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【米津玄師/雨の街路に夜光蟲】の歌詞の意味を解釈

ひいらぎ最終更新:
目次

歌詞

米津玄師の雨の街路に夜光蟲のジャケット

曲名:雨の街路に夜光蟲

アーティスト:米津玄師

作詞:米津玄師

作曲:米津玄師

震えていたのは君の手か僕の手の方か
街のライトが雨に照らされて弾ける夜に

僕らはただ大人になりたくて 背伸びをして
チグハグな言葉を交わしあって 笑いあったんだ
二人でだったら行けるよね 地球の隅っこへ

誰も知らない約束を
交わしあって僕ら歩いて行くんだ
大げさなほどに愛を歌うよ
悲しい歌を塗りつぶすように

曖昧な作りの間違い探しみたいだった
何が間違いで何が正しいかわからない

僕らはただ「これで正しいんだ」と強がったけど
本当はわかってたよ 道の先に何があるのか
何度だって誓い合って今 地球の隅っこへ

誰も知らない約束が
重なった手と手に握られた
馬鹿にされたって愛を歌うよ
君とどこまでも行けるように

さめないでって きえないでって
馬鹿みたいに願っているんだ
どこにだって行けるんだって
ばればれの嘘をついていた

誰も知らない約束を
交わしあって僕ら歩いて行くんだ
大げさなほどに愛を歌うよ
悲しい歌を塗りつぶすように

消えたい時も気持ちいい時も
いつだってそばにいられるように
誰も知らない約束が
強まる雨に流れないように

君とどこまでも行けるように

雨の街路に夜光蟲という曲名の意味

ヤコウチュウはプランクトンの一種です。大量発生時の夜には青く海面を輝かせ、幻想的な光景を作り出すことで知られています。この発光は物理的な刺激に応じて起こるらしく、波打ち際で特に強い光を放つそうです。

曲名の「夜光蟲」はヤコウチュウで間違いありませんが、本来は「蟲」ではなく「虫」の字を使います。

「虫」は昆虫類や微生物を表すのに対し、「蟲」は哺乳類以外の動物に対して使われる漢字です。

古来は人間を含む全ての生物を指していました。
従って、「雨の街路」に佇む「夜光蟲」はプランクトンではありませんが、刺激を受けて光る性質は、プランクトンのそれと変わらないようです。

雨の街路に夜光蟲の歌詞の意味を徹底解釈

1番

震えていたのは君の手か僕の手の方か
街のライトが雨に照らされて弾ける夜に

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

震えていたのは君か僕か、どちらだろう。
街のライトが雨に散る夜。


「雨」の降る「夜」に「君」と「僕」が手を繋いで「街」路に立っています。

「ライト」が雫に反射して散り散りに輝く様子を、主人公は「弾ける」と表しています。電灯の光は強烈なものですが、「雨」によって弱められているようです。主人公たちが冷たい闇に囲まれている光景が浮かび上がります。

どちらからともなく起こった「手」の「震え」は、寒気から来ているのでしょうか、不安を表しているのでしょうか。

 

僕らはただ大人になりたくて 背伸びをして
チグハグな言葉を交わしあって 笑いあったんだ
二人でだったら行けるよね 地球の隅っこへ

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

僕らは大人になりたくて背伸びをしていた。
チグハグな言葉で語りあい、笑いあった。
二人でならきっとどこへでも行けるって。


「大人」ぶって難しい「言葉」を使おうとし、却って「チグハグ」になってしまうのは、彼らがまだ経験不足である証拠です。互いの失態を「笑いあっ」て受け流していることから、「二人」が長所も短所も認め合う親しい間柄であることがわかります。

「地球の隅っこ」と言う茫漠とした目的地からは、彼らが非現実的で抽象的な理想を描いていることが伺えます。具体性と現実的な視野を取りこぼしているのは「二人」が若いせいかもしれませんが、「二人でだったら」と条件を付けていることから、一人では辿り着けない場所へでも互いがいれば向かっていけそうだと、信頼を比喩的に言い表しているだけとも考えられます。

 

誰も知らない約束を
交わしあって僕ら歩いて行くんだ
大げさなほどに愛を歌うよ
悲しい歌を塗りつぶすように

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

誰も知らない約束が
僕らの行く道を支えている。
大げさなほどに愛を歌う。
悲しみを忘れられるように。


「誰も知らない約束」は、二人だけが知っている「約束」と読み替えることもできますが、互いが胸の内に秘めている誓いと捉えることもできます。後者を採用する場合「交わしあって」の部分は、互いに内容を明かさなくとも相手のために何事かを決意したと解釈できます。

主人公があえて「大げさ」に感情表現するのは、「悲し」みを「塗りつぶす」ためだと書かれています。「地球の隅っこ」を目指す彼らですが、ただ楽観的に幸福を求めているだけではないようです。

2番

曖昧な作りの間違い探しみたいだった
何が間違いで何が正しいかわからない

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

作りの曖昧な間違い探しみたいに
何が間違っているのか、何が正しいのかわからない。


主人公が「間違い探し」に例えているものは、過去かも未来かも人間関係かもしれません。生きる上で直面する悩みは様々ですが、大抵の場合は正解のない難問です。

どの選択が最善なのか悩み、それが本当に最善なのか悩み、苦悶を繰り返すのは避けられない人生の一部であるように思えます。

 

僕らはただ「これで正しいんだ」と強がったけど
本当はわかってたよ 道の先に何があるのか
何度だって誓い合って今 地球の隅っこへ

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

僕らは強がって「これで正しいんだ」と言い張ったけど
本当は進む先に待ち受けているものを知っていた。
それでも約束を守りたい。何度でも誓いを立てる。


主人公たちは先行きに不安を感じています。「強がって」自分たちの下した決断を「これで正しいんだ」と言い張りますが、その実「道の先に何があるのか」「本当はわかってたよ」と、突き進めば壁に当たることを認識しています。つまり「二人」が「地球の隅っこへ」向かうことは、苦難を招くことに繋がってしまうのです。

しかし、彼らは決意を変えません。「何度だって誓い合って」改めて一歩を踏み出します。

ここまで「交わしあって」「笑いあって」とひらがなで表記されていたのが、ここだけ「誓い合って」と漢字になっています。「合」は一致を意味していますから、彼らの「誓い」は同一の目的のために立てられたことがわかります。

 

誰も知らない約束が
重なった手と手に握られた
馬鹿にされたって愛を歌うよ
君とどこまでも行けるように

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

二人だけの約束を
重ねた手で握る。
馬鹿にされたって構わない。
君とどこまでも行きたい。


彼らは既に一つの目的を共有しています。従って、ここでの「誰も知らない約束」は二人の間だけに取り交わされた「誓い」の意味になります。

他者からは「馬鹿」らしく、青臭く見えるかもしれませんが、主人公はあくまで自分の幸福を追い求めます。「君」の「手」が掌中にあれば「どこまでも」進んでいけるようです。

しかし、先の歌詞で主人公の視野にはドライな部分もあることがわかっています。「どこまでも行けるように」との現実離れした願いを、彼は本気で語っているのでしょうか。

 

さめないでって きえないでって
馬鹿みたいに願っているんだ
どこにだって行けるんだって
ばればれの嘘をついていた

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

さめないで、きえないでと
馬鹿みたいに願っている。
どこにだって行けるなんて
ばればれの嘘なのに。


やはり主人公は悲観的な未来図にも考えを向けています。

「さめないで」は、「愛」が冷めないようにとも、描いた夢から醒めないようにとも解釈が可能です。「きえないで」も同様に余白を与えた表記です。「君」、「君」との繋がり、希望と、複数の主語が考えられます。

つまり主人公が大きな目標を目指すには、不安が多すぎるのです。

恐れを吹き飛ばしてしまおうと大言壮語に頼ったようですが、「ばればれの嘘」では自分を騙し通すことはできません。

それでも尚、屈しようとしないのは、それほど「君」と「交わし」た「約束」や「誓い」が大切だからでしょう。

 

誰も知らない約束を
交わしあって僕ら歩いて行くんだ
大げさなほどに愛を歌うよ
悲しい歌を塗りつぶすように

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

誰も知らない約束が
僕らの行く道を支えている。
大げさなほどに愛を歌う。
悲しみを忘れられるように。


一度解釈したので割愛します。

 

消えたい時も気持ちいい時も
いつだってそばにいられるように
誰も知らない約束が
強まる雨に流れないように

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

消えてしまいたい時も心地いい時も
いつだって一緒にいたいと願う。
誰も知らない約束が
強まる雨に流れてしまいませんように。


「消えたい時」は、主人公か「君」、あるいは「二人」が同時に「消え」てしまいたいと望む苦境を指していると考えられます。状況に応じて主語を入れ替えることはできますが、ひらがな表記の場合と異なり、同時に複数の主語を採用する余地はありません。

「気持ちいい時」は「消えたい時」の対比で、幸福を感じる状況下のことだと解釈できます。病める時も健やかなる時も、と言う結婚の誓いによく似ています。

冒頭で主人公たちが「雨」の中で「震え」ていたことから、「強まる雨」は、ますます強くなってくる不安や逆境と捉えることができます。挫折によって「約束」を投げ出してしまわないよう、主人公の「手」に力がこもるようです。

 

君とどこまでも行けるように

米津玄師 -雨の街路に夜光蟲

解釈

君とどこまでも行きたい。


虚言に近い大口ですが、彼にとってはこれが真実の「約束」なのでしょう。怯えながらでも「君」との「誓い」に従い進んで行くことが、彼の人生なのだと感じられます。

最後までお読みいただきありがとうございました

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