【SEKAI NO OWARI/Food】の歌詞の意味を徹底解釈
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
Foodという曲名の意味を考察
「Food」は日本語で食べ物、食糧、エサ、または心の糧といった意味があります。MVでも食事風景が描かれているように、「食」がテーマとなっています。
しかし、後半に「食べごろ」「旬」という言葉が登場します。これは「人気」を表していると思われます。ここに、SEKAI NO OWARI(以下セカオワ)が抱えている商業アーティストとしてのリアルが表現されていると思われます。
消費される存在としての「僕」が、美味しいままの状態を保つ(良い作品を発表し続ける)ことで、世の中から飽きられないようにしなければ、自分が「食いっぱぐれて」しまう。
コックとしての腕を上げ、自分自身を上手く調理して食べてもらわなければ、食いつなぐことができない、そんなシビアな現実が垣間見える一曲ではないでしょうか。
Foodの歌詞の意味を徹底解釈
1番
成長するため君を吸収
ちゃんと消化して僕の一部に
上品ばかりが全てじゃないんだ
野蛮に下品にかぶりつくのもまた
愛を知らない獣のような
純粋で凶暴なその瞳
奥に残酷にえぐりこむ
価値のあるとこはもっと深くに
ふざけるなんてマナー違反だ
野蛮であっても無礼ではいけない
神の恵みに感謝していただく
味がなくならないでね
成長する為に、君から養分を吸い取らせてもらうよ。
残さず消化して、僕の血肉にさせてもらう。
エレガントにしてるだけじゃいられないんだ。
汚らしくがっつくのもいいもんだ。
温もりや優しさを知らぬ動物みたく、
ピュアで荒々しい目つきで、
薄情にもぐっと牙を食い込ませる。
うまみのある部分には、さらに奥まで喰らう。
そんな時、悪ノリしちゃ行儀が悪い。
汚くても礼儀はわきまえないと。
偶然の巡り合わせに感謝しながら食べるんだ。
ずっと美味しいままでいてくれよ。
表面的には、食事という行為そのものや、それにまつわるマナーの話をしていますが、曲名の解釈で述べたように「お金」や「ビジネス」の比喩だと考えた方がしっくりきます。
「成長」とは、食事によって肉体が成長することですが、裏の意味合いとしては、アーティスト・セカオワが音楽市場で成長することだと考えられます。「君」はバンドを経済的に支えるファンを指していると思われます。
「野蛮」「下品」とはお金への執着心です。お金に執着することを悪いことだとは思っていません。バンドを存続させ、作品の質を高めるためにはお金が必要だからです。
「価値」「味」は「儲け」や「利益」という意味にも取ることができます。利益が大きな事業や商品に対しては「もっと深く」サービスを充実させるべきというのは商売の理にかなっています。「味がなくならないでね」は、「今後も変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いします」という、商売人の切実な願いと解釈することができます。
いずれにしても、アーティストとして生き抜く為に必要なビジネスの話を、「食」に例えて表現しているものと考えられます。
Juicy(ジューシー)
Crispy(サクサク)
Crunchy(ボリボリ)
Fluffy(フワフワ)
Tender(やわらかい)
Chewy(モチモチ)
All Delicious
肉汁が豊かだったり、固かったり柔らかかったり…
いろんな歯応えがあるけれど、どれも全部オイシイのさ。
様々な食感を、ファンたちの個性と解釈し、また”Delicious”(美味しい)を金銭的な意味で儲かるという意味でとらえれば、「お金を落としてくれればどんなファンでも大切だ」いうメッセージだと考えることができます。
「お金を落とす」とは、具体的には、公式動画の視聴、CDや配信曲の購入、ライブへの参加などがそうですが、セカオワの作品に関わり、愛好してくれるファンへの感謝が込められているとも言えます。
2番
時間をかければ良いわけじゃない
それぞれ適した調理法がある
寝かせるもの、さっとやるもの
味付けの濃いもの、素材を活かすもの
新鮮なもの、腐敗したもの
固くするもの、柔らかくするもの
食べ頃もある、旬もある
じゃあさ僕はどうなんだい?
食べ頃も過ぎて旬も過ぎたかい?
美味しいまんまでいれてるのかな
コックの腕が試される時だね
嫌がったって胃袋にねじ込む
一度食べたら忘れられない味に
神の恵みに感謝していただく
味がなくならないでね
時間をかけて料理すればいいとは限らない。
食材に合った調理の仕方がある。
時間を置いたり、手早く処理したり、
調味料をふんだんに使ったり、味付けしなかったり、
新しいままか発酵させるか、
食感を変化させるか…。
ところで、今の僕はどうなんだろう。
もう賞味期限もシーズンも過ぎたかな。
味が落ちてないか心配だ。
ここからが料理人の腕の見せ所。
たとえ君が嫌がっても、強制的に食べてもらうよ。
素晴らしい味を提供してみせるから。
偶然の巡り合わせに感謝しながら、
僕も君の養分をいただくよ。
ずっと美味しいままでいてくれよ。
ここでは「作品づくり」が「料理」に例えられています。
「味」は「作品の良さ」「バンドの人気」を意味しています。
常に「旬」の存在でありたい、すなわちファンを飽きさせない存在でありたいという意気込みや、そのために「コック=音楽家」としての腕が問われるという自戒が込められています。
また、「一度食べたら(聞いたら)忘れられない」ような作品を作るから、とにかく聞いてくれという、ファンにとっては嬉しい言葉を投げかけています。同時に、ファンが落とすお金が頼りだというシビアな現実を表現しています。
Juicy(ジューシー)
Crispy(サクサク)
Crunchy(ボリボリ)
Fluffy(フワフワ)
Tender(やわらかい)
Chewy(モチモチ)
All Delicious
(一度解釈したので割愛します)
再びリズミカルに様々な食感を羅列します。先ほどはファンたちにも色々な個性があると解釈しましたが、同時にセカオワ自身の多彩な音楽性を意味しているとも考えられます。
Juicy(ジューシー)
Crispy(サクサク)
Crunchy(ボリボリ)
Fluffy(フワフワ)
Tender(やわらかい)
Chewy(モチモチ)
All Delicious
(一度解釈したので割愛します)
繰り返されます。
食は人の生命維持に欠かせないものであることから、セカオワにとっての音楽も同様に生きていくための糧だということを表現した歌だと考えられます。
また、食べ物に多様な美味しさがあるように、音楽や人間のさまざまな多様性を讃える、セカオワ流の現代的な賛美歌と解釈することもできそうです。