【King Gnu/飾りじゃないのよ 涙は】の歌詞の意味を徹底解釈 | 井上陽水とKing Gnuの相性が良さすぎる!
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
飾りじゃないのよ 涙はという曲名の意味を考察
飾りとは、美しく、また立派に見えるように添えるもの。うわべだけの美しさ。という意味があります。
飾りじゃないと否定しているので、涙はそのようなものではないという意思が感じられます。この曲がリリースされた当時は、正統派な可愛らしい女の子のアイドルが良しとされていた時代で、きっと、時折涙を見せるようなか弱い女の子が可愛い。と思われていたのでしょう。
ただ、この曲の女の子はこの時代にそれとは真逆の強がりな女の子が描かれていて、そういう女の子の曲だということを曲名で表現したかったのだと思います。
飾りじゃないのよ 涙はの歌詞の意味を徹底解釈
1番
私は泣いたことがない
灯りの消えた街角で
速い車にのっけられても
急にスピンかけられても恐くなかった
私は今まで泣いたことがない
深夜の街角で
スピードを出す車に乗せられても
運転中に急にスピンをかけられても恐くなかった
今まで泣いたことがない。ということから、強い女性、冷めている女性、強がりな女性なのかと考えられます。
灯の消えたとは、皆が電気を消して寝静まるほど遅い夜のことです。それほど夜遅くに街角で
速い車とはスピードを出して運転している車。その車に乗せられても
運転中に急にスピンをかけるような荒い運転をされても恐くなかったのだと解釈できます。
赤いスカーフがゆれるのを 不思議な気持で見てたけど
私 泣いたりするのは違うと感じてた
荒い運転で赤いスカーフが揺れるのを どうしてこんな運転をするのかと不思議な気持ちで見ていたけど
私はここで泣くほどのものではないと感じてた
赤いスカーフが揺れるというのは、先ほど乗った車の荒い運転によるものと考えられます。 不思議な気持ちとはどうしてだろう?と思っている様子です。
ただ、それだけのことで泣いたりするのは違うと感じてた。今まで泣いたことがない彼女にとって泣くほどの価値があること、泣くほど心に響くことではなかったのでしょう。
私は泣いたことがない
つめたい夜の真ん中で
いろんな人とすれ違ったり
投げKissうけとめたり投げ返したり
私は泣いたことがない
暗くて冷たい深夜の街中で
色々な人と出会ったり
お遊びの付き合いをしたり
一度解釈したので割愛します。
つめたい夜とは、光が見えなくて暗い夜。深夜のことだと考えられます。真ん中でとは、その深夜の街中でという意味でしょう。
いろんな人とすれ違ったりのすれ違ったりとは、出会いだと解釈します。
投げKissとは軽い気持ちでお遊び程度のアプローチだとイメージできるので、その程度の遊びの付き合いをしていたのでしょう。
そして友達が変わるたび 想い出ばかりがふえたけど
私 泣いたりするのは違うと感じてた
そして次々と友達が変わるたびに そのあとは何も残らず思い出ばかりが増えたけど
一度解釈したので割愛します。
今までの歌詞から、夜遊びをしてその場限りの楽しい友達はいたが、浅い付き合いであったため、長く続く友達は居なかったのだと考えられます。
一度解釈したので割愛します。
飾りじゃないのよ涙は HAHAN
好きだと言ってるじゃないの HO HO
真珠じゃないのよ涙は HAHAN
きれいなだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は HOHOHO
HOHOHO…
HUHUHU……WA!!
涙はアクセサリーじゃないの
あなたを好きだと言っているじゃないの
涙はアクセサリーの真珠とは違うの
涙を見て綺麗だという気持ちになるくらいならいいけれど
涙は悲しい気持ちにさせすぎるの
飾りとは、アクセサリーのことだと考えられます。その理由として、ここでの主人公が少女であること、また、歌詞で宝石と涙が比較されていることが挙げられます。
きれいなだだけならいいけどとは、涙を見て周りがきれいだという気持ちになるだけならいいけどという意味だと考えます。
なぜなら、涙は飾り(アクセサリー)じゃないのと否定しているということは、本人は涙を、アクセサリーの様に周りの気を惹きつけるもので、周りに少なからず何らかの影響を与えるものであると理解している。と仮定できるので、女である自分の涙が、自分ではなく他人に与える影響を考えているのだと考えました。
ちょっと悲しすぎるのとは、上記に書いた理由と同じで、周りを悲しい気持ちにさせすぎるのは嫌だと考えているのでしょう。
2番
私は泣いたことがない
本当の恋をしていない
誰の前でもひとりきりでも
瞳の奥の涙は隠していたから
一度解釈したので割愛します。
本気の恋をしたことがない
人の前でも一人きりでも
泣きたくても涙は隠していたから
一度解釈したので割愛します。
まだ本気で好きだと思える相手に出会ったことがないのでしょう。
人前でも一人の時でも、涙は見せないという気持ちがそのまま書かれています。今までは強い女性なのか、醒めている女性なのか、どんな女性なのか分からなかったのですが、ここに来て強がりな女性であることがわかりました。
いつか恋人に会える時
私の世界が変わる時
私 泣いたりするんじゃないかと感じてる
きっと 泣いたりするんじゃないかと感じてる
いつか本気で好きになれる恋人出会える時
強がりな私が変わる時
泣いたりするんじゃないかと思ってる
きっと泣くんじゃないかと思ってる
本当の恋をしていないという歌詞があるので、恋人に会える時とは、本気の恋人に会える時だと解釈できます。
私の世界が変わる時とは、強がりな私が変わる時だと考えます。
泣いたりするんじゃないかと感じてるとは、きっと涙をみせることができるだろうと予感しているのだと思います。
飾りじゃないのよ涙は HAHAN
好きだと言ってるじゃないの HO HO
真珠じゃないのよ涙は HAHAN
きれいなだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は
一度解釈したので割愛します。
一度解釈したので割愛します。
飾りじゃないのよ涙は HAHAN
輝くだけならいいけど HO HO
ダイヤと違うの涙は HAHAN
さみしいだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は
La La La……
一度解釈したので割愛します。
キラキラ輝いて綺麗なだけならいいけれど
涙はアクセサリーのダイヤモンドとは違うの
涙を見て寂しい気持ちになるくらいならいいけれど
一度解釈したので割愛します。
一度解釈したので割愛します。
輝くだけならとは、アクセサリーとしてキラキラ輝いて綺麗に見えるだけならいいけれどという意味です。
歌詞中で宝石と涙が比較されていることから、アクセサリーのダイヤモンドとは違うと言っているのだと考えられます。
寂しいだけならいいけどとは、涙が周りを寂しい気持ちにさせるならいいけどという意味だと考えます。
なぜなら、涙は飾り(アクセサリー)じゃないのと否定しているということは、本人は涙をアクセサリーの様に周りの気を惹きつけるものだと理解していると仮定できるので、涙が自分ではなく他人に与える影響を考えているのだと考えました。
一度解釈したので割愛します。
まとめ
昭和の正統派なアイドルが全盛期の時代に、このように少し不良少女のような女の子の曲をリリースするという井上陽水の発想が面白いなと感じました。
また、ちょっと大人ぶっている不良少女の歌をKing Gnuの綺麗な声で歌い上げていて、おしゃれな感じに仕上がっていましたね。