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【カンザキイオリ/命に嫌われている】の歌詞の意味を徹底解釈 | 生きることと命の関係性

編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19

目次
命に嫌われているという曲名の意味を考察
命に嫌われているの歌詞の意味を徹底解釈
1番
2番

命に嫌われているという曲名の意味を考察


命に嫌われる。とは、果たしてどのような意味なのでしょうか。
「命」とは、人生・寿命・生命・生き物と大まかに“生きること”について広く幅のある意味を持ちます。

ではその命に「嫌われる」ということは、どのようなことなのか。

命を“生きること”と解釈した場合に「嫌われる」をつなぎ合わせてみると、『生きることに嫌われる』となります。
これは暗に『死』を意味しているように思えます。
しかし、曲全体の流れをこの解釈で考えた場合、決して暗いものではありません。

少年が生きることに真剣に向き合い、その過程での葛藤や、自分なりの答えを見い出し、幸せになるために覚悟を決めて『生きていくんだ』という流れになっています。

「命=生きること」をテーマにした非常に前向きな曲として解釈することができます。

命に嫌われているの歌詞の意味を徹底解釈

1番

「死にたいなんて言うなよ。」
「諦めないで生きろよ。」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。
実際自分は死んでもよくて周りが死んだら悲しくて
「それが嫌だから」っていうエゴなんです。
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈日々流れてくる人の命に関する安っぽい言葉を並べた流行の曲。
そんな綺麗ごとばかり歌ったものが正しいなんて馬鹿げている。
自分が死ぬのはよくて、周りが死んだら悲しいなんて、
ただ自分が孤独になるのを恐れているだけのエゴなんだ。

少年は流行の歌にのせた人間の生死感に対する思いを「エゴ」であると言い切っています。

思春期特有の綺麗ごとを嫌う思いと共に、少年自身の『大切な人を失い孤独になりたくない』という思いが隠されています。

 

他人が生きてもどうでもよくて
誰かを嫌うこともファッションで
それでも「平和に生きよう」
なんて素敵なことでしょう。
画面の先では誰かが死んで
それを嘆いて誰かが歌って
それに感化された少年が
ナイフを持って走った。
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈本当は他人が生きていても自分には関係のないことで、
誰かを嫌うこと自体深い意味はなく単なるファッション感覚だ。
それでも口先だけは「平和に生きよう」なんて言うのだから、
本当に滑稽だと思う。
テレビの向こうでは戦争や事件により誰かが亡くなり、
それを悲しみ伝え広め、その悲痛な気持ちに共感した関係のない人間がまた人を殺める。
こんなことが世界では繰り返されている。

実際は自分に関係のない他人が生きようが死のうがどうでもいいことで、他人を嫌う行為自体何の意味もなく、ただ自分を正当化し周囲から注目される行為にしか過ぎないと考えています。

それでも世間は口先だけでも「平和」を望み、このことに少年は大人たちの”滑稽さ”を強く感じています。

そのことは日々の悲惨なニュースでも垣間見ることができ、犠牲者を憐れむと見せかけて、ただ自分の正義感を正当化し自らが復讐者にでもなったかのように制裁を下します。この一連の循環は世界中どこでも繰り返され、そんな世界に少年自身辟易としているのが伺えます。

 

僕らは命に嫌われている。
価値観もエゴも押し付けていつも誰かを殺したい歌を
簡単に電波で流した。
僕らは命に嫌われている。
軽々しく死にたいだとか
軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている。
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈自分を正当化させて殺戮と制裁を繰り返すことを助長する言葉をなんの躊躇もなく公共に流しているなんて、人間は死ぬことを自ら望んでいるように思う。

この曲のサビの部分となり、この先何度も出てくるのが「僕らは命に嫌われている。」というセリフです。

この曲タイトルにもなっている部分ですね。

自分たちのエゴのための行為が結果”命に嫌われる”というのは、暗に「自ら死ぬことを望んでいる」とも考えることができます。


2番

お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する
生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をする。
寂しいなんて言葉でこの傷が表せていいものか
そんな意地ばかり抱え今日も一人ベッドに眠る
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈働く意味も見い出せず、だからと言ってお金を払ってまで手に入れたい物ややりたいことも思いつかない。
こんな毎日を送っているなかで「生きる意味」すらわからなくなり、そんな毎日が時間の無駄だということも自分では自覚している。
深い孤独は「寂しい」なんて陳腐な言葉ではもはや片づけられない。そんな意地を張りさらに孤独へと自らを追い込んでしまう。

生きることに意味を見いだせず、惰性で日々の暮らしを送る少年ですが、こんな毎日が無駄であることもしっかり自覚しています。すでに周りは働き賃金を得て、自身の幸福のために使用しているのでしょう。少年はそんな周りについていくことができず、取り残され、ひどい孤独を感じています。

誰にも打ち明けられず、だからと言って自分を温かく包んでくれる人間もいるはずなく、孤独と戦いながら日々深い闇へ落ちていきます。

 

少年だった僕たちはいつか生年へと変わっていく。
年老いていつか枯葉のように誰にも知られず朽ちていく。
不死身の体を手に入れて、一生死なずに生きていく。
そんなSFを妄想してる
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈人は皆大人になり、時が来れば死んでしまう。
そんなありふれた死ではなく、不老不死の体を手に入れて、
一生この世界で生きていくんだ。
そんなありもしない妄想をする日々を送る。

自分は大人たちの行うことがエゴだと気づいている。周りは誰も自分と交わりあえない。

自分は特別なんだと思いたい少年が自分自身を「不老不死」の体を手に入れ、神にでもなったかのような妄想をするようになります。

思春期である少年が抱えていた悩みや葛藤を青年期へ移行してもまだなお持ち続けてしまっており、自分自身に嫌気がさしている状況だということが伺えます。自分の力では自身の心の主軸となってしまっているこの考えを払拭出来ずにいる情景が浮かんできますね。


自分が死んでもどうでもよくて
それでも周りに生きてほしくて
矛盾を抱えて生きてくなんて怒られてしまう。
「正しいものは正しくいなさい。」
「死にたくないなら生きていなさい。」
悲しくなるならそれでもいいなら
ずっと一人で笑えよ。
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈自分は死んでもいいけど、周りの人には生きていてほしい。
この矛盾を言うと世間からは怒られてしまう。
こんな正当化された言葉で固められた世界で生きていかなきゃいけない自分を笑ってしまう。

青年の本音は、自分はどうなってもいいけど周りの人には幸せでいてほしいということかと思います。実は誰よりもこころの優しい青年であることがわかります。

 

僕らの命は嫌われている。
幸福の意味すらわからず、産まれた環境ばかり憎んで
簡単に過去ばかり呪う。
僕らは命に嫌われている。
さよならばかりが好きすぎて本当の別れなど知らない僕らは命に嫌われている。
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈幸せをかみしめることなく、幸せな日々に感謝することなく自分の不幸ばかり見つける。自分の生まれた環境や過去までに難癖をつけ、幸せを拒否し続ける。いらないものはすぐに切り捨て、人の命を失うことの重さを知ろうとしない。

どうして人は日々のなかにたくさんある幸せを見つけようとせず、貪欲に幸福を探し求めるのか。

自分の満足のいく幸せが感じられないとき、自分の生まれた環境や過去に罪をなすりつける大人たちに疑問に投げかけます。また、他人のことは簡単に攻撃できるのに、いざその人物が傷ついたり亡くなったりしたときのことを人々は想像しようとしません。

SNSなどが普及した現代では、顔を見ることなくやみくもに相手を攻撃できます。「さよならばかりが好きすぎて本当の別れなど知らない」この一文は少しドキッとする表現ですね。


幸福も別れも愛情も友情も
滑稽な夢の戯れで全部カネで買える代物。
明日、死んでしまうかもしれない。
すべて無駄になるかもしれない。
朝も夜も春も秋も
変わらず誰かがどこかで死ぬ。
夢も明日も何もいらない。
君が生きていたならそれでいい。
そうだ。本当はそういうことが歌いたい。
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈幸せ、別れ、愛情、友情、すべては所詮お金で買えてしまう。
そんなものはもし明日死んでしまった場合、無駄になる。
この世界ではいつもどこかで人が死んでいる。
どうせ死んでしまうなら夢や希望、そして明日すら必要ない。
自分の愛するあなたさえ生きていれば、もうそれだけで十分だ。
そうだ、今までの自分の気持ちにやっと答えが出せた。
本当はあなたさえいれば、自分はそれだけでよかったんだ。

どんな感情や出会いや別れも、すべてはお金で買えてしまう。そんなものは例え明日自分がこの世界からいなくなったら、もう必要のない無駄なものばかりです。この世界では場所や時間、季節にかかわらず、いつもどこかで人が死んでいる。

死は決して遠いものではない。誰もが経験するものだと考えます。なので、どうせ死んでしまうなら夢や希望、ましてや明日だって必要ないと言い切ります。

ここまで青年は世の中を非常に無意味なもののように思っていました。しかし、突き詰めていくと一つの真実にたどり着きます。ここら辺で曲自体も”ノイズ”が走ることによって歌詞の内容に変化が見られます。

青年はどんな無情な世界の中でも「君が生きていたならそれでいい」との結論に行き当たります。青年自身やっとこのことに気づけたという感じが見て取れます。本当はそういうことが言いたかったんだ、と気づきます。

 

命に嫌われている。
結局いつかは死んでいく。
君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちてく。
それでも僕らは必死に生きて
命を必死に抱えて生きて
殺してあがいて笑って抱えて
生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。
カンザキイオリ -命に嫌われている

解釈いつかは自分もあなたも死んで何もなくなってしまう。
それでも僕らはこの世界で必死に生きて、
時には傷つけ合いながらも、それでも幸せを感じ合いながら必死に生きていくんだ。
生き抜いて、生き抜いて、強く生きていくんだ。

自分の大切に思える存在に気づいてからはの青年は、自身の生きる意味について見い出します。

自分たちがいつか死ぬその日まで、とにかく必死に、幸せだと思えるように生きていくんだという決意や覚悟が伺えます。また、この曲全体を通して初めて青年から”笑って”という言葉が出てきました。

青年が大切に思う人とこの先の人生を少しでも幸せを感じて生きていけるよう祈るような気持ちと、自分でその幸福を掴み取れるよう必死に努力していこうという思いが歌われています。


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