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【米津玄師/打上花火】の歌詞の意味を徹底解釈 | 「花火」に注目して語られる歌詞が意味することとは

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
打上花火という曲名の意味を考察
打上花火の歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番
2番

打上花火という曲名の意味を考察

夏の風物詩、打上花火。夜空を照らす大輪は鮮烈でありながら、すぐに消えてしまう儚さも備えています。

たった一瞬の寿命を燃やし尽くす潔さが華美と相乗し、忘れがたい光景を空いっぱいに描き出すのです。

鮮やかな光が咲いた後は、広がる闇が一層暗く感じられるので、花火大会が終わると空しさに似た憂鬱が残ります。

それを知りながら見上げると余計に悲しさを自覚しますが、同時に刹那的な美しさが際立ち、せめて輝いている間だけは幸福に浸っていたいとの願いが強まります。結局、最後には虚ろな静寂が待っているだけかもしれないのですが。

打上花火の歌詞の意味を徹底解釈

1番

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈あの日の海の光景を今でも思い出す。
砂の上に書いた言葉も、君の後ろ姿も覚えている。

主人公が「君」と過ごした夏の一幕を回想しています。


「言葉」は「砂の上に刻んだ」もので、直接のやり取りが伺えません。彼が鮮明に覚えているのも「君の後ろ姿」です。一緒にいるはずの「君」は、しかしどこか遠くに感じられ、主人公が近い未来に「君」との別れを想定していたことがわかります。


寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈寄っては引く波が足元から何かを攫う。
夕凪の水平線に日が沈んで行く。

思い出の場所で主人公は夕陽を見つめています。どうやら独りきりのようです。

「波」に「何かを攫」われる感覚も、「日暮れだけが通り過ぎていく」静寂も、虚しさを誘います。

 

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈一瞬だけ輝く花火を見ていた。
まだ君と過ごす時間は残っていると思ったら
複雑だった気持ちが一つにまとまった。
この夜が終わらなければと願った。

「終わらない夏」との表現から、二人が「花火」を見たのは暑い盛りだったことがわかります。主人公はここに「きっとまだ」と希望的観測を乗せているので、少なくとも「夏」の間は「まだ」「君」と一緒にいられると思ったのでしょう。

「曖昧な心」は、複雑で抱えている当人にも理解しがたい感情のことだと考えられます。それが「終わらない夏」によって「解か」され「繋」がったことは、主人公が「君」と共有できる残り時間を自覚し、感情の理解と願望の認識に至ったことを表しています。


2番

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈あの日の海の光景を今でも思い出す。
砂の上に書いた言葉も、君の後ろ姿も覚えている。

主人公が「君」と過ごした夏の一幕を回想しています。

「言葉」は「砂の上に刻んだ」もので、直接のやり取りが伺えません。彼が鮮明に覚えているのも「君の後ろ姿」です。一緒にいるはずの「君」は、しかしどこか遠くに感じられ、主人公が近い未来に「君」との別れを想定していたことがわかります。


寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈寄っては引く波が足元から何かを攫う。
夕凪の水平線に日が沈んで行く。

思い出の場所で主人公は夕陽を見つめています。どうやら独りきりのようです。

「波」に「何かを攫」われる感覚も、「日暮れだけが通り過ぎていく」静寂も、虚しさを誘います。

 

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈一瞬だけ輝く花火を見ていた。
まだ君と過ごす時間は残っていると思ったら
複雑だった気持ちが一つにまとまった。
この夜が終わらなければと願った。

「終わらない夏」との表現から、二人が「花火」を見たのは暑い盛りだったことがわかります。主人公はここに「きっとまだ」と希望的観測を乗せているので、少なくとも「夏」の間は「まだ」「君」と一緒にいられると思ったのでしょう。

「曖昧な心」は、複雑で抱えている当人にも理解しがたい感情のことだと考えられます。それが「終わらない夏」によって「解か」され「繋」がったことは、主人公が「君」と共有できる残り時間を自覚し、感情の理解と願望の認識に至ったことを表しています。

2番

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈「あと何度君と同じ花火を見られるかな」と言って
笑う君のために何ができるだろうか。
傷つくことも嬉しいことも波のように繰り返してきた。
最終列車の音が焦燥を煽る。

過去から現在に時間軸が動きました。

「君」は主人公に「笑」いながら話しかけていますが、その言葉からは二人の別れが確実なこと、その時が少しずつ近付いていることが察せられます。

避けられない悲しい未来と、互いの存在がまだ傍にあることの幸福、切り離せない「情動」が「繰り返す波」に例えられています。

「最終列車の音」は終わりの通告です。着実に迫り来るその時を前に、主人公は「焦燥」しています。

 

何度でも 言葉にして君を呼ぶよ
波間を選び もう一度
もう二度と悲しまずに済むように
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈何度でも声に出して伝えるよ
ちゃんと聞こえるように。
もう二度と君が悲しまずにいられるように。

「言葉にして君を呼ぶ」ことは、声に出して「君」への思いを伝えることだと解釈できます。

波音の静まる瞬間である「波間を選び」確実に「君」に声が届くように、また「何度でも」繰り返そうと強い意志をもって、主人公は「君」の「悲し」みを軽減させようと努めています。

 

はっと息を飲めば 消えちゃいそうな光が
きっとまだ 胸に住んでいた
手を伸ばせば触れた あったかい未来は
ひそかに二人を見ていた
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈ほんの幽かでも
まだ希望は残っていた。
手を伸ばしたら明るい未来に触れたかもしれない。
それは向こうから近付いてくることはなかったけど。

再び過去形で「花火を見ていた」「夜」の情景が展開されます。

「息を飲」む程度の些細な動揺で「消えちゃいそうな」か細い「光」は、現在の主人公にとっての思い出の余韻であると考えられます。同時に、当時彼の「胸に」「まだ」残っていた幽かな希望のことだとも捉えられます。

「あったかい未来」とは、その希望が叶った場合に訪れていたはずの将来です。二人は別れずに済んだかもしれませんし、別れたとしても悲しみを払拭できたのかもしれません。ずっと想定されていた未来図と同様に「あったかい未来」も「手を伸ばせば触れ」る至近距離にありました。

しかし、それは「ひそかに二人を見ていた」だけで、主人公には気付かれることも「触れ」られることもないまま過ぎてしまったようです。

 

パッと花火が
夜に咲いた
夜に咲いて
静かに消えた
離れないで
もう少しだけ
もう少しだけ
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈花火がパッと
夜空に花開いた。
一瞬だけ輝いて
静かに消えた。
離れないで。
もう少しだけ
終わらないでいて。

打ち上げられては散っていく「花火」が、主人公の心情と二人の未来を象徴しています。

主人公は「君」と「離れないで」いることを切実に望んでいます。時間の経過は誰にも止められませんが、だからこそせめて「もう少しだけ」と願うのでしょう。

 

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈一瞬だけ輝く花火を見ていた。
まだ君と過ごす時間は残っていると思ったら
複雑だった気持ちが一つにまとまった。
この夜が終わらなければと願った。

一度解釈したので割愛します。


パッと花火が
夜に咲いた
夜に咲いて
静かに消えた
離れないで
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈花火がパッと
夜空に花開いた。
一瞬だけ輝いて
静かに消えた。
離れないで。

一度解釈したので割愛します。

 

もう少しだけ
もう少しだけ
米津玄師 -打上花火

ひいらぎの解釈もう少しだけ
終わらないでいて。

一度解釈したので割愛します。


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