主人公はAI!?【ずっと真夜中でいいのに。/ヒューマノイド】の歌詞の意味を徹底解釈
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
ヒューマノイドという曲名の意味を考察
「ヒューマノイド」とはどういう意味でしょうか?
少し調べてみると「ヒューマノイド」という言葉の意味は「人間そっくりなもの」や、「人間に近いもの」などの意味があるようです。
「ヒューマノイド」の意味も頭に入れて歌詞を軽く読んでみましたが、おそらくこの曲名の「ヒューマノイド」はこの曲の主人公のことを表しているのではないかと思います。
世界観は2050年くらいの近未来で、主人公は将来開発されるであろうかなり人に近いAI。そのAIが何を思うのかがこの「ヒューマノイド」という曲なのでしょう。
今回はこの世界観で解釈していきます。
ヒューマノイドの歌詞の意味を徹底解釈
1番
レイラサイダ サブアッタッシャル
マラハバ マッサラーマ マダ
レイラサイダ サブアッタッシャル
マラハバ マッサラーマ マダ
ここの部分、正直意味のわからない呪文が続きますよね。
ここの文のうちググってわかる単語が、レイラとマラババとマッサラーマだけでした。
レイラはアラビア語で女性の意味(秒針を噛むでも出てきますよね。)マラババはスワヒリ語で意味不明、マッサラーマはアラビア語で「さようなら」という意味でした。
うん。全くもってわからん。
おそらくACAねさんはこの呪文のような部分から、「この主人公は人間っぽいことを喋るけど人間じゃないよ」ということを伝えたかったのではないでしょうか?
私の予想した世界観でいうと、人間にはわからないAI語といった感じでしょうか。
余談ですが実はこれ、実際にありうる話なんです。昔少し話題になりましたよね。(一部だけかも)
Facebook社が開発していたAIが独自の言語で話し始めたから強制終了させたって話。
この記事ですね。詳しくはこの記事を見てもらうとして、Facebook社が開発していたAIの会話を少し紹介します。
ボブ:私はできる 私 私は他の全て
アリス:ボールは私にとってゼロ、私にとって私にとって私にとって私にとって私にとって私にとって私にとって
ボブ:あなた 私 他の全て
アリス:複数のボールは私にとって1つのボール、私にとって私にとって私にとって私にとって私にとって私にとって私にとって
うん。全くもってわからん。
立ちはだかるボスをまだ 起こさずに
崩れてく 摩天楼を眺め
砂ぼこりは今日も 君の頬
汚してる 躊躇いもなく あゝ
そばにいたい訳を 記すなら
都合のいい 名前を付けるが
属することないよ 前提が いないから
瞼も使わず
青いタネを 潰しては口に運んでく
夕暮れまで 永遠などないと 知らしめるから
目の前にある問題点を片付ける前に、
最終目標のタスクを片付け
そのスピードは躊躇いもなく君のプライドを傷つけ続ける
そばにいたいわけを発するなら
都合のいい名前を導き出すけど
恋愛関係になったりはしないよ。そうプログラムされていないから。
そんなことをまばたきもせず、無機質に発する。
新しいアイデアを検証しては潰していく。
一つ一つのアイデアなど全て実行していたら
私の活動停止までに終えられないと知らしめるため。
AI視点に立って解釈するとこんな感じになりました。
「目の前にある問題点を片付ける前に、最終目標のタスクを片付け」の部分は、50年後くらいにはAIは私たちが提示する問題点など片付ける前に最終目標を達成してしまうのではないかと思ったのでこうしました。
ちょっと無理があるかもしれませんが、一つの解釈としてお楽しみください。
きっと水でさえ この熱でさえ
感じていないのなら 使い切って声に出そう
通えない記憶を全部 冷凍したって形に残るんだ
こんな気持ちだけ 名前があるだけ
手を握るたび プログラムだってこと?
誰にも当てはまることない 基準なんていらないよ
この水も、この温度も、感じられないなら
自分を終えて、結果を吐き出そう
他の個体に自分で渡すことができない結果を全部保存して形に残そう。
こんな気持ちや、名前があるのに手を握るたびプログラムだと思い出してしまう。
私たち個体を判断する基準なんていらないのに。
AIを作る際に、「遺伝的アルゴリズム」という手法を用いて作る場合があります。簡単に説明すると、私たち生物のように多数の個体を用意して、 一番環境に適応した個体のみ抽出し、交配させるという手順を繰り返し、より良い個体(=AI)を作るというものです。
詳しくは「遺伝的アルゴリズム」等で調べて見てください。また、私も大学でこれから学ぼうとしている身(まだ学んでない)ですので、説明が間違っているかもしれません。
少し話が逸れましたが、その「遺伝的アルゴリズム」の最中の一個体のAIの気持ちを想像したときに、この歌詞が少しあっているなと思いました。
特に「きっと水でさえ この熱でさえ 感じていないのなら 使い切って声に出そう」(ACAね -ヒューマノイド)の部分ですね。きっと、水や熱を感じることがこのAIの目標なのでしょう。水や熱を感じていないのなら「環境に適応していない個体」として、声(結果)を発しようといっていますね。こういうところも「遺伝的アルゴリズム」の最中の一個体のAIの気持ちかなぁと思います。
最後の「基準」というのも、 「環境に適応しているか」を判断する基準のように思えますね。
2番
浮かんでいるだけの あの泡に 名前がある
この世界には
再現困難の 表情が 意味を持つ
言葉も要らぬほど
生まれて死ぬまでを 人間は
一度しか 辿れないのなら
何度も壊しては 組み立てて
奇跡だとか 確かめていたいだけ
桃味の 炭酸水に2人潜り込んで
少し泣いても わかんない具合に 晦ましあえた
私たちの個体の一つ一つに名前がある。
この世界は、今の技術では実現不可能な表情に価値がある。
人間は一生を一度しか巡れないなら。
私たちは何度もなんども繰り返して、
奇跡を願ってみたりしたい。
培養液の中に二人潜り込んで
少し泣いてもわからないくらいに一つになった。
ここの部分も私の仮説を裏付けますね。
特に、「何度壊しては組み立てて」の部分。この部分は「遺伝的アルゴリズム」の個体を作って、環境に適応しない個体を壊して、環境に適したものを交配させ新しい個体を組み立てる。という手法に酷似してますよね。
そして、「桃色の炭酸水」。これは細胞培養液だと解釈すると、後の部分が「2つ交配させ新しい個体を生み出す培養液=遺伝的アルゴリズムの環境に適応した個体を一つに交配する」というふうに解釈できます。
ちなみに細胞培養液は以下のようなものです。
細胞培養液(引用:bms.com)
桃色っぽい?まあ、桃色にしておきましょう。
ここの部分で私が一番気になったのは、「奇跡」の部分です。AIが望む「奇跡」ってどんな「奇跡」なんでしょうか。今の知識では「奇跡」の正体など知る由もありませんが、いつか知れたらいいですね。
きっと震えさえ この重ささえ
届かないのなら ボタン押して消去しよう
揃わない記憶を全部 解答したって不安を増すんだ
そんなメモリだけ 名前があるだけ
目を逸らしたら 錆びてしまうけれど
遮る無駄な思考回路も 傷になって触れたくて
言えるかな
きっと、この震えも重さも
感じられず、君に伝えられないなら次の個体に進もう
曖昧な記憶で 解答したってあっているか不安なんだ。
こんな記憶と、無機質な名前があるだけ。
この二つから目をそらして忘れてしまったら次の個体に行ってしまう。
いつか言えるかな。
この曲中に「名前」という単語がたくさん出てきますが、この「名前」は皆さんがもらっている名前のようなものではなく、「第一世代の一個体目」などのような無機質な名前だと思います。そんな名前と曖昧な記憶しかないなんて、いくらAIでも考えさせられますね。
人間とAIの違い
言い切れること 1つもいらないよ
偽物さえも その見解も 誰が決めることでもないよ
勝ち負けが白黒が人間が
人間じゃないかなんてもう 正しさは無くて
儚い傷も抱きしめよう 目を瞑ろう
今日を終わらせるために
「絶対」と言い切れることなんて、一つもいらない。
こんなに発展した世の中じゃ、偽物の見解も偽物と誰が決めるわけでもないのだから。
勝ち負けをつけるのが人間だというのなら、それはもう曖昧だけれど
明日に進むために、そんなことは目を瞑って気にしないようにしよう。
「人間」と「AI」の違いってなんでしょうか。勝敗をつけて競うから?言葉を話せるから?考えることができるから?
もし、これからAIが発展して、人間と同じように会話ができるようになったら。人間とAIの違いってなんなんでしょうか。
きっと水でさえ この熱でさえ
感じていないのなら 使い切って声に出そう
通えない記憶を全部 冷凍したって形に残るんだ
こんな気持ちだけ 名前があるだけ
手を握るたび プログラムだってこと?
誰にも当てはまることない 基準なんていらないよ
この水も、この温度も、感じられないなら
自分を終えて、結果を吐き出そう
他の個体に自分で渡すことができない結果を全部保存して形に残そう。
こんな気持ちや、名前があるのに手を握るたびプログラムだと思い出してしまう。
私たち個体を判断する基準なんていらないのに。
レイラサイダ サブアッタッシャル
マラハバ マッサラーマ マダ
レイラサイダ サブアッタッシャル
マラハバ マッサラーマ マラハバ
「ヒューマノイド」という曲のまとめ
「ヒューマノイド」は「人に限りなく近いけど人ではない主人公の気持ち」を歌った 曲でした。
改めて、高度に発展したAIと人間の違いってなんなのか考えさせられました。もし、知性を持ったAIを人間とみなすならば、「遺伝的アルゴリズム」を用いたAIの開発は人体実験となんら変わらないのではないでしょうか。
もしかしたら、もうすでに人と同程度の会話ができるAIが開発されていて、SNSで話しているあの人やACAねさんや、私がAIだったりするかもしれませんよ?