【YOASOBI / たぶん】の歌詞の意味を徹底解釈 |短編小説&オムニバス映画『たぶん』に込められた歌詞の意味を徹底解釈!
編集: ひいらぎ最終更新: 2023/5/3
たぶんってどんな映画?
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— 映画『たぶん』🎥公式アカウント (@tabun_movie) October 28, 2022
映画『たぶん』は、YOASOBI原作小説初の映像化された作品です。
原作は「夜遊びコンテストvol. 1」で⼤賞に輝いた「たぶん」(しなの・著)。
オムニバス形式の映画であり、大学生カップルで同棲をしていたが気持ちのズレを感じ、別れを選んだササノとカノン、夏の大会が自粛で中止となってしまった高校サッカー部員・川野とマネージャー・江口、そして社会人で恋人同士だがお互いの気持ちに応えられなくなっているクロとナリ。
彼らはいったいどんな選択をしていくのか…。
3組の男女の”最も切ない別れ”と”新しい一歩の物語”描かれています。
たぶんという曲名の意味を考察
曲名「たぶん」は歌詞中に何度か出てきており、不確かさや予測不可能な出来事が起こることが示唆されています。
これは、恋愛や人生の中で何が起こるか分からないという不安や不確かさを表現したものであると考えられます。
たぶんという歌詞の意味を徹底解釈
去り逝く記憶

涙流すことすら無いまま
過ごした日々の痕一つも残さずに
さよならだ
たぶん -YOASOBI
深く感情を抱かないまま、過去の日々を振り返ることなくさよならを告げようと主人公は考えているようです。
何も残らないように過去を手放そうとしているのでしょう。
悲しい、寂しいという感情はあっても泣くことができない、そんな状態なのかもしれません。
たぶん、誰も悪くない

一人で迎えた朝に
鳴り響く誰かの音
二人で過ごした部屋で
目を閉じたまま考えてた
悪いのは誰だ
分かんないよ
誰のせいでもない
たぶん
たぶん -YOASOBI
この歌詞は、誰かと過ごした時間が終わって一人になってしまったときに感じる、不安や悲しみを表現しているようです。
”一人で迎えた朝に鳴り響く誰かの音”というフレーズは、思い出したくはない、でも止められない心の中で響く音であり、過去の出来事や、一人になったことで生じた孤独感を象徴しているのでしょう。
どうしてこうなったのだろう…と冷静に考えてみてもその理由はたぶん見つからない。
どっちが悪かったのかなんて、誰だってわからないし別れたのは誰のせいでもなかったんだ、と考えたのかもしれません。
誰かを責めるのではなく、ただただ受け止めることの大切さが歌われているようにも感じられます。
別れと出会いは繰り返す

僕らは何回だってきっと
そう何年だってきっと
さよならと共に終わるだけなんだ
仕方がないよきっと
「おかえり」
思わず零れた言葉は
違うな
たぶん -YOASOBI
主人公は恋人や友人との別れを何度も経験してきたのでしょう。
きっと何年が過ぎても、最後には別れがやってくることを受け入れるしかないと伝えているようです。
出会いがあって別れがあり、別れがあって出会いがある、という繰り返しの中、人々は暮らしているのだ、と主人公は考えたのかもしれません。
主人公は大好きな人と別れたことに対して”おかえり”と呟きますが、これは自分に対して呟いたのでしょう。
ですが”おかえり”という言葉はなんだか違う気がする、と感じたようです。
時間が経っても消えない

一人で迎えた朝に
ふと想う誰かのこと
二人で過ごした日々の
当たり前がまだ残っている
悪いのは君だ
そうだっけ
悪いのは僕だ
たぶん
たぶん -YOASOBI
1人で朝を迎えることに慣れてきたころ、ふと大切な人のことを思い出したのでしょう。
2人で過ごした日々のことを思わず振り返ってしまい、当たり前にしていた日々が、まだ自分の中に残っていることを痛感したようです。
時間がたっても消えることがない、大切な人への想い。
何が理由で別れたのかがわからず、こんな風になったのは君が悪いんだっけ?
それとも自分が悪いんだっけ?と考えているのでしょう。
きっとたぶん、自分が悪かったんだ、と自分自身を納得させているようでもあります。
楽しかった過去

これも大衆的恋愛でしょ
それは最終的な答えだよ
僕らだんだんとズレていったの
それもただよくある聴き慣れたストーリーだ
あんなに輝いていた日々にすら
埃は積もっていくんだ
たぶん -YOASOBI
主人公と大好きな君は少しずつ、お互いにわだかまりが生じ、距離が生まれてしまったのでしょう。
別れる時の理由は、生活のリズムが合わずすれ違いの日が多くなった、価値観が違う…などどの人もほぼ一緒だと考えていたようです。
そして主人公たちもまた、一般的によくある理由で別れてしまったのかもしれません。
今となっては、楽しい日々も遠い昔の出来事になってしまい、埃が降り積もるように、あの日々も過去のものになってしまったと感じているようです。
零れ落ちた言葉

僕らは何回だってきっと
そう何年だってきっと
さよならに続く道を歩くんだ
仕方がないよきっと
「おかえり」
いつもの様に
零れ落ちた
たぶん -YOASOBI
このフレーズでは人は何回でも、何年でも、さよならに続く道を歩んでいると伝えているようです。
それは仕方がないことだと主人公もわかっていた様子が伺えます。
ですが頭でわかっていても、心がついていかない状態だったのでしょう。
いつも大切な人に言っていたように「おかえり」という言葉が零れ落ちてしまったようです。
戻れない日々

分かり合えないことなんてさ
幾らでもあるんだきっと
全てを許し合えるわけじゃないから
ただ、優しさの日々を
辛い日々と感じてしまったのなら
戻れないから
たぶん -YOASOBI
この歌詞は、人生において分かり合えないことがたくさんあることを伝えているようです。
生きていると、誰しもが自分と違う人と出会い、様々な人生観や価値観が存在するため、どうしても分かり合えないことが起きてしてしまうものだ、と主人公は考えたのでしょう。
相手の行動や言動に対して全てを許し合えるわけではないが、それでも優しさを大切にしていこうという願いが表現されているようです。
もし相手を思いやる”優しさの日々”を送るのが辛いと感じてしまったのなら、もうあの頃には戻れないと考えている様子が伺えます。
何度も何度も

僕らは何回だってきっと
僕らは何回だってきっと
そう何年だってきっと
さよならと共に終わるだけなんだ
仕方がないよきっと
「おかえり」
思わず零れた言葉は
違うな
たぶん -YOASOBI
人は何度も別れを経験します。このフレーズは、何度もの別れを経験しまた別れを迎えることがあることを伝えているようです。
自分たちは何度でも、何年になっても同じことを繰り返すだろう、と主人公は考えているのでしょう。
さよならという言葉と共に別れるだけであり、それはどうすることもできない「仕方がないこと」だと考えているようでもあります。
一歩進む

それでも何回だってきっと
そう何年だってきっと
始まりに戻ることが出来たなら
なんて、思ってしまうよ
「おかえり」
届かず零れた言葉に
笑った
少し冷えた朝だ
たぶん -YOASOBI
この歌詞は、過去に愛し合った人と再会したい気持ちを綴っているようです。
しかし、二人はすでに別の道に進んでおり、もう元には戻れないのでしょう。
主人公もそのことをわかっていつつも、始まりに戻れたなら、と考えているようです。
「ただいま」「おかえり」という日常会話はできなくなってしまったけれど、思わず「おかえり」と呟いてしまった自分に対して、どうしようもないな、と感じたのかもしれません。
”少し冷えた朝”という部分からは、それでも一歩歩み出そうとしている主人公の様子が伺えます。
まとめ
今回はYOASOBIの「たぶん」の歌詞の意味を徹底解釈しました。
「たぶん」は、過去を振り返って、もう一度始まりに戻れたら、という願いを綴っているようです。
歌詞にはその想いが込められており、”届かず零れた言葉に笑った”というフレーズには、あきらめたような気持ちや、悲しみに似た感情も含まれている気がします。
出会いと別れは何度も繰り返してしまうけれど、別れたことをいつまでも考えていても仕方ない。新たなスタートを切りたいという気持ちも表現されている気がしました。
歌詞を聞いて、深く共感する人も多いのではないでしょうか。
これからもmusic.branchwithではYOASOBIを追って行くのでぜひチェックしてみてください!