【神はサイコロを振らない / 修羅の巷】の歌詞の意味を徹底解釈 |逆境を乗り越えていく強さがが伝わる『ラストマン-全盲の捜査官-』挿入歌の歌詞を紐解く!
編集: ひいらぎ最終更新: 2023/5/11
日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』ってどんなドラマ?
\3話オフショット/
— 日曜劇場『ラストマンー全盲の捜査官ー』4話5月14日放送 (@LASTMAN_tbs) May 10, 2023
皆実さんが大好きなあのシリーズ‼️
『名刑事マイホームズ』の2S📸#ラストマン のバディも見どころですが、
こちらのバディもカッコイイ✨
第3話をもう一度ご覧になりたい方は
TVerで👍https://t.co/xT6ZZXKTjb#無敵のふたり#福山雅治 #大泉洋 #石黒賢 #山下リオ pic.twitter.com/UsBnR4v6tV
TBS系日曜劇場『ラストマン-全盲の捜査官-』は、アメリカと日本の警察が協力して行う犯罪捜査を描いたドラマです。
全盲ながらも優れた分析力と嗅覚を持つFBIの皆実広見と、並々ならぬ正義感を持つ現場主義の警察官、護道心太朗。
皆実は全盲の人たらし、護道は犯人逮捕のためには手段を選ばない…。
そんな凸凹バディは少しずつ距離を縮め、難事件に挑んでいきます。
1話完結型ですが、事件は世の中を反映させた内容になっており、さらに皆実家と護道家の秘密も徐々に明らかになってきます。
痛快なやりとりの裏に隠された秘密とは…。
誰も予想しなかった運命が待ち受けるドラマになっています。
修羅の巷という曲名の意味を考察
「修羅の巷」は、人生の激しい闘いの中で生きることを表現した言葉で、社会の厳しさや人間関係の複雑さに直面しても、自分自身を貫き通すことを意味しているようです。
歌詞の内容も、過去の自分や社会の価値観に縛られることに苦しみながらも、自分自身を見つめ直し、逆境を乗り越えていこうという強い意志が感じられます。
修羅の巷という歌詞の意味を徹底解釈
虚勢の脱却
生まれながらにしてずっと
比べられてきた半生記を
喉の奥掻き毟って
なかったことにしてくれ
修羅の巷 -神はサイコロを振らない
主人公は、他人と比べられることを常に意識して生きてきたようです。
それは一生のうち半分近く続いてきたのでしょう。
もうそれを気にするのはやめたい。辛いんだ、と訴えているようです。
過ぎたこと、消えたことにして欲しい、と切に願っているのではないでしょうか。
自由になりたい
枷のないアウトサイダー
ギリギリでも生きていたいな
一か八か丁か半か
神のみぞ知る運命
修羅の巷 -神はサイコロを振らない
”枷のないアウトサイダー”とは、束縛されず自由に生きることを望む人を指しているのでしょう。
限界ギリギリの状況でもいいから、自由に生き延びたいという強い意志が感じられます。
この先の人生、どちらに転ぶか分からない博打のようなものかもしれないけれど、深く考えていてもしょうがない、と主人公は思ったのでしょう。
運命を決定するのは神なのだから、なるようにしかならないと考えたのかもしれません。
無意味とは
栄光なんてくだらない理想に
縋ってたい
無様にいこうぜ
愚か者と嘲笑われたって
堕落のlonely knight
Falling down
背負う罰とpast
修羅の巷 -神はサイコロを振らない
栄光や理想を追い求めることは、無意味であるということを述べているようです。
かえって愚か者と呼ばれ嘲笑われても、堕落した孤独な騎士のように歩んでいくほうがいいと思っているのでしょう。
しかしその選択には、過去の過ちや、背負うべき罰が付きまとうといったリスクがあると主人公は考えているようです。
踏みしめる諦念の街
華やかなレッドカーペット
地に足つけ掴んだ栄光
夜桜掘り起こす過去
埋まったままの諸行無常
修羅の巷 -神はサイコロを振らない
地道に努力を重ね栄光を勝ち取ったけれど、過去の問題や悲しみは、時に蘇ってしまい、未だに心が埋まっていないままだと伝えているようです。
人生というものが複雑で不確定なものであるということを伝えたいのでしょう。
人生には瞬間的な価値があるということを表現しているのではないでしょうか。
闇の向こうへ
ブラックアウト暗い視界に
フラッシュバックする後遺症に
グラグラグラ目眩を邁進
風見鶏は南に
修羅の巷 -神はサイコロを振らない
このフレーズでは、昔の出来事が鮮明に思い出されるフラッシュバックが起こっていることが示唆されているようです。
主人公は過去に相当辛い思いをしたのでしょう。
過去のその時の出来事を思い出すだけでグラグラと不安定になり、眩暈を感じるようです。
心の中の秘めた感情
Why me?
痛むたびhighになってdive
気分はどう?
無機質な抱擁で
マニュアル通りの手つき手順でいい
満たしてくれbaby
Falling love
残るkissの味
修羅の巷 -神はサイコロを振らない
”Why me?”とは直訳すると「なぜ私なの?」という意味であり、悩んでいる気持ちが表現されているようです。
痛みや苦しみの中でも高揚感を感じ、あえて苦しみの中に飛びこんでしまう自分に問いかけているのでしょう。
最後には、キスの味が残るような切なさが表現されているようです。
ある種の傷つきや孤独を感じている主人公が、愛についての葛藤や秘めた感情を表現しているように感じるフレーズです。
修羅の炎
自由も正解も
安らぎもない修羅の巷で
無様にいこうぜ
愚か者と嘲笑われたって
堕落のlonely knight
Falling down
背負う罰とpast
狂ったように咲く火花
修羅の巷 -神はサイコロを振らない
自由や正解も安らぎもない、荒んだ場所で生きていかなくてはならない状況が描かれているようです。
周囲の人に愚か者だと笑われても、最後まで生き抜くという決意を表しているのでしょう。
誰かと競うわけでもなく、自分流に生きていこうという決意が感じられます。
”Lonely Knight”という言葉が出てきますがこれは「孤独な騎士」という意味であり、誰かと共に戦うわけではなく、ひとりで戦っていく決意が示されているのかもしれません。
修羅の巷で生きていくには、命がけで戦うことが必要であると考えており、決意と切なさ、そしてこれから行く道の困難さが象徴されているのではないでしょうか。
まとめ
今回は神はサイコロを振らないの「修羅の巷」の歌詞の意味を徹底解釈しました。
「修羅の巷」の歌詞は、自分自身の人生に対する悩みや苦しみ、そして自分自身との戦いを描いているようです。
主人公のいる世界は、戦場のように過酷であり、生き残るためには何でもやらざるを得ない状況なのでしょう。
アウトサイダーとして孤独を感じながらも、自分の価値観や人生の選択を貫こう、逆境を乗り越えようとしている様子が伺えます。
また、過去の栄光や名声よりも、自由と正解を求める姿勢が印象的であり、曲調とともに、強烈なメッセージ性を持った歌詞だと感じられます。
歌詞を聞いて、深く共感する人も多いのではないでしょうか。
これからもmusic.branchwithでは神はサイコロを振らないを追って行くのでぜひチェックしてみてください!