【みゆな/僕と君のララバイ】の歌詞の意味を徹底解釈 | 僕の夢を見続けるための子守唄
編集: ひいらぎ最終更新: 2020/9/19
僕と君のララバイってどんな曲?
TVアニメ「FAIRY TAILファイナルシリーズ」第3クールのエンディングテーマにもなっている「僕と君のララバイ」。
夢を見続けるために歌うこの曲の中には、夢から覚めてしまう瞬間を表すかのように、音がすっと消える瞬間がいたるところにあります。
それでも夢を見続けようとする強い想いと、切ない気持ちが伝わってきます。
僕と君のララバイという曲名の意味を考察
「ララバイ」とは子守唄。子守唄ということは、眠りにつくための歌ということ。眠りにつけば、夢を見ることができます。
歌詞を見ていくと分かりますが、この曲の主人公は、夢を叶えたいという強い想いがあります。
眠っているときに見る「夢」と、叶えたい「夢」という2つの意味を、限りなく近い意味で捉えた歌詞になっています。「叶えたいじゃないか」と強く願い、「僕はどこへも行かないよ」と言いながら眠り、夢を見続けます。
「僕と君」の部分についてですが、まず「僕」というのは主人公のことですね。
そして「君」というのは、僕が叶えた夢を見せたい相手である「君」、つまり曲を聞いてくれる人たち、ということでしょう。
ですが、歌詞を見ていくと、それとは別に、自分の夢のことも「君」と呼んでいるような気もします。「僕の夢を見続けるための子守唄」そんな意味が込められているのではないかと思います。
僕と君のララバイの歌詞の意味を徹底解釈
1番
あの日描いてた夢から
覚めてしまいそうな夜明けだ
もう一度輝く未来が 見たいでしょう
信じたその眼で
現実を見すぎてしまって、夢を諦めそうになる。
でもやっぱり、まだ見ていたい。
まだやれるって信じていたい。
「夢から覚めてしまいそうな夜明け」ってどんな夜明けでしょうか?いい夢を見ていたのに、それがかき消されるようにうるさい音で起こされる感じでしょうか。
現実に強引に引き戻される瞬間ですよね。眠っている時に見る夢を、自分が叶えたい夢と重ね合わせている歌詞です。
叶えたい夢を見れなくなるほど現実を突きつけられ、諦めそうになっているという状況なのかもしれません。
それでも「もう一度輝く未来が 見たい」。まだやれると信じる、「その眼」で夢を見続けたいということですね。
揺れる光 途絶えそうになった
物語は 灯してゆこう
ひとつずつ
やり続けてきたことも、挫折しそうになった。
でもそれも一つの力になる。
頑張って来たことも、何かがきっかけでプツンと途絶えそうになる。この部分は、挫折してしまうことを歌っているのではないでしょうか。
「揺れる光」は自分のやる気。それが「途絶えそうに」なる。そんな風に諦めそうになる事も、一つの通り道として糧にしていけばいい、そう言っているような気がします。
消えそうに(諦めそうに)なったら、また火を「灯してゆこう」。何度でも立ち上がるという強さが感じられます。
もう 行かないよ どこへも
君がここにいる限り
凍えそうな 夜の中に
想いを込めて 明日を願う
もう逃げる事はない。
この夢が自分の中にある限り。
どんなに辛くても、そこに持つべき想いを持って、叶う日が来ることを信じる。
この曲の「君」はそれぞれ解釈があると思いますが、ここでは主人公が叶えたい「夢」だと解釈します。
その夢に対して、「君(夢)がここ(自分の中)にいる限り」「もう行かないよ、どこへも」。つまり、夢から逃げない、そう言っているのではないかと思います。
続いて「凍えそうな〜」の部分。苦しい状況にいると、人はどうしても見失ってしまうものがあると思います。
目的や目標。本当は何がしたいのか。それを見失わずにいるということを解釈の中で「持つべき想い」と表現しました。
「凍えそうな」どんな辛いことがあっても、「想い」をしっかり持つ。そうすれば、信じて「明日を願う」ことが出来るのでしょう。
2番
悲しみで溺れそうなら
喜びで船を作ろう
憂えて今日が終わるなら
目を閉じて 明日、また開けばいい
悲しいことが起きて立ち直れそうにないなら、嬉しかったことを思い出して乗り越えていこう。
一日の終わりに落ち込んだままなら、もう眠ってしまおう。
目が覚めた時には、勝手に元気になっている。
悲しい事も、憂う日がある事も全部受け入れながら、前に進んでいく。ここでも主人公の強さが見えます。
悲しい事は、夢に立ち向かっていくことの喜びで埋めることが出来る。憂鬱な夜は眠ってしまって、さっさと明日に行けばいい。現実逃避みたいなネガティブな行動ではなく、それを受け入れる事で、自分なりの乗り越え方を身につけているという事だと思います。
1日の終わりに憂鬱になるという事は、その日をしっかり生きたという事。だからこそ、「休む」という選択する。明日になればまた、充電されているのです。
どこに居ても 夢の続きだって
気付けるように 歌い続けよう
この歌を
自分がやっている事全部が、夢につながっていくと信じる。
忘れそうになっても、思い出せるように歌い続ける。
華やかに見える夢への道のりは、華やかではありません。とても地味なことがいっぱいあるでしょう。
そんな時も、「夢の続き」だと言ってモチベーションを保ち続ける事はとても大事だと思います。
忘れそうになる時もあるでしょう。でもこの歌を歌っていればいつでも、夢への気持ちを思い出すことが出来るんですね。
戻らないよ 昨日には
昨日の僕らに 悪いだろう?
終わりより 始まりに
想いを込めて
過ぎたことに未練を残したり、悔やんだりするのは、昨日を生きた僕たちに申し訳ないんじゃないか。
昨日のことを考えるよりも、今できることに集中しよう。
「戻らないよ」という歌詞には、「戻れない」という意味と、「戻ってはいけない」という二つの意味があるような気がします。
昨日のことに後悔しても「戻れない」し、考えても時間がもったいないのだから、「戻らない」。
それよりも「今」という「始まり」の瞬間が大事で、そこに「想いを込める」つまり、集中していけばいいということだと思います。
君に歌う ララバイ
僕らの夢が覚めないように
叶えたいじゃないか
泣いて笑って乗り越えて
世界にひとつだけの 僕らの夢を
ずっと夢を見続けられるように、子守唄を歌い続ける。
いろんなことを乗り越えるからこそ、僕の夢は僕にしか叶えられない。
夢から覚めてしまったら、当たり前ですが夢を見ることができません。夢を見ることができなくなれば、叶えることもできません。
だから夢から覚めてはいけない。夢を見続けることで、叶えたいという力が湧くのです。そのために、子守唄を歌い続けるということですね。
そして「泣いて笑って乗り越えて」とあるように、辛いことも楽しいことも、世界に一人しかいない自分が乗り越えるからこそ、「世界にひとつだけの夢」になるということではないでしょうか。
3番
あの日描いてた夢なら
変わらない場所にあるんだ
もう 行かないよ どこへも
僕はここにいるから
この夢は、初めて見た時から変わってない。
その夢から離れる事はしない。
「夢は逃げない、逃げるのはいつも自分」と、どこかで聞いたことのある言葉を思い出しました。
主人公の夢はずっと「変わらない場所にある」。「僕はここにいるから」と言って、自分は逃げないということを歌っています。
自分の夢に語りかけるような言葉は、自分自身への決意を表していると思います。
そう 行けるだろう どこでも
僕らが夢を見る限り
凍えそうな 夜だとしても
眠れるように
僕と夢が一緒なら、どんな場所も行けるはず。
どんなに辛く悲しい夜も、夢を見続けられるから。
「どこにも行かないよ」と言っていた主人公は、「どこでも行けるだろう」と言っています。
それは「夢を見る限り」、つまり、夢と一緒なら、どこへでも行けるはずだということです。
夢が見られるなら眠れる。どんなに辛い日も、夢と一緒なら大丈夫だということでしょう。
ずっと ラララ ララバイ
僕と君の ララバイ
覚めないように
覚めないように
いつまでもこの子守唄を歌う。
夢をずっと見続けられるように。
とにかく夢から覚めないように、覚めないように歌う。夢を叶えたいという主人公の切なる願いのようです。
叶えるだけじゃなく、夢を見続けることこそが幸せなんだ、そう言っているような気もしますね。
まとめ
解釈の途中、「モチベーション」だとか「集中」だとか、少し暑苦しくなってしまったような気がします。
暑苦しくないのが彼女の歌詞のいいところなのに、とは思ったのですが、これも一つの解釈だということで見ていただければなと思います。