【ALEXANDROS/ワタリドリ】の歌詞の意味を徹底解釈 | 今だからこそわかる曲名の本当の意味とは
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
ワタリドリってどんな曲?
10枚目のシングルである「ワタリドリ」。
映画「明烏」の主題歌となり、アサヒビールのCMソングとしても起用されました。
一度聞けば耳に残るイントロが印象的で、疾走感溢れるサビと、迷いなく飛び続けるまさにワタリドリのように、挑戦し続けていくんだという歌詞が、私たちに「追い風」をくれるはずです。
ワタリドリという曲名の意味を考察
「ワタリドリ」というタイトルに込められた意味とはなんでしょうか。
渡り鳥は、食料、環境、繁殖などの事情に応じて、定期的に長い距離を移動する鳥です。望む場所へ行くために、長い長い道のりを何度も旅します。
彼らは、そんな鳥たちに自分たちを重ね、常に上を追い求め、成長していく。そして、たどり着いた場所から、「ありもしないストーリー」を届ける。そんな意味が込められています。
ワタリドリの歌詞の意味を徹底解釈
1番
I wanna fly so high
Yeah, I know my wings are dried
「翼仰げば」って人は云う
その向こうにあるは無情
飛べる者 落ちる者
夢を叶えたい。
僕にそんな力は無いけれど。
勝者と敗者の世界で、残酷にも墜落する怖さは無視して、人々は「やればできる」って簡単に言う。
「I wanna fly so high(高く飛びたい)」、「I know my wings are dried(僕の翼が枯れていることは分かってる)」。
この歌詞から、主人公には夢があってそれを叶えたい。でもその実力が今の自分には無いことは分かってる。と言うように、チャレンジすることへの不安が感じられます。
ここでは「勝者と敗者」で解釈しましたが、夢見ている場所は厳しい世界で「飛べる者と落ちる者」がいる。
それなのに、人は簡単に「翼仰げば(やれば)」、出来るって言ってくる。この恐怖は誰にも分からない、そんな主人公の孤独感もうかがえます。
誰も見てない
気にも留めない
それでも飛び続けた
傷ついた言葉乗せ
運びたいから
関心を持たれなくても、求められていなくても、諦めなかった。
きっとこの想いが響く人の所へたどり着くために。
誰も見てくれず、気にも留めてもらえない。誰からも求められていなくても、めげずに飛び続ける。孤独に歌い続ける主人公の切ない気持ちが伝わってきますね。
そして「傷ついた〜運びたいから」の部分。今はこんなだけど傷ついたことや辛いことを言葉にして、それがいつか誰かの心に届いて役に立ってくれる事を信じている。だから誰も聞いてなくても歌い続けられるのです。
追いかけて 届くよう
僕等 一心に 羽ばたいて
問いかけて 嘆いた夜
故郷(まち)は 一層 輝いて
ワタリドリのように今 旅に発つよ
ありもしないストーリーを
描いてみせるよ
がむしゃらに追い求めては、自分が信じられなくなって悲しくなる。
そんな夜は、故郷が恋しくなるけど、望む場所にたどり着くために、恐怖を捨てて旅立つ。
叶うはずないと思っている人たちに、夢を叶えた僕等を見せる。
自分を信じるということは大事です。夢を追いかける人にとって、それがなくなってしまったらきっと前に進めません。
夢中になって追いかける主人公は、夢に向かって「一心に羽ばたいて」います。それでも時々これで大丈夫なのかと思ってしまうこともあるのでしょう。
その度に「問いかけて」は不安になり、「嘆いた夜」。ネガティブになり故郷が恋しくなるのだと思います。
一層輝いて見える、生まれ育った故郷に感謝しながらも、飛び立つ覚悟を決めたのですね。
そして、「ありもしない」誰もが想像できなかった自分たちの姿、つまり夢を叶えた自分たちの姿を見せるよと言っています。
2番
I wanna fly so far
away with my guiter
「一人じゃない」って人々は歌う
間違いじゃない
理想論でもない
ただ頼って生きたくはない
このギターと一緒に、もっと遠くへ飛んで行きたい。
みんなが歌っているように、確かに僕たちはきっと一人ぼっちじゃない。
無責任に励ますような言葉じゃない。
でもその事に安心している自分ではいたくない。
高く、そしてもっと遠くへ行きたい、戦友であるこのギターと一緒に。さらなる願望を歌っていますね。
大勢のアーティストが、口を揃えるかのように「一人じゃない」、そう歌っています。それは確かに「間違いじゃない」、主人公もそう思っています。
また、それは「理想論でもない」、つまり現実のことは考えず、理想だけを語るような、無責任な言葉なわけでもない。
僕が言いたいのは「ただ頼って生きたくはない」ということ。文字通り、誰かを頼って生きることはしたくない、という意味もあると思いますが、「一人じゃない」という「言葉」自体にも頼っていたくない、と言っているのだと思います。
そうやって心に安心を求めるのは違うんじゃないか、そう思っているのでしょう。
誰も聴いていない
気にも留めない
それでも歌い続けた
傷ついた あなたを
笑わせたいから
歌い続ければいつか届くはず。
遠くで辛い思いをしている君を救いたい。
主人公の目の前にいる人たちは、誰も耳を傾けていなくても、遠く離れた君には、‘この歌が届くはず。傷ついた君の心に向かって、笑顔にしたいという、叫びにも似た言葉だと思います。
自分自身が傷ついたからこそ、それを歌にすることが出来る。同じように傷ついた人も救える、そう強く信じ歌い続ける主人公の強い思いが感じられます。
追い風 届けるよ
僕等 一心に 羽ばたいて
遠い過去を 背負ってた
あなたを未来へ運ぶよ
ワタリドリの様に今 群れをなして
大それた四重奏を 奏で終える日まで
君を後押しできるように、ひたすら歌い続ける。
長い間苦しんでいた君が、前に進めるように。
僕たち4人の、唯一無二の音楽を、最後の日まで奏で続ける。
遠い昔のことで、ずっと苦しんでいた君を、僕たちの音楽が追い風となり、未来へ連れて行く。その一心で彼らはずっと奏で続けると言っていますね。
「大それた」とは、常識から大きく外れている様のことを言います。唯一無二、誰も出来ないような僕たちの音楽をずっと届けて行くということでしょう。
3番
All this time we come and we grow
Now it’s time that we should go
But we both know that this is for sure
It’s not the end of the world
Well, see you one day
常に成長しながら、これまでやって来た。
今こそ飛び立つ時。
でも僕たちはちゃんとわかってる。
これは永遠の別れではないこと。
いつの日か、また会おう。
その場所に安住することなく、常に良い場所を追い求め、飛び立って行く。渡り鳥のように、彼らも一つ一つ乗り越えて、ここまでたどり着いたのです。そしてまた次の場所へ飛び立って行きます。
でもこれは、永遠の別れではない。「Well, see you one day」=じゃあまたね。またいつの日か会えるということですね。
追いかけて 届くよう
僕等 一心に 羽ばたいて
問いかけて 嘆いた夜
朝焼け色に 染まっていく
ワタリドリの様に いつか舞い戻るよ
ありもしないストーリーを
いつかまた会う日まで
苦悩した日々は、光が差すように報われていく。
戻って来たときには、一層成長した僕たちを見せるよ。
長く苦しんだ夜は明けて、朝焼けのように光輝きだした彼らは、満足することなくまた別の場所へと旅立ちます。
そうして戻って来る頃には、さらに成長した自分たちを見せるから、楽しみにしていて、そう言っているような歌詞ですね。
まとめ
どんなに聴いてもらえていなくても、信じて歌い続ける強さはどこから来るのだろう。
誰も耳を傾けてくれなければ、「必要とされていない」そう思ってしまい、心も折れてしまいます。
歌詞の中に、「一人じゃない(という言葉は)間違いじゃない」。「頼って生きたくはない」という部分があります。これはつまり、「この傷は僕だけのものじゃない」ということなのではないでしょうか。
誰かが支えてくれるという意味ではなく、辛いのは僕一人だけじゃない、遠くで同じように傷を背負っている人がいる。だからこそ、いつか誰かにこの言葉が響くと信じることができるのだと思います。