【米津玄師/ペトリコール】の歌詞の意味を徹底解釈 | 虚無感がなんともいえない一曲!
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
ペトリコールという曲名の意味を考察
「ペトリコール」とは、雨が降った時に地面から立ち昇る匂いのことです。厳密には雨が降る前の匂いを指します。どんよりとした曇天の下に漂う、湿気を含んだ独特の空気に「ペトリコール」はあります。
雨は陰気を誘います。明確な理由があるわけではないのに、ただ雨が降ると、あるいは降りそうだなと思うと、それだけで心が重くなってしまいがちです。
この憂鬱は不可避の自然現象に対するもので、意味も目的もありません。それだけに対処の仕様がなく、虚無感を募らせます。
ペトリコールの歌詞の意味を徹底解釈
1番
これは夢かもしれない 深く霧の立ちこめた場所で
一人歩き続けた 何処へ向かうのかわからないまま
今何の当てもなく意味も見つからず迷いだす 心は揺れる
ビアンコの海
レインコートを這う水滴が弾けては落ちていく 虚しさはまだ
募っていく
解釈現実味を感じられない。霧の深く立ちこめた場所で
目的もなく一人歩き続けた。
向かう先に当てもなく意味もないと気付き心は迷う。
海のように広がる白い霧。
レインコートの表面を水滴が流れ落ちていく。虚しさはまだ
募っていく。
「海」に例えられる程に濃い「霧」の中を主人公が「歩」いています。
目的地はなく、それを決める「当て」さえありません。「意味」のない歩行を続けながら彼の「心」が「揺れ」ているのを見ると、主人公が「歩き続け」ることに違和や疑問を感じているのがわかります。しかし彼の行動にはそもそも目的がないので、立ち止まる理由もありません。
主人公が抱える「虚しさ」は、この「意味」の欠如から来ていると考えられます。視界を奪う「霧」の白さにも助長され、虚無感は「募っていく」ようです。
また僕は大事なことを忘れて彷徨う亡霊
いつまで経っても歌えない 間違いさえもわからない
ここは今空虚な夢の世界とそう思い込んで
僕は歩いてくんだって 叫び疲れたまま
解釈また僕は大事なことを忘れて亡霊のように彷徨っている。
いつまで経っても虚しいまま。どこで何を間違ったのかさえわからない。
ここは空虚な夢の世界だと自分に言い聞かせて
苦しさを抱えながら歩いていくしかない。
「亡霊」は誰にも知覚されず、未練に縋り続けるために消え去ることさえできない孤独な存在です。いくら「叫」んでも、その声が他者に届くことはありません。
主人公の未練は「また」「忘れて」しまった「大事なこと」にあると想像できます。それを思い出すことができれば、「虚しさ」を埋めて生者に戻ることができるのでしょうか。
少なくとも彼は期待していないようです。「いつまで経っても歌えない」と強く否定しています。「歌」う行為は人生を謳歌することと読み替えることができます。彼は「間違い」を犯して、つまり人生のどこかでつまずいて「虚しさ」を育ててきたようですが、原因を自覚できていません。わからないものは訂正の仕様がありません。
彼にできるのは、自分の「歩いて」いる場所を「空虚な夢の世界と」「思い込」むことだけです。「夢」であれば「迷い」も「虚しさ」も「疲れ」も勝手に消えてくれます。
しかし実際には「虚しさ」は主人公に付きまとい、「歩き続け」ることは止められません。意識的な気休めが却って「疲れ」を増幅させたのではないでしょうか。
2番
これは夢かもしれない 深く霧の立ちこめた場所で
一人歩き続けた 何処へ向かうのかわからないまま
今何の当てもなく意味も見つからず迷いだす 心は揺れる
ビアンコの海
レインコートを這う水滴が弾けては落ちていく 虚しさはまだ
募っていく
現実味を感じられない。霧の深く立ちこめた場所で
目的もなく一人歩き続けた。
向かう先に当てもなく意味もないと気付き心は迷う。
海のように広がる白い霧。
レインコートの表面を水滴が流れ落ちていく。虚しさはまだ
募っていく。
「海」に例えられる程に濃い「霧」の中を主人公が「歩」いています。
目的地はなく、それを決める「当て」さえありません。「意味」のない歩行を続けながら彼の「心」が「揺れ」ているのを見ると、主人公が「歩き続け」ることに違和や疑問を感じているのがわかります。
しかし彼の行動にはそもそも目的がないので、立ち止まる理由もありません。
主人公が抱える「虚しさ」は、この「意味」の欠如から来ていると考えられます。視界を奪う「霧」の白さにも助長され、虚無感は「募っていく」ようです。
また僕は大事なことを忘れて彷徨う亡霊
いつまで経っても歌えない 間違いさえもわからない
ここは今空虚な夢の世界とそう思い込んで
僕は歩いてくんだって 叫び疲れたまま
解釈また僕は大事なことを忘れて亡霊のように彷徨っている。
いつまで経っても虚しいまま。どこで何を間違ったのかさえわからない。
ここは空虚な夢の世界だと自分に言い聞かせて
苦しさを抱えながら歩いていくしかない。
「亡霊」は誰にも知覚されず、未練に縋り続けるために消え去ることさえできない孤独な存在です。
いくら「叫」んでも、その声が他者に届くことはありません。主人公の未練は「また」「忘れて」しまった「大事なこと」にあると想像できます。それを思い出すことができれば、「虚しさ」を埋めて生者に戻ることができるのでしょうか。
少なくとも彼は期待していないようです。「いつまで経っても歌えない」と強く否定しています。
「歌」う行為は人生を謳歌することと読み替えることができます。彼は「間違い」を犯して、つまり人生のどこかでつまずいて「虚しさ」を育ててきたようですが、原因を自覚できていません。わからないものは訂正の仕様がありません。
彼にできるのは、自分の「歩いて」いる場所を「空虚な夢の世界と」「思い込」むことだけです。「夢」であれば「迷い」も「虚しさ」も「疲れ」も勝手に消えてくれます。
しかし実際には「虚しさ」は主人公に付きまとい、「歩き続け」ることは止められません。意識的な気休めが却って「疲れ」を増幅させたのではないでしょうか。