【マカロニえんぴつ/ブルーベリー・ナイツ】の歌詞の意味を徹底解釈 | 新しい恋へ向かう女性を描いた曲を徹底考察!
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
ブルーベリー・ナイツという曲名の意味を考察
実はこの曲名の意味はたった一つではありません。『マイ・ブルーベリー・ナイト』には複数の意味が秘められているのです。
まず一つ目は「とても憂鬱な夜が続く日々」という意味。
そしてもう一つ、実はこの曲名には「新しい恋の予感」が暗示されているのです。
それぞれの理由については、歌詞の解釈の項で詳しく説明します。是非チェックしてくださいね!
また、作詞を担当したボーカルのはっとりさんがインタビューで、同バンドのヒット曲『レモンパイ』との繋がりを意識してこの曲を聴くと面白いと発言しています。
あまずっぱい恋のはじまりを描いた『レモンパイ』と切ない恋の終わりを描いた『マイ・ブルーベリー・ナイト』。同じフルーツつながりの曲名でもそれぞれ全く違うように見える恋愛が歌われおり、そのコントラストが際立ちますね。
ブルーベリー・ナイツの歌詞の意味を徹底解釈
1番
傷つかないための気付かないふりばかりだ
信じることは悲しいこと
夜の幻 さよなら25時
忘れちゃうのに求め合うのは身体が空っぽだから
姑息で孤独なあなたが嫌いで、でも好きで
そんな自分も好きだった
あなたの本当の気持ちを知ってしまえば傷つくとわかっているから、考えないようにバカなふりをしている。
そうやってあなたを信じることは、どこか空しい。
夜だけの幸せな思い出には別れを告げよう。
どうせこの恋はすぐ終わると分かっているのに、身体がスカスカだからお互いを求め合ってしまう。
ズルくて、いつもどこか寂しそうな貴方を嫌いになり切れなくて、
そんな一途な自分に酔っていた。
この曲の主人公は破局間近、つまり失恋間近の女性です。
(作詞担当のボーカル・はっとりさんはこの曲は彼の元恋人をイメージして作ったと名言しています。)
彼氏はもう自分のことを以前のようには愛していない。
夜にだけ優しくなるのも、お互いが心も身体もどこか虚しく感じていて、それを埋め合わせるためだけ。
そう気付いている主人公。
もうこんな冷め切った関係は終わりにしなければならないと思いつつも、彼氏のことがどうしても諦められない。
しかもそんな自分も悪くないと心のどこかで思ってしまっています。
もう愛は無いと分かりつつも別れられない女性の複雑な気持ちが歌われているようです。
合鍵は返してね
愛がないならもう会えないよ
もう私の部屋では会わないよ。
私のこともう好きじゃないなら、今のままではいられないからね。
主人公は、彼氏との関係を終える決意をしたようです。
それでも彼への気持ちが残っているからこそ、
「愛がないから」ではなく「愛がないなら」、
「会わない」ではなく「会えない」と彼自身の選択に任せた言葉を使っています。
ここから、主人公自身は彼氏に対して愛が未だあり会いたいと思っているようにみえます。
冷めないで 消えないで そう願ったって遅いのに
愛して まだ相手してほしくて
なんてもう、馬鹿だよな
ねぇ行かないで 棄てないで もう縋ったって遅いけど
運命の誰か、あたしを掬って食べて
マイ・ブルーベリー・ナイツ
私のことをまだ好きでいてほしい。
今までみたいに彼女として愛してほしい。
もう手遅れだとわかっているのに、馬鹿みたいにそう願ってしまう。
他の人のことを好きにならないでほしい。別れないでほしい。
泣きついたところでもう貴方の気持ちは変わらないとわかっているよ。
運命の恋人が他にいるのなら、こんな惨めな私のことを救ってほしい。愛してほしい。
今はまだ、憂鬱な夜の中。
どうしてもまだ諦められない、彼氏への未練を歌ったサビです。
主人公は、まだ自分のことを愛しててほしいという気持ちが消えません。
しかしこの「愛してほしい相手」は今の彼氏だけではないようです。
他に自分のことを愛してくれる運命の相手を望んでいます。
今の彼氏じゃなくて、誰でもよかったのでしょうか。
そんなエゴ、すなわ自己中心的なあけすけな感情までも曝け出してしまう程に主人公は投げやりになっています。
そして曲名にもなっていてサビで毎回登場する「マイ・ブルーベリーナイツ」というフレーズはダブルミーニングとなっています。
歌詞の1番ではその中でも、
ブルーベリー=「BLUE(憂鬱)」「VERY(とても)」と置き換え、
マイブルーベリーナイツ=「とても憂鬱な夜」と解釈できます。
また、ナイツ(nights)ということは「夜」の複数形であり、このような憂鬱な気持ちは一晩だけのことではないことも表されているのです。
2番
恋の幻 さよなら25時
信じることは悲しいこと
幻のように儚い恋が終わった。
相手のことを信じるということは、やっぱり空しくて切ないことだった。
1番の「夜の幻」が「恋の幻」に変化したことから、恋が終わったように思えますね。
冷めないで 消えないで そう願ったって遅いのに
残って離れてくれない匂いが
愛おしくて、許せないの
ねぇ行かないで 棄てないで もう縋ったって遅いけど
誰でもいいよ、あたしを潰して舐めて
マイ・ブルーベリー・ナイツ
貴方の私に対する気持ちがもう冷めていることはわかっているけれど、
貴方の匂いが忘れられなくて、
まだ嫌いになれない。この恋を忘れられない。
まだ貴方と離れたくないと泣きついたところで手遅れとわかっている。
他の人でもいいから、もうこの恋を忘れさせてほしい。
今は、そんな憂鬱な夜が続く日々。
別れた彼氏への想いが消えない2番のサビです。
1番からの変化に気付きましたか?
今の彼氏以外の相手は「運命の相手」じゃなくても「誰でもいい」と歌っています。
大好きな人を失って、更に投げやりになった暗く悲しい感情が見てとれます。
3番
おとぎ話にすらならないね
錆びた踊り場で回る
神様たちは 他人のままだ
恋人だった間のことは、素敵な物語だったとは言えないね。
舞踏会のような綺麗な場所も用意されていない、等身大の素朴な恋だった。
奇跡なんて一つもなかった。神様はこの恋を見向きもしていないみたいだね。
主人公がこの恋を振り返っているようです。
おとぎ話のように自分が報われることも無ければ、
神様や運命を信じられるような奇跡も起こらなかった。
そんな現実を少し抽象的なことばで揶揄しています。
覚めないで 夢なら
忘れたいの 本当なら
行かないで 棄てないで
もう縋ったって遅いかな
幸せだった頃が夢だとするなら、現実よりも幸せな夢のままでよかったのに。
本当ならこんな恋は忘れたいけど、
まだ諦められない。
もう手遅れかな。どうかな。きっとそうなんだ。
諦めなくちゃいけないとわかっている。
この部分で注目すべきフレーズは「もう縋ったって遅いかなという」言い回しです。
今までの歌詞では「もう遅い」ということが決定事項のように描かれていました。
しかし、このフレーズだけは疑問文のようになっているのです。
つまり、今までは「手遅れだ」と自分に言い聞かせてきた主人公が、
「本当にもう遅いのか」「まだ間に合うんじゃないか」という希望を唯一見出している部分なのです。
冷めないで 消えないで そう願ったって遅いのに
愛して まだ相手してほしくて
なんてもう、馬鹿だよな
ねぇ行かないで 棄てないで もう縋ったって遅いけど
運命の誰か、あたしを掬って食べて
誰でもいいよ、あたしを潰して舐めて
マイ・ブルーベリー・ナイツ
あなたへの想いはなかなか消えない。
こんな未練がましい私は馬鹿だってわかっている。
もう他の人でもいい。誰でもいい。
今はまだ、憂鬱な夜が続くけれど、
新しい恋の予感がしているの。
ラストの大サビです。
今までのサビと出てくるフレーズは同じです。
しかし、最後の最後に込められた「マイ・ブルーベリー・ナイツ」の意味が少しだけ変わっているように解釈できます。
というのも、前半の説明で、このフレーズはダブルミーニングであると述べたことを覚えていますか?
一つは「とても憂鬱な夜」という意味であると既に述べました。
もう一つの意味は、同名の「マイ・ブルーベリー・ナイツ」という洋画から来ています。
作詞を担当したはっとりさんが、この映画が元々好きでこの曲にニュアンスが反映されていると言及しています。
実は元ネタであるこの映画は失恋した女性が新しい恋を見つけるちうストーリー。
つまりマカロニえんぴつのこの曲もただの失恋ソングではなく、新しい恋へ向かう女性を女性を描いた曲だといえるのです!
まとめ
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』は一見ただの失恋ソングのように思えますが、じっ くり解釈してみると、新しい道へ進もうとする強い女性像が見えてきますね!
憂鬱な日々が夜明けを迎えるまでの過程をささやかに描いた曲として、是非今一度聴 いてみてください。