【宇多田ヒカル / 真夏の通り雨】の歌詞の意味を徹底解釈 |すべて日本語で書かれている流れるような歌詞を紐解く
編集: ひいらぎ最終更新: 2023/2/14
真夏の通り雨という曲名の意味を考察
通り雨は、短時間に降る雨のこと。通常であればすぐに晴れるはずなのに、この「真夏の通り雨」の曲の中ではやむことはなく深く長く降り続きます。このようなことから大切な人との別れを歌っているのでしょう。切ない歌詞からはその別れは永遠のものだと感じられます。
真夏の通り雨という歌詞の意味を徹底解釈
1番
鮮明だった世界はもう幻想
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
この歌詞の部分では、夢を見ていたが途中で目を覚ましてしまい、もう一度夢の続きを見たいと思っていても戻ることができないと伝えているようです。
一度目を覚ましてしまうと、夢の続きを見ることは難しく、それはもう幻と化してしまいますよね。
夢の中に戻りたいということは、夢がとても居心地がよかったのでしょう。
もしかすると懐かしい風景を思い出していたのかもしれません。
鮮明だった夢の世界。
目を覚ました後の世界は、色褪せているようにも受け取れます。
想い出を刻んでいく
汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
たくさんの初めてを深く刻んだ
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
静かに流れるように歌われるこの部分は、過去のことを思い出しているようです。
「そっと抱き寄せて」という言葉から、相手が主人公をとても大切にしてくれていること、優しく見守り受け入れてくれていることが伝わりますよね。
そして見守るだけでなく、いろいろなことを教えてくれた、と記しています。
この時間は主人公にとって特別であり、今でも心に深く刻まれているのかもしれません。
あなたへの想いを馳せる
揺れる若葉に手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えてほしい
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
ここでは初夏の風景が描かれています。
芽吹いたころの葉は柔らかく、そして大きくなろうとする勢いがありますよね。
落ち葉など成長した葉ではなく、あえて若葉と表現しているところに、もの悲しさを感じます。
もしかすると悲しみがいつになったら消えるのか、と尋ねる対象は若葉でなくても良いのかもしれません。
なかなか悲しみが癒えない様子が伝わってきますよね。
2番
幸せだけれど自信がない
今日私は一人じゃないし
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
このフレーズではふと我に返り、今の自分を見つめています。
それなりに幸せな日々を過ごしているのだから、それでいいんじゃないの、と無理やり納得させているようです。
そのあとに「言い聞かせてる」と記しているので、本当は幸せなのかどうか不安な思いもあるのでしょう。
何か物足りない思いも抱えているのかもしれません。
サヨナラの仕方を誰か教えて
勝てぬ戦に息切らし
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
フレーズの中にある「勝てぬ戦」は人生の中での苦しい状況のことであり、「息切らし」は苦しさを感じていることを示しているのでしょう。
この部分では主人公が苦しんでいた日々を思い出している様子が描かれています。
その時は苦しんで苦しんで逃げたいと思ったし、思い出したくもないけれど、でもその時間を忘れてしまったら私ではなくなってしまうのではないか、と葛藤しているようです。
どのようにしたら納得してお別れができるのか、誰でもいいから教えてほしい、という願いが伝わってきます。
あなたを頼りたい
誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
1番では手を伸ばしたのは「若葉」でした。
2番になると「誰か」に変化をしており、ふとした瞬間に今はもう二度と会うことができない相手を思い出す様子が描かれているようです。
身近にいる時はたいして会話をすることもなかったのに、今はどんな小さなことでも聞いてみたい、教えてほしいという気持ちがあふれているように感じます。
いっぱいという言葉の後に「溢れて」という言葉が繰り返されていますが、繰り返すことによってその思いが強く伝わってきますよね。
どんなに時間が経っても
木々が芽吹く 月日巡る
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送りびとの影
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
このフレーズでは木々が芽吹いて時が流れても、たとえ自由になったとしても、自分の気持ちは変わらない、そして気持ちを伝えたいという思いを語っているようです。
季節が巡っていくことを「木々が芽吹く、月日が巡る」と表現しているところは日本の四季を感じることができる部分でもありますよね。
見送りもまたいろいろなシーンで使われますが、このフレーズでは「見送りびとの影」とあるので、大切な人が亡くなり、お見送りをしているのでしょう。
立ち尽くす、という言葉からは静かな悲しみを感じます。
今も続く悲しみ
思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます 尚も深く
降り止まぬ 真夏の通り雨
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
「真夏の通り雨」という曲名ですが、今まで一切雨に関する言葉は出てきませんでした。
このフレーズで出てくる通り雨とは通り過ぎるようにサッと降って、そのあとすぐに止んでしまう雨。
ですが雨雲が移動したときに降るので、また何度も降る可能性があります。
「乱暴につかんで離さない」という部分では、常に相手のことを思い出すわけではないけれど、ふとした瞬間に思いだし、なかなか忘れられないという押しつぶされるような感覚もありますよね。
通り雨のように一瞬で止むわけではなく、いつまでも静かに静かに降り続ける様子が垣間見えるので、今でも悲しみは続いているのかもしれません。
降り止まなければ梅雨時期や秋でも良いのに、真夏としたところは、宇多田さん自身の経験からきているのかもしれませんね。
もう一度会いたい
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて 明日へ
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
この部分のフレーズも曲の一番最初に出てきた部分です。
夢の中で目が覚めても、まだ夢から覚めたくないという感覚を表しているのでしょうか。
過去にいた人を思い出す気持ちが強いこともうかがえます。
最初は鮮明だった世界が幻であったと記していましたが、ここでは、「未来をたずねて明日へ」とほんの少し心境が変わったようです。
決して会うことがない、目の前にいない相手をいつまでも求めて、歩んでいくのかもしれませんね。
いつまでも癒えることはない
ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き
真夏の通り雨 -宇多田ヒカル
最後のフレーズです。
歌い方が静かに静かにフェイドアウトしていくことから、雨がずっと降っている様子わかります。
「止まない雨」は、人生の難しい時期を意味しているのでしょう。
本来雨がずっと降っているならば湿った状態なのに、次の歌詞には「渇き」という言葉が出てきます。
このことから心はいつまでも渇いたままであり、なかなか前に進むことができない様子が感じられます。
ぽっかりと心にできた空虚な気持ちはなかなか癒すことはできません。
この歌詞では、空虚な気持ち、悲しく切ない気持ちを無理に忘れる必要はないと言っているようです。
まとめ
今回は宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」の歌詞の意味を徹底解釈しました。
「真夏の通り雨」は、大切な人と過ごした日々を思い出すと、いつまでも痛みが残っており、なかなか癒えないという気持ちを表しているようです。
歌詞は夢の途中で目を覚ますという形で始まっているので、現実と過去との間に揺れ動く自分の気持ちが描写されているのかもしれません。
また、止まない雨と止まない渇きは、大切な人に思いを馳せることが続くことを表しているようです。
悲しみにそっと寄り添ってくれるような歌詞でした。
歌詞を聞いて、深く共感する人も多いのではないでしょうか。
これからもmusic.branchwithでは宇多田ヒカル を追って行くのでぜひチェックしてみてください!