【RADWIMPS/棒人間】の歌詞の意味を徹底解釈 | 個性的でマイノリティーな主人公が描くストーリー!
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
棒人間という曲名の意味を考察
この楽曲では、「普通でない人間」(個性的でマイノリティーのある人間)である主人公を、人のようで人でないものとして『棒人間』と表現しているのではないかと思われます。
ドラマ「フランケンシュタインの恋」では主人公はフランケンシュタイン(怪物)という設定でした。
「みんなと同じ」が当たり前の現代社会で、周りと同じように生活することを苦痛に感じていながら、自分らしさを表に出すことのできない主人公の苦難や葛藤がイメージできる歌詞となっているのではないでしょうか。
本当の自分とはなんなのか、聴いている側も考えさせられるような楽曲です。
棒人間の歌詞の意味を徹底解釈
1番
ねぇ、僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです
僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても
それはそれで皆目 見当もつかないのです
す
解釈僕は人間じゃない何かです。こんなんでごめんなさい。
人間のような見た目なので間違えられることがよくあります。
僕は人間じゃないんだけど、「じゃあ何?」と聞かれても
自分でもわからないから「何か」は答えることができないんです。
「僕は人間じゃないんです」の歌詞に出てくる『人間』が、どういった意味があるのか考えたとき、「棒人間」と「人間」を比較すると一般的な「普通の人」という解釈ができるかと思います。
『普通の人』で無い僕がなんなのか考えたときにマイノリティーのある人(変わり者)ということを主人公(僕)は感じているのではないでしょうか。
ねぇ、僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです
僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても
それはそれで皆目 見当もつかないのです
す
解釈僕は人間じゃない何かです。こんなんでごめんなさい。
人間のような見た目なので間違えられることがよくあります。
僕は人間じゃないんだけど、「じゃあ何?」と聞かれても
自分でもわからないから「何か」は答えることができないんです。
「僕は人間じゃないんです」の歌詞に出てくる『人間』が、どういった意味があるのか考えたとき、「棒人間」と「人間」を比較すると一般的な「普通の人」という解釈ができるかと思います。
『普通の人』で無い僕がなんなのか考えたときにマイノリティーのある人(変わり者)ということを主人公(僕)は感じているのではないでしょうか。
見た目が人間でなもんで 皆人並みに相手してくれます
僕も期待に応えたくて 日々努力を惜しまないのです
笑顔と同情と謙遜と自己犠牲、朝起床に優しさと
優に1億は超えそうな 必要事項を生きるのです
解釈僕は普通の人となんら変わらず生活しているので周りの人は『普通』に接してくれています。
なので僕も『普通』に接することができるようにいつも努力しています。
『普通の人』として生きていけるように、数多くあるいくつもの『当たり前』を必死に生きるのです。
例えば、会社の上司や、学校の先生が『みんなできるから』といった「期待感を込めた要望」をしてきた時です。
「誰もができて当たり前」といういわゆる「一般的」が果たして本当に全人類全ての人にできるのでしょうか。
人は、外見から相手の心の中まで確認することはできません。
棒人間では、主人公は世間一般的に言う「当たり前」に疑問を持ち生活しているということが想像できます。
そんな中でも、数多く存在する「一般的な当たり前」に自分の心を誤魔化しながら、周囲の人に合わせる努力をしていることをこの歌詞から解釈することができるのではないでしょうか?
2番
ねぇ、僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです
僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても
それはそれで皆目 見当もつかないのです
す
解釈僕は人間じゃない何かです。こんなんでごめんなさい。
人間のような見た目なので間違えられることがよくあります。
僕は人間じゃないんだけど、「じゃあ何?」と聞かれても
自分でもわからないから「何か」は答えることができないんです。
「僕は人間じゃないんです」の歌詞に出てくる『人間』が、どういった意味があるのか考えたとき、「棒人間」と「人間」を比較すると一般的な「普通の人」という解釈ができるかと思います。
『普通の人』で無い僕がなんなのか考えたときにマイノリティーのある人(変わり者)ということを主人公(僕)は感じているのではないでしょうか。
見た目が人間でなもんで 皆人並みに相手してくれます
僕も期待に応えたくて 日々努力を惜しまないのです
笑顔と同情と謙遜と自己犠牲、朝起床に優しさと
優に1億は超えそうな 必要事項を生きるのです
解釈僕は普通の人となんら変わらず生活しているので周りの人は『普通』に接してくれています。
なので僕も『普通』に接することができるようにいつも努力しています。
『普通の人』として生きていけるように、数多くあるいくつもの『当たり前』を必死に生きるのです。
例えば、会社の上司や、学校の先生が『みんなできるから』といった「期待感を込めた要望」をしてきた時です。
「誰もができて当たり前」といういわゆる「一般的」が果たして本当に全人類全ての人にできるのでしょうか。
人は、外見から相手の心の中まで確認することはできません。
棒人間では、主人公は世間一般的に言う「当たり前」に疑問を持ち生活しているということが想像できます。
そんな中でも、数多く存在する「一般的な当たり前」に自分の心を誤魔化しながら、周囲の人に合わせる努力をしていることをこの歌詞から解釈することができるのではないでしょうか?
しかしまったくもってその甲斐もなく 結局モノマネはモノマネでしかなく
一人、また一人と去ってゆき 人間が剥がれ落ちるのです
大切な人を幸せにしたり 面白くもないことで笑ってみたり
そのうち今どんな顔の自分か わからなくなる始末です
解釈周りに合わせる努力をしてみたけど、その甲斐無く僕の周りから人が離れていきます。
周りに合わせていた自分の嘘が見破られてしまいます。
自分の心を隠しながら生活していると、自分が今どんな表情をしているのかわからなくなります。
嘘や隠し事は、いつかバレてしまいます。
マイノリティーを持っている主人公は、その事実を隠し、周りに合わせようと日々努力して生活しますが、上辺での付き合いを重ねていった末周りから人が離れていったのではないでしょうか。
無理をして相手を幸せにしようとしたり、楽しくもないのに相手に合わせるように笑ったりする行為を続けていくと疲れてしまいます。
そういったことを繰り返し続けていくと表情を上手く表せず自分の思ったものと違った風に出てしまったりすることがありますが、主人公はそういう状況だったのではないかと解釈することができます。
ねぇ、僕は人間じゃないんですf ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです
僕は人間じゃないんです じゃあ何かと聞かれましても
それはそれで皆目 見当もつかないのです
す
解釈僕は人間じゃない何かです。こんなんでごめんなさい。
人間のような見た目なので間違えられることがよくあります。
僕は人間じゃないんだけど、「じゃあ何?」と聞かれても
自分でもわからないから「何か」は答えることができないんです。
「僕は人間じゃないんです」の歌詞に出てくる『人間』が、どういった意味があるのか考えたとき、「棒人間」と「人間」を比較すると一般的な「普通の人」という解釈ができるかと思います。
『普通の人』で無い僕がなんなのか考えたときにマイノリティーのある人(変わり者)ということを主人公(僕)は感じているのではないでしょうか。
見た目が人間でなもんで 皆人並みに相手してくれます
僕も期待に応えたくて 日々努力を惜しまないのです
笑顔と同情と謙遜と自己犠牲、朝起床に優しさと
優に1億は超えそうな 必要事項を生きるのです
解釈僕は普通の人となんら変わらず生活しているので周りの人は『普通』に接してくれています。
なので僕も『普通』に接することができるようにいつも努力しています。
『普通の人』として生きていけるように、数多くあるいくつもの『当たり前』を必死に生きるのです。
例えば、会社の上司や、学校の先生が『みんなできるから』といった「期待感を込めた要望」をしてきた時です。
「誰もができて当たり前」といういわゆる「一般的」が果たして本当に全人類全ての人にできるのでしょうか。
人は、外見から相手の心の中まで確認することはできません。
棒人間では、主人公は世間一般的に言う「当たり前」に疑問を持ち生活しているということが想像できます。
そんな中でも、数多く存在する「一般的な当たり前」に自分の心を誤魔化しながら、周囲の人に合わせる努力をしていることをこの歌詞から解釈することができるのではないでしょうか?
しかしまったくもってその甲斐もなく 結局モノマネはモノマネでしかなく
一人、また一人と去ってゆき 人間が剥がれ落ちるのです
大切な人を幸せにしたり 面白くもないことで笑ってみたり
そのうち今どんな顔の自分か わからなくなる始末です
解釈周りに合わせる努力をしてみたけど、その甲斐無く僕の周りから人が離れていきます。
周りに合わせていた自分の嘘が見破られてしまいます。
自分の心を隠しながら生活していると、自分が今どんな表情をしているのかわからなくなります。
嘘や隠し事は、いつかバレてしまいます。
マイノリティーを持っている主人公は、その事実を隠し、周りに合わせようと日々努力して生活しますが、上辺での付き合いを重ねていった末周りから人が離れていったのではないでしょうか。
無理をして相手を幸せにしようとしたり、楽しくもないのに相手に合わせるように笑ったりする行為を続けていくと疲れてしまいます。
そういったことを繰り返し続けていくと表情を上手く表せず自分の思ったものと違った風に出てしまったりすることがありますが、主人公はそういう状況だったのではないかと解釈することができます。
僕もいつの日にかホントの 人間になれるんじゃないかなんて
そんな夢を見ていました 夢を見てました
ほどよくテキトーに生きながら ほどよくまじめに働きながら
全然大丈夫なフリしながら たまに涙流しながら
解釈僕もいつか「普通の人」になれるんじゃないかと思っていました。
大丈夫だと言いながら、適度に生きたり適度に働いたりしていても、辛く感じることもあるんです。
歌詞中に出てくる「ホントの人間」が『周りの人と同じような普通の人』と考えると、主人公は普通の人になりたいんだということが伺えます。
自分に大丈夫と言い聞かせて、適当に生きたり適当に働いたりしながら生活していると、涙が出るくらい辛く感じることもあるということが「たまに涙流しながら」から感じ取ることができるのではないでしょうか。
手に入れた幸せは忘れるわ 自分のことばかり棚にあげるわ
怒らせ、苛つかせ、悲しませ 僕は一体誰ですか?
どうせこんなことになるのなら はじめから僕の姿形を
人間とは遥かほど遠いものに してくれりゃよかったのに
解釈幸せだったことは忘れるし、自分のことばかり棚に上げたり、周りの人に対して怒らせるようなことをしたり、悲しい気持ちにさせたり、イラつかせたりと、本当はこんなことしたくないのに僕は何をしているんだろう。
どうせ僕の周りからみんな離れていくんだったら見た目もみんなと違う別の何かにしてくれればよかったのに。
楽しくて幸せだった思い出を忘れたり、自分のことばかり考えて周りの悪口ばかり言ってしまう主人公は、本当はそんなことしたくないのではないでしょうか。
『僕は一体誰ですか?』の歌詞からそう読み取れます。
そういったことを繰り返すうちに、主人公の周りから人が離れていきますが、どうせ離れていくんだったらはじめから寄ってこないように近寄りがたい姿で生まれてきたかったという主人公の気持ちが表現されているように感じます。
誰かのために生きてみたいな 生まれた意味を遺してみたいな
この期に及んでまだ人間みたいなことをぬかしているのです
人間として初歩中の初歩を 何一つとしてできないままに
よくもまぁそんな気になれたもんだ 怒るのもごもっともです
解釈誰かに必要とされるように生きてみたいし、自分の生まれた意味を明確にしたいなんて誰もが思うようなことを言ってしまいます。
「人の気持ちを理解する」こともできない僕に対して、よくそんなこと言えるなと怒るのも無理はないです。
主人公は「なぜ自分が生まれてきたのか」わからないまま生きているのではないでしょうか。
また、周りの人は意味を持って生まれてきていると感じ、自分もそうありたいと思っています。
歌詞中の「人間としての初歩中の初歩」を私は「人の気持ちを理解する」というように解釈をしました。
相手の気持ちを考えて理解する(空気を読む)ことを求められる日本社会で主人公はたくさんの人とぶつかってきたのではないかと感じます。
僕も人間でいいんですか? ねぇ誰か答えてよ
見よう見まねで生きてる 僕を許してくれますか
解釈僕は普通の人ですか?誰か教えてください。
みんなの真似をして生きる僕はこれでいいんですか。
主人公が思う『普通の人』というものがなんなのかがわからなくなってしまってるように感じます。
周りに合わせて生きることがいいと思って生きていたのにそれがわからなくなっているのではないでしょうか。
僕は人間じゃないんです ほんとにごめんなさい
そっくりにできてるもんで バッタもんのわりにですが
何度も諦めたつもりでも 人間でありたいのです
解釈僕は普通の人じゃないんです。
だから諦めたつもりでも、やっぱり普通じゃないのに普通の人になりたいのです。
主人公は普通の人にはなれないと思っていたのではないでしょうか。
だからいつも普通の人になることは諦めて、「普通の人の風」に周りに合わすことをしてきました。
ただ、それを毎回失敗して人が離れていってしまったけれども、それでもやっぱり普通の人として周りと同じように生きていきたいと感じていることが解釈できます。
『普通』とはなんなのか正解は無い中での主人公の葛藤を表現した歌詞だったのではないでしょうか。