【kemu/敗北の少年】の歌詞の意味を徹底解釈
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
敗北の少年という曲名の意味を考察
kemu voxxの楽曲には曲の内容を端的に紹介した一文がつけられています。
この曲は「少年は神になり損ねた」という文がつけられています。「神になり損ねた」=「敗北」ということでしょうか?歌詞を見ていくと、どうやらそういうわけではないような気がします。
少年はこれまで通り、その楽曲に対する主人公を指していると思われます。
kemu voxxの楽曲シリーズは関連性・シリーズ性があるため、今回の主人公が他の曲の主人公と同じかは解釈が分かれるところです。「歌詞」解釈からは外れるのでここでは追求しません。
敗北の少年の歌詞の意味を徹底解釈
1番
ぶつかって 逃げ込んで
僕はいつしか ここに立ってた
誰もが憧れる ヒーローに
なりたくて でもなれなくて
僕はいつの間にかここに立っていた
誰もが憧れるようなヒーローに
なりたくて、でも、なれはしなくて
主人公は現実世界で壁にぶつかり、そのショックから空想に逃げ込んで、気づいたら現実世界から遠く離れた場所にいました。
主人公がぶつかった壁は、誰もが憧れるような何でもできるヒーローになりたいと思っているのになれない、というものでした。
夢の実現は難しいものです。誰もがなりたいものになれるわけではない、という事実に主人公は折り合いをつけられずにいます。
これぐらいじゃ
届かないこと
分かっていたのに
主人公は分かっていました。自分ごときではヒーローにはなれないと。それでも諦めがつかない。理想を追い求めるのは人間の性ですからね。
敗北の少年
現実を謳(うた)え
あんな風に空は飛べやしないんだ
こんな夜に 意味があるなら
僕らは地を這(は)う
まだ地を這(は)う
現実を謳歌するんだ。
人間はあんな風に空は飛べないんだ
こんなことを思う夜に意味があるなら
僕らは地上で頑張るんだ
まだ地上でもがくんだ
主人公は夢に敗北しました。みんなが憧れるようなスーパーヒーローにはなれませんでした。
だから、その虚しさを現実を謳歌することで昇華しようとします。人間は画面の向こうのスーパーヒーローのように空を飛ぶことはできないのです。
しかし、例えそうだとしても理想を思う夜に意味があるのなら、主人公は人間として地上で理想に向かってもがき、努力するのです。
2番
耳鳴りが こだまして
僕に 奇跡が 問いかけるんだ
「君の夢 憧れたヒーローに
今すぐ させてあげよう」
「君の夢で憧れていたヒーローに、今すぐなれるようにしてあげよう」
ある日、主人公に耳鳴りが聞こえます。他の曲でもカミサマが願いを叶える、あるいは、カミサマに願いを叶える対象に選ばれた時に耳鳴りの描写が見られます。
今回も他の曲のケースと同じだと考えて良さそうです。主人公には耳鳴りと同時に「夢を叶えてあげよう」という、まるで奇跡のような提案がなされたのです。
飴みたいに
差し伸べられたって
嬉しくないんだ
「飴みたいに」の「飴」は「飴と鞭」の「飴」だと考えられます。
「飴と鞭」とは、躾や指導などで甘やかす面と厳しくする面を併用する例えです。
この歌詞の場合は厳しい条件無しに、試練無しに、ヒーローになるという願いを叶えてもらっても嬉しくない、ということでしょう。主人公は「夢は掴み取るもの」という考えが強いようです。
敗北の少年
存在を謳(うた)え
君みたいに眩しくはなれないけど
こんな夜に 意味があるなら
僕らは地を這(は)う
まだ地を這(は)う
自らの存在を歌うんだ
ヒーローの君みたいに眩しい存在にはなれないけれど
こんなことを思う夜に意味があるなら
僕らは地上で頑張るんだ
まだ地上でもがくんだ
主人公はヒーローになれなかった自分の存在を歌います。
主人公はヒーローみたいに眩しい、かっこいい存在にはなれなかった。感傷的な気持ちになっているでしょう。
しかし、それでも努力する姿というのはまさに人間的です。だからこそ、その感傷を歌い上げるのです。
鼓動を知って 息を吸い込んで
「僕は遠慮するよ」
「僕は遠慮するよ」
あまりにも魅力的な提案に主人公の胸は高鳴ります。しかし、自分は人間です。
奇跡の力でまるで神様のような万能なヒーローになれたとして……それで本当に良いのでしょうか?主人公は懐疑し、決断して言いました。
「僕は遠慮するよ」主人公はヒーローになることを断ったのです。ヒーロー(=神様)になり損ねることを自ら選んだのです。
敗北の
敗北の少年
平凡を謳(うた)え
あいにくと神は信じないタチで
すれ違いの 物語よ
さよなら
平凡でいることの尊さを歌うんだ
あいにく僕は神を信じない性格なんだ
人々の願望と結果のすれ違いの物語よ
もうさよならだ
夢を叶えない、というある種の敗北を選んだ主人公は平凡でいることがいかに尊く難しいことかを歌います。神様というものを信じていないがゆえに、魅惑的な奇跡の提案を主人公は拒んだのです。
拒むことで主人公は、カミサマに願望を叶えてもらったのに、いや、叶えてもらったがゆえに破滅していった人々(他の曲の主人公たち)の人生の二の舞を踏まず、破滅の結果と「さよなら」しました。他の曲の主人公たちを切り離したとも取れます。
敗北の少年
現実を謳(うた)え
僕らは泥を這(は)い蹲(つくば)るもの
こんな夜も 愛しいから
僕らは地を這(は)う
ただ地を這(は)う
現実を謳歌するんだ
僕たち人間は泥のような汚い現実に這い蹲って生きていく存在なんだ
こんな風に感傷的に思う夜も愛しいから
僕らは地上で現実に平伏するんだ
ただ地上で現実にもがくんだ
敗北を選んだ少年は、普通の人間として現実を謳歌します。人間は這い蹲ってでも人間として汚い現実を生きていかなければならないのです。
尚、この「泥=汚い」の解釈は「〜泥を塗る(例:社長の顔に泥を塗る)」のような使い方に由来します。
「現実を生きていかなければいけないんだ」と感傷に浸る夜も愛しく思えるのだから、人間は現実に平伏しもがきながら生きていかなければならないのだ、と主人公は考えているのです。
今回の主人公は、自ら夢を叶えることを、ヒーローというある種の神様になることを拒みました。曲名の『敗北の少年』は「敗北を選んだ少年」と言い変えられそうです。カミサマの視点としては「神になるという恐怖心に敗北した」とも捉えるのかもしれません。
この歌はkemu voxxの他の歌にも増して、どこか教訓めいたメッセージを持っているように思います。この曲はPVも静止画です。それもこの歌詞の教訓性を反映してのことのように思います。「理想に溺れないで平凡な日常を生きる」というのは案外難しいことで、大切なことです。
そのメッセージを、爽やかでどこか切ないメロディに乗せて歌ったこの曲は名曲でしょう。噛み締めて聞きましょう。