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【ずっと真夜中でいいのに。/雲丹と栗】歌詞の意味を解釈

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
雲丹と栗という曲名の意味を考察
雲丹と栗の歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番

雲丹と栗という曲名の意味を考察


「雲丹と栗」とはどう言う意味なのでしょうか。「雲丹」と「栗」に分けて考えてみましょう。

「雲丹」とはみなさんが知っているウニのことです。そう、あの黒いトゲトゲのやつです。そして「栗」とは、みなさんご存知、秋に美味しいトゲトゲした殻を持つ食べ物です。

はい。単語が並べられただけで意味がわかりませんね。では、この二つの食べ物の共通点に着眼してみましょう。

二つの食べ物の共通点といえば周りの殻がトゲトゲしていて、中身が美味しい(人によりますが)というところですよね。

そう、周りがトゲトゲしているのです。これを考慮して歌詞と照らし合わせると、「雲丹と栗」とはトゲトゲしていて周りを傷つけてしまう主人公のことを指しているのではないかと思います。

以降の「雲丹と栗」の歌詞解釈はこのことを考慮して解釈していきます。

雲丹と栗の歌詞の意味を徹底解釈

1番

赤血球みたいな 白玉半分が欠けた
十五夜お月様 丸まってみたって 僕は見てもらえないの
近づけば近づくほど 当たり前が当たり前に変わる魔法
君との距離を保つため 守るために僕は戦うんだ
楽しいほど 魔の攻撃が押し寄せたら 僕が食べてあげるから

ACAね -雲丹と栗

ひいらぎの解釈

真ん中が凹んだ白玉が半分君の口に消えた。
どんなに頑張って丸まってみても「僕」と言う人間はみてもらえない。
近づけば近づくほど当たり前が当たり前になってしまって大切なことを忘れてしまうから、君とあまり近づかないように、大切なことを忘れないように僕は棘を生やすんだ。

もし君に君が嫌がることが起こったとしても大丈夫。僕が退治してあげるから。

「赤血球みたいな白玉」の部分。「赤血球」と言うのは簡単に説明すると、血液中に含まれる物質で、肺から酸素を受け取り身体中の細胞に酸素を送る役割をしています。

そう、体には必要不可欠と言うことです。このことから「赤血球みたいな白玉」を「(君または僕に)必要不可欠な白玉」と解釈することができそうですが、後の歌詞と合わないなと思い、赤血球みたいな形をした白玉と解釈しました。

個人的にグッときた部分は「近づけば近づくほど 当たり前が当たり前に変わる」と言うところですね。

誰だって今ある「当たり前」が実はありがたいことだと気づいてはいます。でも、日々忙しい中で生活していると、いつのまにか当たり前が当たり前になってしまっていますよね。これは対人関係でも言えるのではないでしょうか?

近づけば近づくほど親密になれば親密になる程当たり前が当たり前になっていく。

そんな簡単に忘れてしまう当たり前を忘れたくないから君と一定の距離を保つんだと主人公は歌っているのでしょう。ここから雲丹と栗のトゲトゲにつながっていくのでしょうね。

傷つけっぱなし 気づけない時もある
落し物なら僕が届けにゆくから
謙虚に健康に真夜中を迎えたら 時間が無限に存在するような感覚
雲丹と栗 柿と梨 たけのこご飯
魅力まで周りに合わせなくていいんだ
雲丹と栗 雨宿り 香ばしい木の実
不器用な話し方でもいいんだ
うにぐり おにぎり うにぐり

ACAね -雲丹と栗

ひいらぎの解釈

棘があるから傷つけっぱなしだけど 気づけない時もあるからごめんね。
君が大事なことを忘れてしまっても僕が思い出させるから。
何も問題がなく真夜中になったら、まるで時間が進んでいないかのようだ。

柿と梨やたけのこご飯のような魅力が僕らになくても、不器用な話し方しかできなくてもいいんだ。

サビの部分。かなり謎というか解釈不可能な単語が多いですよね。

その中でも目に引く単語は「ずっと真夜中でいいのに。」というグループ名にも使われている「真夜中」という単語です。エジプト神話などから「夜」という単語には恐怖や美しさというイメージを持たれています。今回の「夜」は前後の歌詞の関係から恐怖というイメージは少しおかしいですから、美しさと解釈してみましょう。


では、「夜」を美しさと解釈した時、主人公にとって君との関係の「美しさ」とは何なのか。

その答えは、前の歌詞の棘を生やす理由にヒントがあります。主人公は前の歌詞で棘を生やす理由を「近づけば近づくほど当たり前が当たり前になってしまって大切なことを忘れてしまうから、君とあまり近づかないように、大切なことを忘れないように僕は棘を生やすんだ。」といっていますよね?

つまり、主人公は「君との適度な距離間と関係性」であることを理想とし、「美しさ」と捉えているのです。それを「夜」という単語を用いて表現しているんですね。

ここまできたら、もう「真夜中」の意味もわかりますよね?そう、真夜中とは「君との適度な距離間と関係性を保てた先の理想」なのです。

その理想とは歌詞にはなっていないのでわかりません。でも、時間が無限に存在しているかのような感覚になっているのですから、相当楽しいことなのでしょうね。


2番

いくらバッテンにされても そもそも目に止まらなくても
僕は僕を全うすることに 懲りないくらいでいいと
ヒントを置いてっては消えた 微かな温もりで生かされてた
願っては届かなくても ただ願ってた
正しいほど 魔の攻撃が押し寄せたら
全て抱きかかえるから

ACAね -雲丹と栗

ひいらぎの解釈

いくらダメ出しされても、そもそも気づかれなくても
自分の気持ちを押し込めることをやめないくらいでいい。
君の少しばかりの温もりで僕は生かされているんだ。
願っては叶わなくて、それでもまだ願っている。

ここの部分の歌詞で「僕」は「君」に片思いをしているかのように感じられますよね。

特に「君の少しばかりの温もりで僕は生かされているんだ。」という部分です。

もちろん相手に温もりを感じるのは片思いの相手だけではないですが、相手に温もりを感じるための共通の条件ってありますよね。そう、相手に対する好意や、愛です。少なくても「僕」は「君」に好意や、愛があるわけです。

それと前の歌詞を考慮して考えると、「僕」は「君」に片思いをしているのは間違い無いでしょうね。

傷つけっぱなし 気づけない時もある 落し物なら僕が届けにゆくから 謙虚に健康に真夜中を迎えたら 時間が無限に存在するような感覚 雲丹と栗 柿と梨 たけのこご飯 魅力まで周りに合わせなくていいんだ 雲丹と栗 雨宿り 香ばしい木の実 心地いい冷たい風が好きさ

ACAね -雲丹と栗

ひいらぎの解釈

棘があるから傷つけっぱなしだけど 気づけない時もあるからごめんね。
君が大事なことを忘れてしまっても僕が思い出させるから。
何も問題がなく真夜中になったら、まるで時間が進んでいないかのようだ。

柿と梨やたけのこご飯のような魅力が僕らになくてもいいんだ。
ひとりぼっちが好きさ。

歌詞の大部分を解説し終えているので省略します。

ひとりぼっちと1匹で 何かが変えられるかな
離れ離れに気づく刹那があるなら 行けるところまで 真夜中を散歩してさ
時間が僕らを 何者でも無くしてくれる
雲丹と栗 柿と梨 たけのこご飯
当てはまる必要なんて無くていいんだ
雲丹と栗 雨宿り 香ばしい木の実
不器用な優しさが僕は好きさ
うにぐり おにぎり うにぐり

ACAね -雲丹と栗

ひいらぎの解釈

一人ぼっちで君との関係は構築できるのかな?
君に振られる瞬間が訪れたなら、限界まで自分の理想を妄想に変えよう。
いつか時間が君への気持ちを忘れさせてくれる。

柿と梨、たけのこご飯のように場所を落ち着かせる必要はないんだ。

最初の「ひとりぼっちと1匹」の部分のひとりぼっちは主人公のことで間違いありませんが、一匹とはなんのことを表しているのでしょうか。わかる方がいたら教えてくださると幸いです。
→LYさんにハリネズミのことなのではないかと教えていただきました!納得...

「行けるところまで 真夜中を散歩する」という部分を「限界まで自分の理想を妄想に変える」と解釈しました。理由としては、真夜中=理想を散歩するというのはどこか離れたところから客観的に理想を見ているように感じたからです。

人によっては少し無理があると思われるかもしれませんが、もし片思いの人に振られたら理想なんて妄想に変わってしまうのだからここは妄想と解釈させてください。

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