【米津玄師/vivi】の歌詞の意味を徹底解釈 | 東日本大震災から見えてくるviviの正体
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
viviという曲名の意味を考察
「vivi」という曲は、米津玄師の1stアルバムである「diorama」に収録された曲です。この「diorama」は、米津玄師の頭の中にある街をテーマにして作られました。「vivi」はそんな街の中で起きた愛する人との別れをテーマにしています。
米津玄師は、できるだけポップなものを作ろうとしましたが、客観的に見てそれが成功したとは言えず、苦悩したようです。しかし、この「vivi」は「diorama」の中で最も歌詞の解釈がしやすくなっています。
viviの歌詞の意味を徹底解釈
1番
悲しくて飲み込んだ言葉
ずっと後についてきた
苛立って投げ出した言葉
きっともう帰ることはない
君に言われた悲しい言葉が今になって思い出される。
苛々して言ってしまった言葉は過去に戻れないから取り返しがつかない。
不協和音で不安な気分になるイントロの後なので、後ろ向きな歌詞です。
よく米津玄師は言葉を吐き出す、飲み込むという表現をします。これは昔にあなた=viviに言われた言葉が、今になって思い出されたさまを思い出しています。また、自分が苛立って言ってしまった言葉も、昔には戻れないから取り返しがつかないことを言っているのでしょう。
言葉にすると嘘くさくなって
形にするとあやふやになって
丁度のものはひとつもなくて
不甲斐ないや
言葉にしたら本当のことを言っているかわからなくなるから、
自分の今の気持ちに合うものは何もなくてどうにもならない。
自分の思いというのは、口に出すと嘘臭く、あやふやなものになります。米津玄師自身、発言をするときに、自分の言っていることが何なのかわからなくなるときがあり、不甲斐なく感じることがあるそうです。
愛してるよ、ビビ
明日になれば
バイバイしなくちゃいけない僕だ
灰になりそうな
まどろむ街を
あなたと共に置いていくのさ
愛しているよ、さようなら。ビビ。
明日になれば(震災の被害を受けた)街を出ていかなければならない。
サビです。街を去って恋人であるviviと別れるシーンです。
「灰になりそうなまどろむ街」とありますが、これは東日本大震災で街を離れることになった人々をモチーフにしています。この「vivi」が入っている「diorama」というアルバムが、発売されたのは震災から約一年後で、だからパッケージに大きなナマズの絵が描かれています。
2番
あなたへと渡す手紙のため
いろいろと思い出した
どれだって美しいけれども
一つも書くことなどないんだ
あなたと別れる前に渡す手紙を書いているけど、
美しい思い出も言葉にしたら嘘臭くなってしまう。
離れる前に手紙を渡そうと、あれこれと美しい思い出を思い出したけれど、思うことが多すぎるし、嘘臭くあやふやになるから、書くことができなかったことを示しています。
でもどうして、言葉にしたくなって
鉛みたいな嘘に変えてまで
行方のない鳥になってまで
汚してしまうのか
嘘臭くなっても、それでも言葉にして伝えたい。
行方のない鳥のように、当てもなく書いて、美しい思い出を汚してしまうのか。
ここから米津玄師独特の比喩表現が多用されます。「鉛」は昔、他の金属製品の偽物として使われていました。また、毒性もあります。そして、「行方のない鳥」のように、何の頼りもなしにつらつらと手紙を書くのです。
愛してるよ、ビビ
明日になれば
今日の僕らは死んでしまうさ
こんな話など
忘れておくれ
言いたいことは一つもないさ
愛しているよ、さようなら。ビビ。
明日になれば今日までの僕らの関係は終わるさ。
こんな話ももう忘れてくれ。言いたいことももうない。
悲しい歌詞です。今日までのことが、明日にはなくなってしまう。だからもう言うことなんて今更ないと言っています。
溶け出した琥珀の色
落ちていく気球と飛ぶカリブー
足のないブロンズと
踊りを踊った閑古鳥
琥珀のような夕日が溶け出して、人々は(震災直後の)混乱の中にいる。
自粛や、逆に活動を行う人もいる
ここだけはかなり解釈が難しいです。「落ちていく気球と飛ぶカリブー」とありますが、気球は本来落ちてはいけないものであり、カリブー(トナカイ)は飛ぶものではありません。つまりこれは震災後のような、混乱した状況を表しています。
なぜカリブーかというと、米津玄師はカリブーという動物が好きだとツイキャスライブで公言しており、「diorama」の発売の時期に「カリブー」という絵本を描いたり、「diorama」にも「caribou」という曲が収録されていたりします。なのでカリブー自体にはあまり意味がないと思われます。
「足のないブロンズと踊りを踊った閑古鳥」というのは、非活動的な存在と、活動的な存在を対比させています。これも震災後の自粛と逆に活動を行った人々を暗示していると考えられます。また、米津玄師は閑古鳥(カッコウ)も好きで、同じアルバムの中に「首なし閑古鳥」という曲もあります。
忙しなく鳴るニュース
「街から子供が消えていく」
泣いてるようにも歌を歌う
魚が静かに僕を見る
どうにもならない心でも
あなたと歩いてきたんだ
(震災後の)ニュース番組。未来がなくなっていく。
悲しい気持ちに暮れている誰かが僕を見ている。
(震災を経た)どうにもならない心でもあなたと歩いてきたんだ。
震災後、ニュース番組ばかりになりました。子供=未来であるとすると、未来が見えなくなったという解釈がしっくりときます。そんな中で、僕がどう生きていくかを、魚=誰かに見られている状況です。
震災でどうにもならない心になっても、あなたと生きてきたことを示しています。
愛してるよ、ビビ
明日になれば
バイバイしなくちゃいけない僕だ
灰になりそうな
まどろむ街を
あなたと共に置いていくのさ
愛しているよ、さようなら。ビビ。
明日になれば(震災の被害を受けた)街を
出ていかなければならない。
1番のサビと同じなので割愛します
言葉を吐いて
体に触れて
それでも何も言えない僕だ
愛してるよ、ビビ
愛してるよ、ビビ
さよならだけが僕らの愛だ
あなたを抱きしめても言葉にしたら嘘臭くなるので何も言えない。
愛してるよ、ビビ。
明日には何もなくなるから、さよならだけが僕らの愛だ。
ここも悲しいサビです。「vivi」のMVのそのままの状況です。抱きしめて、言葉を吐いても何も伝わらない。そんな切ない別れを歌っています。
まとめ
今回は米津玄師の「vivi」の歌詞を徹底解釈しました。東日本大震災の状況や人の動きなどから歌詞の意味を解釈しました。天災は仕方がないことです。我々人間にはどうすることもできません。
日々あたりまえのことを感謝して今を大切にすることが私たちが唯一できることなのかもしれませんね。
今後も当サイトでは米津玄師を追って行くのでぜひチェックして見てください!