music.branchwith

【米津玄師/ゴーゴー幽霊船】の歌詞の意味を徹底解釈のサムネイル

【米津玄師/ゴーゴー幽霊船】の歌詞の意味を徹底解釈

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
ゴーゴー幽霊船という曲名の意味を考察
ゴーゴー幽霊船の歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番

ゴーゴー幽霊船という曲名の意味を考察


幽霊は、普通は人に感知してもらうことができません。

誰にも気付かれず声も聞いてもらえないので、必然的に共感も理解も得られません。生きていないので死ぬことができず、存在している限り無視され続ける宿命にあります。思念を訴えようにも相手が理解してくれないのですから、どうしようもありません。

足掻けば足掻く程に失望は強くなる一方です。

無理解によって人間から隔てられた幽霊は、やがて寄り集まって「幽霊船」を作ります。

「ゴーゴー」は勢いだけで無計画に突き進む様を表していると同時に、「幽霊船」の唸りのようにも感じられます。怨嗟を詰め込んだ「幽霊船」に目的地はあるのでしょうか。ただ彷徨うばかりで、どこにも辿り着けなさそうな不安を覚えるのでしょう。

ゴーゴー幽霊船の歌詞の意味を徹底解釈

1番

ちょっと病弱なセブンティーン
枯れたインクとペンで絵を描いて
継いで接いでまたマザーグース
夜は何度も泣いてまた明日
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈君は休みがちな17歳。
様にならない絵を描いて
幼い頃の物語を継ぎ接ぎしては
毎晩涙に暮れている。

主人公が「セブンティーン」を描写しています。

「ちょっと病弱」に見えるのは、「君」がいつも気だるげにしているからで、何かと休みがちだからだと考えられます。

無気力なこの人物は「枯れたインクとペンで絵を描い」ていますが、仕上がりは掠れてしまって描いた当人にしかわからないものになるでしょう。つまり、誰がどう思うかは無関係の娯楽で暇を潰しているのです。

「マザーグース」は英語圏で広く知られている童話です。それを「継いで接いで」、「君」は子供の頃の記憶を受け入れやすい物語に加工しています。記憶を美化しても作為を自覚した上では空しいだけです。

また「夜は何度も泣いて」いますが、涙が止むと「また明日」とあっけらかんとした態度を取っています。空しさや憂鬱を覚えているのは確かですが、「君」はその苦悶に対処するつもりがないようです。

 

回る発条のアンドロイド
僕の声と頭はがらんどう
いつも最低な気分さ
君に愛されたいと願っていたい
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈僕は発条仕掛けのアンドロイド。
空っぽの頭から透明な声を出す。
いつも最低な気分だ。
君に愛されたいと願っている、心底望んでなどいないのに。

「アンドロイド」は機械仕掛けの人形です。人間の姿と高度な情報処理能力を備えているものの、複雑な心は理解できないキャラクターとして、よくフィクションに登場します。

「僕」は「声」も「頭」も「がらんどう」と言っているので、彼はありきたりにイメージされる「アンドロイド」よりも性能が低いようです。


「君に愛されたいと願っていたい」と重複する願望の内、文法を用いて解釈すれば強いのは「願っていたい」の方です。つまり「君に愛されたい」のは本心ではなく、愛情の対象が「君」である必要はないのです。

おそらくは空虚な様子にシンパシーを感じているだけで、「僕」の本音は人並みに愛情を求めてみたい、愛情を求められる人間になりたいと言ったところでしょう。ところが彼は「アンドロイド」なので、願ったところで人間にはなれません。

「がらんどう」を埋められない彼は、だから「いつも最低な気分」なのです。

 

ずっと病欠のセブンティーン
曇らないまま今日を空き缶に
空の雷管とペーパーバッグ
馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈君はひきこもりの17歳。
感情の起伏もなくぼんやりと今日を過ごし
空の器を呼吸で満たすように
ひたすら空虚に生きている。

先程は「ちょっと病弱」だった「セブンティーン」が「ずっと病欠」になってしまいました。あまりの気だるさから外に出ることさえ止めてしまったようです。

そこまで気分が落ちているにも関わらず、「君」は「曇らないまま今日を」過ごしています。これは独りの世界に引きこもったことで気楽になったという意味ではなく、外部からの刺激が遮断されたために余計な気落ちもなければ盛り上がりもない状態と捉えられます。

そうでなければ、一日を「空き缶」に例えるのは不自然です。

「雷管」も「ペーパーバッグ」も「呼吸を詰め入れた」ところで使い物にはなりません。実質「呼吸」は空気と変わらず、器は「空の」ままだからです。

「馬鹿みたいに」無益な行為に暮れる様子から、「君」が「僕」や器たちと同様「がらんどう」であることが伺えます。

 

あいも変わらずにアンドロイド
君を本当の嘘で騙すんだ
僕は幽霊だ 本当さ
君の目には見えないだろうけど
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈相変わらず僕の生も機械的。
君に僕の真実を教えよう。
僕は本当は幽霊なのだ
君はそんなこと気にも留めないだろうけど。

ここで「僕」が言っている「本当の嘘」とは、現実的には「嘘」でも「僕」にとっては「本当」のこと、つまり「僕」の主観的真実だと解釈できます。

機械人形を騙る「僕」の正体は「幽霊」で、それが彼にとっての「本当」なのですが、「君の目には見えない」つまり人間の「君」には認知してもらえません。

 


そんなこんなで歌っては
行進する幽霊船だ
善いも悪いもいよいよ無い
閑静な街を行く
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈そんなこんな無駄口を連ねては
ふらふら進む幽霊たち。
善悪なんてもうどうだっていい。
閑静な街を行く。

「歌」は感情表現のことだと考えられますが、「そんなこんなで」と投げやりになっているところを見ると、誰かに訴えようとする意志は欠けているようです。どちらかと言えば独り言や戯言に近いのかもしれません。

「幽霊船」には「僕」の他にもたくさんの「幽霊」たちが乗り込んでいます。「行進」とは言いながら生気も覇気もありません。統率された勇ましいパレードとは程遠い、何となく団子になっているだけの群れがふらふら進んで行く様子が思い浮かびます。

「閑静な街」には彼らを出迎える人も見送る人もいないはずです。「幽霊船」の存在意義は、彼らの善悪の裁量と同じくぼやけています。

 

電光板の言葉になれ
それゆけ幽かな言葉捜せ
沿線上の扉壊せ
見えない僕を信じてくれ
少年兵は声を紡げ
そこのけ粒子の出口隠せ
遠い昔のおまじないが
あんまり急に笑うので
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈無視されたって言葉を紡げ。
その中に漂う意味を捜せ。
障害物は壊してしまえ。
興味なんてないだろうけど聞いてくれ。
幼い記憶を呼び起こせ
ほんの少しの思いも逃がさないように。
遠い昔の願い事が
唐突に僕を嘲笑する。

ここまで虚無の塊のように見えていた「幽霊」たちが突然声を上げ始め、意志や闘争心が剥き出しになりました。


「電光板の言葉」は、せいぜい読み流されるだけで、実質的な意味にまで注意を向けられることはほとんどありません。存在しているのに無意味な、それでも意味を持つ言葉は、人間には気付いてもらえない「幽霊」たちの感性に似ています。

同時に彼らが「捜」そうとしているのは「幽かな言葉」です。こちらは「幽か」であるがゆえ、「幽霊」たちと共鳴する意味を保っています。

「沿線上の扉」は「閑静な街」の建物群の「扉」だと思われます。「扉」は入口ですから、人間と「幽霊」の境界線と受け取ることができ、また進行を妨げる障害物とも捉えられます。

「幽霊船」に乗っている「少年兵」は、「僕」たちが「少年」だった時分に抱いていた闘志や冒険心のことだと解釈できます。

それらが「声を紡」ぐ、つまり意志を表明しようとしているわけですから、「幽霊」たちは成長過程で胸の内に押し込んでしまった感情を呼び覚まそうとしているのです。

「粒子」すら逃さないようにと言っていることから、どんなに些末な思いも見逃さないよう「幽霊」たちが自意識にかなりの注意を向けていることが伺えます。

「おまじない」は災難を逃れたり願い事を叶えたりするのに用います。「僕」も「遠い昔」に試したことがあるようですが、「あんまり急に笑う」ようなものですから、まともに効力を発揮してくれたとは考えられません。

むしろ、「僕」の願い事は叶わずじまいであり、徒労に終わった過去が現在の自分を嘲笑するように蘇ってきたと解釈する方が噛み合います。

状況から、「幽霊」として生まれ付いた「僕」が人間に近付きたいと願っていたことが推察できます。


2番


ちょっと病弱なセブンティーン
今日も映画みたいな夢うつつ
愛も絶え絶えの景色だ
そこでどんな夢見てもしょうがない
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈君は休みがちな17歳。
今日も劇的な無感動。
愛なんてまるで感じられないのだから
どんな夢を思い描いても何にもならない。

「今日も」「夢うつつ」な「君」は、現実感のない日常を過ごしている様子です。

自分の感覚がぼやけている状況では「愛も絶え絶えの景色」しか見られなくても仕方がありません。


回る発条のアンドロイド
汚物 ヤンキー 公害 メランコリー
知ってほしいんだ全部
そう君の手を引き連れて戻すのさ
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈僕は発条仕掛けのアンドロイド。
汚い部分も含めて全部
君に知ってほしい
ちゃんと手を引いて連れ戻してあげるから。

「僕」は世の中にはびこる陰険なものを並べ立て、「君」に「全部」を「知ってほしい」と訴えています。陰陽は表裏一体、明るく美しい側面を見るためには暗部から目を逸らしてはいけません。


「僕」は無気力な「君」を立ち直らせたいのでしょうか、それとも単に人助けをすることで人間に近付きたいだけなのでしょうか。あるいは「幽霊船」に引き込もうとしているのかもしれません。


そんなこんなで歌っては
目を剥く幽霊船だ
前も後ろもいよいよ無い
なら全部忘れて
ワアワアワアワア
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈そんなこんな無駄口を連ねては
目を剥く幽霊たち。
どうせ前後不覚なら
何もかも忘れて
ワアワア叫べ。

「目を剥く」のは驚愕や激怒を感じた時です。唐突に激しい感情に襲われると人は前後不覚に陥ります。


 

太陽系の奥へ進め
飛び込め一二の三で跨がれ
沿線上の扉壊せ
まんまの言葉信じてくれ
偏桃体の奥を使え
ほれ見ろそんなにせぐりあげて
遠い昔のおまじないが
たちまちのうちにはびこれば
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈宇宙の暗闇に飛び出そう
合図するから一斉に。
障害物は壊してしまえ。
ありのままの気持ちを信じてくれ。
そんなにしゃくりあげるなら
情動に逆らうな。
遠い昔の願い事が
たちまち意識を支配する。

「太陽系の奥」は底なしの闇が広がる未知の領域です。踏み込むのにかなりの勇気を要する場所ですが、「幽霊」たちは躊躇うことなく自分たちの知る宇宙の外へ飛び出そうとしています。


「偏桃体」は脳の一部で、情動や記憶を司ります。特に恐怖や不安と関連した情報処理を担う場所ですから、そこを「使え」ば「せぐりあげ」るのも当然です。

叶わなかった願い事が「たちまちのうちにはびこ」り、つまり頭をいっぱいにしてしまい、「幽霊船」の進行はますます勢いを強めます。

 

三千年の恨み放て
飛べ飛べ皆で拡声器持て
沿線上の扉壊せ
本当のことさ信じてくれ
幽霊船は怒り散らせ
みてろよ今度は修羅に堕ちて
遠い昔のおまじないが
あんまりな嘘と知るのさ
米津玄師 -ゴーゴー幽霊船

ひいらぎの解釈溜め込んだ恨みを放て。
大声でどこまでも響かせてやれ。
障害物は壊してしまえ。
真実を信じてくれ。
抑圧された怒りをまき散らせ。
今度こそ本気で戦って
遠い昔の願い事は
叶わない夢だったと知るのだ。

「三千年」もの長きに渡って溜め込んだ「恨み」が「拡声器」越しに響き渡ります。ぞっとしない大合唱です。


同時に「怒り」も発散されます。彼らの「怒り」の根源と考えられるのは闘争心です。「今度は修羅に堕ちて」との表現から、「幽霊」たちがそれまでは抑えていた闘争心を今回こそ最大限に高めようとしているのがわかります。

しかし、「僕」は「おまじない」が「あんまりな嘘」であることを既に知っています。「修羅」と表す程の争いの果てに待ち受けているのは失望だけです。それでも黙ることを許さない願望が「僕」の「本当」なのでしょう。

トップ
noimage
JASRAC許諾第9023463001Y38026号
各ページに掲載されている、ジャケット写真、アーティスト写真、サムネイル画像等の画像及び歌詞の著作権は、各レコード会社、各アーティスト、各著作権者に帰属します。Copyright © 2018-2023 music.branchwith All Rights Reserved.