若者の青春を素直に表現していて美しい!【いきものがかり/さよなら青春】の歌詞の意味を徹底解釈
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
さよなら青春ってどんな曲?
『さよなら青春』はいきものがかり5年ぶりのニューアルバム『WE DO』の収録曲です。
『WE DO』は「WE DO」「太陽」「SING!」「アイデンティティ」「口笛にかわるまで」 など配信シングル・タイアップ曲などを収録した充実の内容。
ポップ・ソングにこだわりデビュー以来、貫き続けてきた王道のメロディラインが、“放牧”と名付けられた充電期間を経て更なる進化を遂げて帰ってきました。
アルバム終盤の聴かせどころで流れる『さよなら青春』は視聴者がデビューメンバーを投票で決める「PRODUCE 101 JAPAN」のバラード課題曲に選ばれています。
夢を追う練習生が最後に歌唱する曲にふさわしい青春をテーマにした歌です。
さよなら青春という曲名の意味を考察
「青春」は夢や希望に満ちた若者の時期をいい、人生の春に喩えられます。
この曲では共に夢を語らい青春時代を過ごした人との別れを描き、「さよなら」を告げています。
その別れを引きずりながら新しい春を迎える。人生はそれの繰り返しなのだと歌います。
さよなら青春の歌詞の意味を徹底解釈
1番
悲しみを抱きしめて それでも冬を越えて
春を待つひとにこそ 幸せはくるんだと
君は信じてたんだ だから僕も信じた
さよなら
さよなら
僕らの青春
悲しい気持ちを抱きしめていても耐えて待つ人が幸せになれると君は信じていた。
だから、僕も信じて待った。
青春よ、さようなら。
季節は冬から春に移ろうとしています。
辛い日々を冬に喩え、耐えて待っていれば春=幸せが来ると「君」はいつも言っていたようです。
主人公もその言葉を信じて冬のような険しい日々を耐えていたみたいです。
主人公にとって「君」は悩みを打ち明けたりする心の拠り所と言える存在だったのかもしれません。
今年もまた東京で 春を迎えるのかな
少し肌寒いけど 桜も咲き始めた
電車から見えている 綺麗なビルの群れに
いつからか 慣れている 自分がいる
今年も春は東京にいるのだろう。
まだ寒いのに桜が咲き始めている。
ビルが建ち並ぶ景色は馴染めなかったけど、いつの間にか気にしなくなった自分がいる。
主人公は上京したのでしょうか?何年かを東京で過ごして、また新しい春を迎えようとしています。
「今年も」「かな」という表現には故郷を思う気持ちが伝わってきます。
本当は故郷で春を迎えたいのかもしれません。
あるいは故郷にいた頃の春が忘れられないのかもしれません。
早咲きの桜はまた東京で春を迎える主人公の心を急かします。
主人公の故郷は自然が豊かな場所なのか、東京に来たばかりの頃はビルが建ち並ぶ景色に馴染めなかったようです。
しかし、月日が経つにつれ気にしなくなり、やがてビルの群れは当たり前の光景になります。
主人公はそれを思い出し、少し寂しく思っているのではないでしょうか。
夢を叶えるためにやってきた東京ですが、叶わぬまま月日が流れ東京という街の中から抜け出せなくなった。
これが主人公が置かれた状況だと思います。
改札を出てすぐに 忘れものに気づいた
困るわけじゃないけど 小さく舌打ちする
からかうように晴れた 青空を見てたら
なぜだろう 君のこと 思い出す
改札を出たあとに電車に忘れ物をしたことに気づいた。困るものじゃないからいいけど、小さく舌打ちをした。
空を見上げたら、そんな僕をからかうような青空で、何故か君のことを思い出した。
いつも電車で会社かなにかに通っているのでしょう。
毎日通る改札で忘れ物に気づきますが忘れても困らないものだったようです。
ですが、あえて舌打ちをしたのは溜め込んだ日々のストレスを少しでも吐き出したかったからでしょう。
そんな主人公を尻目に晴れた空は「君」を連想する記憶と繋がっているようです。
別れた日が晴れていたのか、晴れた日に「君」と楽しい思い出があるのか、わかりませんがいずれにせよ、今は離ればなれで暮らしているということです。
悲しみを抱きしめて それでも冬を越えて
春を待つひとにこそ 幸せはくるんだと
君は信じてたんだ だから僕も信じた
さよなら
さよなら
僕らの青春
一度解釈したので割愛します。
一度解釈したので割愛します。
2番
今だけを生きて
今だけを生きて
それぞれの未来は もう違う空
今を必死に生きてきた。
その先には別々の未来が待っていた。
主人公と「君」はそれぞれに夢を追いかけて、全力で生きていました。
しかし、その先にあったのは別々の道です。
選んだ道は後戻り出来ませんが主人公は後悔の念を抱いています。
物語は続くよ さよならばかり置いて
心だけがいつでも 時から遅れていく
でも振り返ることに 甘えてはいけない
だからもう 今日だけを 懸命に
人生は別ればかりで続いていく。
気持ちが時間の流れについていけない。
でも、過去ばかり振り返っていられない。
今日を懸命に生きるんだ。
人は常に別れを繰り返しながら生きています。
一つ一つの別れを悲しんでいる間に時間は過ぎていきます。
そして、次の別れが刻一刻と近づいて来るのです。
人生は止まりません。
物語は続いていきます。
別れを振り返るのは悪いことではありません。
ただ、振り返ることに甘えて、過去にしがみついてばかりもいられません。
前に進むためには今日という日を懸命に生きることなのです。
「また会えたらいいね」と 最後に君は言った
あの日の写真はまだ アルバムに挟んでいる
見てしまえば泣くから まだ開いてはいない
僕だけが この今を生きている
君が最後に「またあえたらいいね」と言った日の写真はまだ大事にとっている。
でも、見たら泣いてしまうから見ていない。
今はひとりで今日を生きている。
「君」と最後にあった日の記憶が頭を過ります。
その時に撮った写真を主人公は大事にしまっています。
ただ、見ることが出来ずにいます。
「君」との別れを直視出来ず、「今」にしがみついて生きていますが心の中では常に「君」の残像が残っています。
写真を見ることは「君」との別れを直視すること。
いつか写真を見ることが出来るのでしょうか?
君と出会えたことを 君を愛したことを
忘れはしないだろう 忘れられないだろう
物語は続いて いつまでも続いて
君に出会えて愛したことを忘れることはないし、忘れられない。
人生はいつまでも続いていくよ。
「君」と過ごした日々は主人公にとって忘れようとも忘れられない思い出です。
人生は「君」との別れでさえ置き去りにして進んでいくのです。
いつまでも、いつまでも、続いていくのです。
さよなら
さよなら
僕らの青春
悲しみを抱きしめて それでも冬を越えて
春を待つひとにこそ 幸せはくるんだと
君はそう言ったんだ 僕はそれを信じた
さよなら
さよなら
さよなら
一度解釈したので割愛します。
一度解釈したので割愛します。
まとめ
作詞・作曲をした水野良樹は「PRODUCE 101 JAPAN」のバラード課題曲となったこの曲について次のコメントを寄せています。
「自分たちいきものがかりも、これまでの活動のなかで、さまざまな出会いと別れがありました。『PRODUCE 101 JAPAN』で世に飛び立つチャンスをつかもうとしているファイナリストの皆さんも、ともに戦った仲間たちや応援してくれる人たちとの出会いと別れを、もうすでに、いくつか通り過ぎていると思います。
このファイナルの先にたとえどんな未来が待っていても、きっとそれらは何度も繰り返されます。そしてそのたびに皆さんは、さまざまな人々から想いを託されてより素晴らしいアーティストに進化していくのだと思います。」
別れを成長の糧にする姿勢は彼らの名曲『YELL』と共通するものがあります。
どんなことにも永遠はなく、笑い合うことも、唄い合うことも、胸に刻んで明日へ踏み出していく。
水野は「歌は誰もが主人公になれる」と言います。
出会いと別れの中で自分が主人公の人生を懸命に生きていきたいものですね。