【米津玄師/Paper Flower】の歌詞の意味を徹底解釈 | 曲名のイメージは「華やか」だが米津玄師の伝えたいことはそうではない
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
Paper Flowerという曲名の意味を考察
ペーパーフラワーと言えば、パーティ会場などで使われる装飾品を連想する人が多いと思います。ふわふわカラフルで見る人を楽しませ、場に華やかさを与えてくれるものと言う印象です。
しかし、当然ながら作り物なので、生花の持つ気品や儚さはありません。どんなに良くできていようと本質は紙ですから、色形も質感も紙のそれにしかなりません。
本物の花を真似た偽物、美しさを衒い内実に欠けた物質、そう考えるとどこか空しく不気味でもあります。
Paper Flowerの歌詞の意味を徹底解釈
1番
言葉が出ない 何をしていても 最後に残るのは グズついた愛 祈るように眠る あなたを見ていた 車は向かう トンネルを通り ストローみたいに あなたの胃の 中へ 祈るように眠る あなたを見ていた
何をしていても意味がないように思う。最後には未練がましい気持ちが残る。 祈るように眠るあなたを見ていた。 車はトンネルを通る。まるでストローを通じて胃に落ちるように。 祈るように眠るあなたを見ていた。
「言葉が出ない」ことは感情が動かないことや頭が働かないことと捉えられます。
また、「言葉」は意味と読み替えることもできるため、主人公が「何をしていても」ぼんやりと虚ろな気持ちを抱えていることがわかります。主人公が自覚している感情は「最後に残る」「グズついた愛」だけです。
この未練は「あなた」に向けられたものと考えられると同時に、生に対する執着とも考えられます。
前者の解釈をすれば「あなた」と主人公の関係は惰性で繋がっている状態だと考察できます。後者では、主人公が日常に虚無を覚えながらも本能的な生命保存欲求にジレンマを感じていると捉えることができます。
主人公の隣で「あなた」は「祈るように眠」っています。意識的な行為である「祈」りを睡眠に重ねていることから、主人公にとって無覚醒の状態が聖域のような安全地帯であることが伺えます。
あるいは、「あなた」も主人公と同様に憂鬱な気持ちを抱えていて、目を逸らそうと夢の中へ逃げ込んでいるのかもしれません。 二人を乗せた「車」は「トンネル」を走っていますが、目的地は示されていません。
「あなたの胃の」「中」は実際の目的地には成り得ませんが、そこへ吸い込まれるように向かっていると主人公は感じています。目指すべきものがないにも関わらず動き続ける様子からは虚無感や浮遊感が漂ってきます。
広告に悪意のグラフィティ ボコボコの自動販売機 知った風にはにかんでみたり 知らないふりでニヤついてみたり 陸橋の手すりに登り お月様眺めてふらり ほころんだ空洞の中で ここだけが世界の終わり
「広告」の不快さは様々あります。
人目を引くためにわざとネガティブなイメージを載せたものや、風刺が行き過ぎているもの、捉え方によっては中傷に成り得るもの。「自動販売機」は、鬱憤を溜めた誰かに殴ったり蹴ったりされたのでしょう。
しかし意思のない物体は黙って「ボコボコ」になった姿を晒しています。
「知った風にはにかんでみたり」「知らないふりでニヤついてみたり」した経験は誰にでもあるはずで、同時に生じる自己嫌悪にも覚えがあるはずです。場に沿うように表情を動かすことはできても、根本的には物事を無視しているだけで、問題から逃げている自覚は残り続けます。
主人公は不安定な場所に立って空を仰いでいますが、普通なら緊張を禁じ得ない状況で「ほころんだ空洞」を感じています。空っぽで停滞していた気持ちが、ほんの少し動いたことが読み取れます。
主人公が現状の生活を嫌厭していることを合わせて解釈すると、「世界の終わり」は無念と言うより開放や絶対的な安全と捉えるのが適切です。
言いたいことなんてそんなない 想像より二人はくだらない 白けた日々よ泡になれ ハレルヤ
「想像より二人はくだらない」と言う一文は、主人公と「あなた」の人間性を見下しての発言とも、誰かと一緒にいる状態を「くだらない」と捉えた発言とも考えられます。
いずれにせよ彼らの日常は「白け」ているので、いっそ「泡」と消えてくれた方が主人公にとっては有難いようです。
目の前の思い出が消えていく あの時あなたはなぜ泣いていたの? 花が落ちるスピードで歩いていく 止まることのないメリーゴーラウンド
主人公と「あなた」はそれなりに近しい間柄のはずですが、主人公は相手の気持ちを把握できていません。
「目の前」に感じられる程はっきりと「あなた」が「泣いていた」「時」のことを記憶していますが、理解ができないまま忘れそうになっています。
涙の理由を問いかけていることから、主人公が「あなた」の心を知りたがっていることがわかりますが、同時に「思い出が消えていく」のをなす術もなく見つめていて、精神的な距離を縮めることには消極的な様子です。
もしかすると主人公の陰鬱は、「あなた」の気持ちを知りたいのに理解できなかった苦悩に起因しているのかもしれません。 「花が落ちるスピード」はあまりにも抽象的な表現で、主人公の漠然とした憂鬱を強調しているように感じられます。
同じ場所をぐるぐる回り続ける「メリーゴーラウンド」、それが「止まることのない」と言うのは、目的も変化もないまま続いていく主人公の日々に重なります。
また「メリーゴーラウンド」からは、走馬燈や同じことばかりを考えてしまう思考パターンが連想され、主人公が出口のない自問自答を繰り返していることがわかります。
2番
寝室から出るとそこはまた寝室 部屋を出る自分の背中が見えた 祈るように眠る あなたを見ていた 清潔な空気で汚れてしまった 窓の外のブランコが揺れるお庭 祈るように眠る あなたを見ていた
「寝室」を「出」たはずなのに同じ場所に戻ってしまうと言う描写からは、どこにも行けないと言う主人公の閉塞感と、現実と非現実の境が曖昧になっているような一種の狂気が感じられます。
「清潔」も度を超すと、自然本来の耐性を奪ってしまいます。また、「清潔」感を気にするあまり神経質が病的な域に達することもあり、これでは精神的には「汚れてしまった」ようなものです。
「窓の外」で「ブランコが揺れるお庭」は平和的ですが、そこに漂う「空気」は「汚れて」いるので誰も遊びに出ることはできず、風に吹かれるばかりで存在意義を失った「ブランコ」が却って空しさを誘っています。
遠くで湧き上がるコメディ その裏に隠したトラジティ フィキサチーフで仕上げたヒューマニティ 巧妙に謳った神様のパロディ 7号線レイトショー帰り 全てがスロウになるあまり 喧騒さえ眠る最中で ここだけが世界の終わり
悲しさを紛らわせるためにわざと笑うのは、本質を「隠し」ていることになるので、実は不誠実な行為です。
「フィキサチーフ」は画材の一種で、木炭やパステルなど粉状の素材で描いた線が掠れるのを防ぐ定着剤です。ここでは擦ればぼやけてしまう危うげな「ヒューマニティ」の見てくれを保つために使用されています。
作為で「仕上げ」られたこの「ヒューマニティ」は、一見すると美徳のようで、実態は「巧妙に謳った神様のパロディ」、つまり高尚に見せかけたこけおどしでしかありません。 主人公が見た「レイトショー」の内容は、憂鬱と卑屈に拍車をかけるばかりだったようです。
「全てがスロウにな」り「喧騒さえ眠る」感覚は、主人公の体感がいよいよ閉じてきていることを示唆しています。静かな孤独に主人公は安堵を覚えているようです。
言いたいことなんてそんなない 想像より二人はくだらない 白けた日々よ泡になれ ハレルヤ
一度解釈したので割愛します。
積み上げた塔が崩れていく 所詮その程度の知育玩具 私は未だにあなたへと 渡すブーケを作る陰気なデザイナー
「積み上げた塔」は、「知育玩具」と表されていることから、主人公の理性を形作っている思考や記憶、経験、感情などの精神活動全般を指していると考えられます。
それらが「崩れていく」のを放置し「所詮その程度」と見放していることから、主人公の「陰気」の度合いが伺えます。もはや何もかもがどうでもよくなってしまっているようです。
それでも「未だにあなたへと」「渡すブーケを作」っています。この「ブーケ」は曲名にあるペーパーフラワーの束だと考えられます。「ブーケ」は本来、祝福や感謝の意で贈られるものですが、無感動無感情の主人公には気持ちを物体に込めて「渡す」ことなど至難のはずです。
だから紙でできたまがい物がちょうどいいのでしょう。
目の前の思い出が消えていく あの時あなたはなぜ泣いていたの? 花が落ちるスピードで歩いていく 止まることのないメリーゴーラウンド
一度解釈したので割愛します。
積み上げた塔が崩れていく 所詮その程度の知育玩具 私は未だにあなたへと 渡すブーケを作る陰気なデザイナー
一度解釈したので割愛します。