【優里 / メリーゴーランド】の歌詞の意味を徹底解釈 |映画『かがみの孤城』主題歌に綴られた、大切な人を愛おしく思う歌詞を紐解く!
執筆・監修: 抹茶編集: 天野結衣最終更新: 2023/7/4
映画『かがみの孤城』ってどんなアニメ?
映画『かがみの孤城』は学校での居場所をなくしてしまった中学1年生の女の子・こころの物語です。
こころはもともと引っ込み思案でおとなしい性格。
同級生から受けた仕打ちがきっかけとなり、不登校になりフリースクールにも行けず、家に引きこもってしまいます。
ある日、こころの部屋にある鏡が光り、吸込まれるように中に入ると、おとぎ話に出てくるようなお城や見ず知らずの中学生6人、そして「オオカミさま」と呼ばれる狼のお面をかぶった女の子が現れます。
「オオカミさま」はこころたちに「城に隠されたカギを見つけたらどんな願いも叶えてやる」と告げ、期限は約1年間と定めます。
7人は一緒に鍵を探しに出かけ、様々なことを経験するうちに次第に心を通わせていき、やがてお城が7人にとって特別な居場所へと変わっていきます。
ですがなかなか鍵は見つかりません。
果たして鍵は見つかるのか…。
7人の「人には言えない願い」とは…?
こころたちの鍵さがしの冒険が始まります。
メリーゴーランドという曲名の意味を考察
「メリーゴーランド」は遊園地に設置されている回転遊具であり、楽しさや喜びを表現するものでもあります。
歌詞の中には相手の心や変化に追いつくことができない感情が描かれており、追いかけてもなかなか追いつけないことから「メリーゴーランド」と名付けられたのではないでしょうか。
メリーゴーランドという歌詞の意味を徹底解釈
本当は会いたいのに
好きになるってどんなこと?
新しい自分に会うこと 好きと口にできなかったこと
貴方の幸せの中、私が居なかったこと
それを受け入れてしまえたこと
一人泣いてた バスタブの中
顔が痛くて 貴方に会いたくて
メリーゴーランド -優里
自分の気持ちについて考えているようです。
好きという気持ちは相手の幸せを願える新しい自分に会えることだと思ったのでしょう。
また、相手の幸せの中には自分は存在していないけれど、相手の幸せを優先し、自分の感情を抑えることができるのが好きになるということなのだと感じているようです。
本当は大好きな人に会いたいのに会えない寂しさ、切なさが描かれているのではないでしょうか。
なんだか寂しい
アイシテルをもう何度 私、口にしたのだろう
なのにどうして 今傍に誰も居ないの
アイシテルってもう何度 私、耳にしたのだろう
寂しさだけがこの胸に残っているのです
メリーゴーランド -優里
"なのにどうして 今傍に誰も居ないの"というフレーズは、アイシテルと口にしたのに、誰もそばにいないことを示唆しており、愛情や支えを求めているのにも関わらず、孤独を感じていることが伺えます。
アイシテルという言葉を口にしたし、何度も耳にしたけれど、自分の周りには誰もいないと感じ、寂しく、そして心が空虚になっているのでしょう。
言葉だけでは寂しさを埋めることができないのかもしれません。
このフレーズからは、現実のギャップ、孤独や寂しさといった複雑な感情が描かれているのではないでしょうか。
ひとりは嫌だな
好きになるってどんなこと?
貴方が一人で泣いてたら
傍に居ないといけないと思うこと
一人泣いた ベッドの中
声も顔もこころも愛せない
違う場所に生まれてたなら
違う私だったのかな
生まれ変われるのなら 独りじゃなくなるかな
メリーゴーランド -優里
主人公は再び人を好きになることについて考えたようです。
好きな人が悲しい時や困難な時に、傍にいることが自然で必要なことだと思ったのでしょう。
ですが”一人泣いた ベッドの中 声も顔もこころも愛せない”という部分からは、主人公自身が孤独や悲しみの中で自分自身を愛することが難しい状況になっており、自分の声や顔、心に対しても愛情を持てずにいるようです。
相手のことを思っていても、誰かが自分を同じように思ってくれているわけではないと痛切に感じており、もし生まれ変わることができるなら、一人ではなく誰かと一緒にいたいと強く願っている様子がうかがえます。
寂しい思いは変わらない
会いに行くってもう何度 私、口にしたのだろう
なのにどうして 今傍に誰も居ないの
会いに来てってもう何度 私、耳にしたのだろう
後悔だけがこの胸に残っているのです
メリーゴーランド -優里
”なのにどうして 今傍に誰も居ないの”という部分では、願望にもかかわらず、現在は周りに誰もいない状況を記しているようです。
主人公は寂しさや孤独を感じる状況にあり、相手の言葉に期待や願望を抱きながらも、その言葉が後悔や失望として心に残っているのでしょう。
会いに来てって言われたし、会いに行くって何度も口にしたけれど、結果誰もそばにおらず、孤独の中にいる様子がうかがえます
自分の本当の気持ち
もしもあの日 あの瞬間に
わがままを口にできたら
思い切り泣いてその胸に
また会える また会える また会える を言えたなら
メリーゴーランド -優里
”もしもあの日 あの瞬間に わがままを口にできたら”というフレーズは、過去の出来事に対して後悔の気持ちを抱いていることを示唆しているようです。
主人公はあの瞬間、会いたいとか傍にいて、など自分の感情をそのまま言えばよかった、と心の底から思ったのでしょう。
離れ離れになった相手と再会し、思いを伝えあうことができたのなら、と感じているようです。
すべの瞬間が愛おしい
どんなに追いかけても追いつかない
メリーゴーランド
愛するってほら こんなに苦しいのです
それすらも愛して生きていく そう思えるほど
貴方のことを こころから 想ってるのです
メリーゴーランド -優里
この部分では、人生や恋愛の中で追い求めるものがあるが、なかなか達成できないという感覚を描写しているようです。
”愛するってほら こんなに苦しいのです”という部分では、愛することは喜びや幸福をもたらす一方で、時には苦しみや困難を伴うこともあると考えている様子がうかがえ、それでも愛することを忘れたくないと思ったのではないでしょうか。
またどんなに辛い瞬間であてもその瞬間さえも愛おしく、相手に対して真摯に向き合っている様子がうかがえます。
追い求めるものに追いつけない現実や愛に伴う苦しみと向き合いながら、それでも心から相手を想い続ける姿を描いているのではないでしょうか。
まとめ
今回は優里の「メリーゴーランド」の歌詞の意味を徹底解釈しました。
「メリーゴーランド」は、深い愛と喪失、希望と絶望といった様々な感情が綴られているようです。
主人公は会いたいと思っていてもなかなか会うことができない相手に対して、寂しいと感じ、さらに寂しいと思う自分のそばにも誰もいないと感じ、寂しさと孤独を同時に味わっているのかもしれません。
ですが寂しいと思っていてもその寂しさを乗り越えることができるほど、相手を想っているようであり、愛すること自体が苦しみを伴うと感じながらも相手を心から思っている様子が伝わってきました。
歌詞を聞いて、深く共感する人も多いのではないでしょうか。
これからもmusic.branchwithでは優里を追って行くのでぜひチェックしてみてください!