歌詞解釈

【米津玄師/サンタマリア】の歌詞の意味を徹底解釈 | マリアのように献身的な女性とは

サンタマリア

dioramaに収録されている一曲。米津玄師にとって、J-popとしてのメジャーデビュー初となる楽曲である。作詞作曲だけではなく歌詞カード・ミュージックビデオに登場する絵本など数々の絵を米津玄師自身で描いている。そんなところにも注目してMVをみてはいかがだろうか。

サンタマリアをもっと知る


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サンタマリアの基本情報

サンタマリア作曲に携わった人

作詞
作曲
編曲
vocal

収録アルバム

YANKEE

米津玄師

MV

サンタマリアという曲名の意味


聖母マリアは言わずと知れたイエスの母、キリスト教の重要な聖女です。慈愛に満ちた献身的な女性、純潔の母とのイメージが強いと思います。
聖書に記述されているマリアの一生を調べてみると、上記のイメージに加え、彼女が精神的にかなり屈強だったことがわかります。若くして神の子を産むという重大な責務を背負い、その宿命を受け入れ、貧困、難民生活、家族の死と言った数々の苦難を耐え忍び、最後まで信仰を貫きました。
その人柄で他者を惹き付け、癒しと希望を与えてくれる、そんな女性こそ「サンタマリア」と呼ぶに相応しく思えます。

サンタマリアの歌詞の意味を徹底解釈

1番

掌をふたつ 重ねたあいだ
一枚の硝子で隔てられていた
ここは面会室 あなたと僕は
決してひとつになりあえないそのままで
話をしている

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

重ねた掌の間には
一枚の硝子がある。
ここは面会室。あなたと僕は
決して触れ合うことはできない。
ただ話をしている。

「面会室」を仕切る「一枚の硝子」は決して越えられない壁として「僕」と「あなた」の「あいだ」にそびえています。直接触れ合うことは叶わない状況ですが、透明な壁越しに「掌」を「重ね」ているところを見ると、彼らは互いに心を許し合っているようです。

二人の登場人物の他、この空間には物質しかありません。また、二人でいるのに「隔てられてい」ることから、「僕」が消し去りようのない孤独を抱えていることがわかります。

今呪いにかけられたままふたりで
いくつも嘘をついて歩いていくのだろうか
しとやかに重たい沈黙と優しさが
見開いた目と その目を繋いでいた
あなたは少し笑った

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

呪いを受けた僕らは
何度も嘘を重ねながら生きていくのだろうか。
重たいのに優しい沈黙の中
僕は見開いた目であなたの目を見つめていた。
あなたは少し笑った。

並んで「歩いていく」「ふたり」とは、いかにも幸福そうなイメージを誘いますが、「呪い」のせいで「嘘をついて」しまう彼らには不幸が付きまとっています。

この「呪い」とは、孤独から逃れられないことだと考えられます。「僕」も「あなた」も別々の個人であり、どんなに近付こうとしても「硝子」の向こう側へ立ち入ることはできません。

「硝子」を通過できるのは、声や視線、表情ばかりです。彼らは「硝子」越しに感知できる全てから、相手の心を想像するしかないのです。

だから二人の話に「嘘」が紛れていても真実を知る方法はありません。本当のことを話していても疑われてしまえば「嘘」になってしまいます。

「僕」が言葉を排した「沈黙」を「優し」く感じているのは、そこに「嘘」がないからでしょう。また、同じ状況で「少し笑った」「あなた」も、「僕」とよく似た気持ちでいるようです。

サンタマリア 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸くあなたに 会えたのだから
一緒にいこう あの光の方へ
手をつなごう 意味なんか無くたって

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

サンタマリア。
言葉が惑いを生むのなら何も言わない。
何度も祈りを打ち砕かれた果てに
やっと会えたのがあなただから。
光の差す方へ一緒に行こう。
無意味でもいいから手をつないで。

「僕」が「疲れ」る程に捧げた「祈り」は、聖母のような存在に出会いたいと言う渇望だったと考えられます。「様々な幸せを砕いて」とありますから、「僕」はこれまでにも多くの人々と出会い「幸せ」と思える関係を築くことができたようですが、心底納得することはできなかったのでしょう、自ら見せかけの「幸せ」を断ち切って、孤独を受け入れ合える誰かを探し続けたことがわかります。そして「漸く」「あなた」を見つけました。

直接触れ合うことが許されない彼らには「手をつな」ぐことはできません。しかし「意味なんか無くたって」そうしようと「僕」は言っています。「あなた」と「一緒」ならば、「僕」は「硝子」を障害物としてではなく真理として受け入れ、希望的側面である「光」を目指すことができるのです。

2番

いつか紺碧の 仙人掌が咲いて
一枚の硝子は崩れるだろうさ
信じようじゃないか どんな明日でも
重ねた手と手が触れ合うその日を
呪いが解けるのを

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

いつか青々とした仙人掌が咲いて
一枚の硝子を割ってくれたらいい。
信じようじゃないか、どんな明日が来ようとも
僕らが触れ合える日は訪れると
呪いは解けると。

「仙人掌」の棘で「硝子」が「崩れる」ことを「僕」は期待しています。しかし「いつか」、「だろうさ」、「信じようじゃないか」など、言葉の端々に確信のなさが滲んでいます。

今この間にあなたがいなくなったら
悲しさや恐ろしさも消えてしまうのだろうか
昏い午後の道端で探しまわった
呪いを解かす その小さなナイフを
汚れることのない歌を

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

呪いが解ける前にあなたがいなくなったら
悲しさや恐ろしさも一緒に消えてしまうのだろうか。
呪いを解いてくれる
純粋な言葉の刃を
夜の道端で探し回った。

「今この間」は「僕」が前述した未来が現実になるまでの期間だと解釈できます。

「あなた」がいるから「僕」は幸福を感じ、幸福を感じられるから「悲しさや恐ろしさ」を知ることができます。たとえ「呪い」が消えても「あなた」がいなければ「僕」は何を感じることもできません。

「小さなナイフ」と「汚れることのない歌」は共に「呪いを解かす」ためのものです。「ナイフ」からは言葉の刃が想起されますが、「小さな」ものなので刺さっても少し痛むくらいで済むと思われます。また「汚れることのない歌」は、湾曲されることなく通じる心情表現と読み替えることができます。つまり「呪い」を解くのに必要なのは、「僕」の思いを間違いなく「あなた」の心に届けるための言葉だと解釈できます。

「僕」は「昏」くなるまで「道端」を歩き回るような苦心で、その言葉を見つけ出そうとしたようです。

サンタマリア 全て正しいさ
どんな日々も過去も未来も間違いさえも
その目には金色の朝日が 映り揺れる
点滴のように 涙を落す
その瞳が いつだってあなたなら
落ち込んだ 泥濘の中だって

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

サンタマリア。
過ごしてきた時間の全て、未来も間違いも全てが正しい。
あなたの目には金色の朝日が映り揺れている。
点滴のような涙を落す。
あなたのその瞳はいつだって美しいまま。
泥濘のような憂鬱の中でさえも変わらない。

「金色の朝日」を「映」し「点滴のように」慈愛に満ちた「涙を落す」のは、「あなた」の「目」です。「あなたなら」「いつだって」「その瞳」を保っていられると「僕」は信じています。

そんな「あなた」が今あるのは、それまでに積み重ねてきた「日々」と「過去」のおかげです。また、そんな「あなた」だから「どんな」「未来」を迎えようと「間違い」を犯そうと「正しい」結果を導くことができるはずです。「あなた」と出会えたこと、これから共にいられることが、「僕」にも後悔や不安を含めた「全て」を「正しい」と受け入れる気持ちを与えています。

ここは面会室 仙人掌は未だ咲かない 硝子は崩れない
そんな中で一本の蝋燭が 確かに灯り続ける
あなたを見つめ あなたに見つめられ
信じることを やめられないように

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

ここは面会室。仙人掌はまだ咲かず、硝子が僕らを隔てている。
そんな中でも一本の蝋燭が確かに灯っている。
あなたを見つめ、あなたに見つめられていると
信じることを諦められなくなる。

「面会室」は相変わらずの風景を保っています。「僕」が期待した「硝子」の崩壊は起きる気配がありません。

しかし、「そんな中で一本の蝋燭が」「確かに灯」っています。「蝋燭」は祈りの象徴です。期待通りの未来が訪れるか否かは定かでなくとも、「信じること」そしてそれを「やめ」ないことが、彼らに希望を与え続けていることがわかります。

サンタマリア 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸くあなたに 会えたのだから
一緒にいこう あの光の方へ
手をつなごう 意味なんか無くたって

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

サンタマリア。
言葉が惑いを生むのなら何も言わない。
何度も祈りを打ち砕かれた果てに
やっと会えたのがあなただから。
光の差す方へ一緒にいこう。
無意味でもいいから手をつないで。

一度解釈したので割愛します。

サンタマリア 闇を背負いながら
一緒にいこう あの光の方へ

米津玄師 -サンタマリア

ひいらぎの解釈

サンタマリア。闇を背負いながら
光の差す方へ一緒にいこう。

「闇」は「光」のあるところに必ず現れます。「闇」がなければ「光」が存在することはありません。

「闇を背負」うことを受け入れた二人からは、「呪い」さえも肯定する包容力が感じられます。

 

 

La fin...

 

 

まとめ

今回は、米津玄師のサンタマリアの歌詞の意味を徹底解釈しました。

今後も当サイトでは米津玄師を追って行くのでぜひチェックして見てください!

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