしまえたらいい 消して消えない灯りの先へ
米津玄師 -リビングデッドユース

ひいらぎの解釈さあ 呪われたまま狂い笑い疲れた この世界この中をどこへ行こうか
この世界では 息苦しく 嗚咽すら出ない
帰りの会で他人に非難され 居場所もなく吊し上げられ なにも抵抗できないならば 弱いと認めて逃げてしまえばいいのに 消しても灯りが灯り続ける場所まで

ここで【呪われた】というワードが登場しました。


そして、一番目につくのが【「嫌い」帰りの会】だと思います。【帰りの会】って、なんだか懐かしいですね。確か小学校時代は、帰りの会をしてさようならと下校した記憶があります。

その帰りの会が、【「嫌い」を吊し上げる】とは…?引っ掛かるところですよね。実際吊し上げられたかまでは分かりませんが、私は、俗に言うスクールカーストが存在し、コミュニケーション能力に優れた、というよりは意見を押し通す力のある、といった方が適切かと思います。そのような力を持った上階層にいるクラスメイトからの精神的圧力を受けた、と解釈しました。

先生もそんな状況を見て見ぬふりで放置。他の生徒も、力の強い生徒に従い、見方が誰もおらず、四面楚歌のような状況だったのではないでしょうか。そして、そんな中でも希望は見いだしたいという気持ちが、【消えない灯り】という歌詞に反映されている印象を受けます。

 

シクシク存在証明 感動や絶望に泣いて歌う
迷走エスオーエスの向こうに 救命はないのを知っていたって
精々生きていこうとしたいんだ 運命も偶然も必要ない
遊ぼうぜ 明けぬ夜でも火を焚いて今
そんなそんな歌を歌う
米津玄師 -リビングデッドユース

ひいらぎの解釈存在を証明したくて シクシク泣きながらも感情のままに歌う
迷走しながら助けを求めたところで 救われないと分かっていても せいぜい生きることだけしていたい
運命や偶然なんて 期待しないし関係ない
遊ぼうぜ 明けない夜でもいいさ 火を焚いて 今は自由気ままに歌いたい

迷走しながら助けを求める、といった必死に生きようとする姿が浮かびます。


火を焚くというワードが出たのは、火を焚くことにより【消えない灯り】を灯し続けようとしたのか、無常な日々を燃やしたいという意味なのか…。

私はどちらの意味もあると解釈しました。

さらに、まだ幼かった少年に、遊ぼうと声をかけ、暖かい火を焚き付け、居場所はあるよと応援しているようにも解釈できます。


2番


さあ 笑われたまま願い疲れた この隘路をまたどこへ行こう
どうにも日々は無常 頓智気やれば非道 貶されてまた傷ついて
死球を見逃したアンパイア どうせ公正じゃないのならば
僕はせめて味方でありたい 信じられないならそれでもいい
米津玄師 -リビングデッドユース

ひいらぎの解釈さあ 周りからは嘲笑されたままであるが 自分の心許す人には自分を認めてほしいと願いながらも そうはいかなくて疲れてしまった この狭く険しい道をどこへ向かおうか?どうにもこうにも日々は無常 ちょっとまぬけなことをすればひどいことをされ けなされて傷つくの繰り返し
死球を見逃した審判 公正な判断をしてくれないのならば 僕だけは味方になりたい この僕をも信じられないなら信じなくてもいい
信じることは簡単ではないから

ここは、難しい漢字や独特な表現が続きますね。私も頭を整理したいので、ひとつずつ意味を噛み砕いていきたいと思います。


まず【隘路】は、「あいろ」と読みます。【狭い道、困難な道。物事を進める上で妨げとなるもの。】(デジタル大辞泉)

次に、「無常」。これは仏教用語ですが、【一般的には常のないこと、定まりのないことを意味し、人生のはかないこと】を言います。(ブリタニカ国際大百科事典)

「頓智気」は、ぼーっとしていてまぬけといった意味ですが、検索すると「頓知気」とか「頓痴気」という漢字で出ています。

「死球」は、野球で投手の投げたボールが打者に当たった結果、打者に一塁が与えられることです。いわゆる、デッドボールです。

「アンパイア」は、英語で審判という意味で、「死球を見逃したアンパイア」は野球の比喩。ここでいう「アンパイア」は、学校の先生や親などの大人を指すのではないかと解釈しました。


自分が正しいと思ったことを正しいと言うと、どうなるか。それを実行すると先は見えているし、そんな勇気もないのでしょう。まだ大人になりきれず、狭い世界しか知らない彼にとっては、死ぬことを意味する。

どの狭くいりくんだ道を進んでも。もうどこに行けばよいのか、八方塞がりの状態ですね。他人の視線を気にして自分の信念の方が正しいと思うのに貫けない。貫こうとすると、空気を読まないやつだと非難される。同調圧力につぶされそうになる様子が伝わってくる歌詞です。

あー、なんだかすごく分かります。

それでも、人間の基本欲求で、生きていきたいという前向きさな思いも大切に拾いあげて、歌にすることで、昔の自分に許しを乞うているのではないでしょうか?

 

ドクドク精神胎動 欠乏も飽満も見過ごして
劣等身体もう維持限界 散々呪いを受け取ったって
精々生きていこうとしたいんだ 慢心も謙遜も必要ない
許したいんだ 消せぬ過去から這い出すような そんなそんな痛みを
米津玄師 -リビングデッドユース

ひいらぎの解釈もういよいよ 身も心も維持することができなくなりそうだ 散々呪いを受け取っても  せめてただ生きていたいんだ トラウマに苛まれた過去から解放してあげたいんだ 痛みを伴ったとしても 消せない過去から這い上がって

【ドクトク】と【胎動】、生々しい表現ですね。私も出産したことがあるので、身をもって分かりますが、確か、胎動が激しいとまさにドクドク脈を打つようにはなるかと思います。

ここでは、【劣等身体もう維持限界】と言うくらいなので、身体中の血管がうぅっと締め上げられるような、うん、これはかなり限界でしょう。


それでも、前を向いて生きていきたい、ひたむきさを受け止めて、過去の自分を認めてあげることで、なんとか解放してあげたいという思いが伝わってきます。

 


痛みで眠れないまま 彷徨い歩く僕らは
死にながら生きるような姿をしていた
思うように愛せない この世界で生きる為
血まみれのまま 泥沼の中
僕らは願い また歩いて行こうとする
米津玄師 -リビングデッドユース

ひいらぎの解釈何度も不条理な世間に傷つけられ、眠ることすらできないまま さまよい歩く僕らは 生ける屍のような姿になってしまった
不器用にしか生きられず 愛することも難しい しかし なんとかこの世界で生きるために 血まみれになりながらも 泥沼の道の中 前を向いて生きていきたいんだ

ここもエグい表現が続きますが、【死にながら生きる姿をしていた】というフレーズは、タイトルの意味に通じる歌詞ですね。

【思うように愛せない】という歌詞や、成人した男性がぬいぐるみを持ったり、可愛らしいパジャマを着ていたりする設定からも、現代でしばしば社会問題となる「アダルトチルドレン」を彷彿させます。

アダルトチルドレンとは、幼いころに受けた、「トラウマ」をずっと癒すことなく大人になってしまった人のことです。


家族という一番身近な大人から、日常的に非難されたり、責められたりするなど、「自分はだめなんだ」と思わされてしまうような、否定的な扱いを受けていると、アダルト・チルドレンになりやすいそうです。

親は一番身近な大人であり、世間を知らない子どもにとっては、親の言うことが全てなので強く抵抗できません。程度の差こそあれ、誰でも無自覚に抱えているトラウマはありますが、これが人間関係につまずいたり生きづらさにつながってしまうことは問題です。

少し長くなりましたが、アダルト・チルドレンというワードも、この作品を紐解くためには必要ではないかと思ったので、説明させていただきました。

【僕らは願い】とは、何を願うのでしょうか。これまでの歌詞に繰り返し出てくるように、シンプルに、ただ人間らしく普通に生きていきたいという願いのように聞こえてきます。

 

シクシク存在証明 感動や絶望に泣いて歌う
迷走エスオーエスの向こうに 救命はないのを知っていたって
精々生きていこうとしたいんだ 運命も偶然も必要ない
遊ぼうぜ 明けぬ夜でも火を焚いて今
そんなそんな歌を歌う
米津玄師 -リビングデッドユース

ひいらぎの解釈先ほど解釈しましたので、割愛します。

先ほど解釈しましたので、割愛します。

La fin...


まとめ

今回は、米津玄師のリビングデッド・ユースの歌詞の意味を徹底解釈しました。皆さんは、どのようにこの歌詞を解釈しましたか?

米津玄師さんの歌詞は、どの曲も独特な世界観を表現した作品が多いですが、感覚的にスッと落ちてきて共感できて、心を動かされますよね。今後もどんな楽曲で世間を沸かせるのか、注目していきたいです。


今後も当サイトでは米津玄師を追って行くのでぜひチェックして見てください!



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