【優里 / かごめ】の歌詞の意味を徹底考察!深層心理を映す鏡:「かごめ」の歌詞に隠された心の叫び
執筆・監修: 抹茶編集: 天野結衣最終更新: 2024/4/22
かごめという曲名の意味を考察
この歌詞において「かごめ」という曲名は、多層的な意味を持つと考えられます。まず、日本の伝統的な遊び「かごめかごめ」の歌から引用されていると思われます。この遊びでは、中央の子が目隠しをされ、「後ろの正面だあれ」と問われる場面があります。このフレーズは、誰が自分の背後にいるかを当てるというものですが、同時に「見えない真実」や「誰が本当の敵か、味方かわからない」という不安や疑心暗鬼を象徴しているとも取れます。
歌詞全体を通して、登場人物は深い怒りや悲しみ、孤独感を抱えており、自分の感情や周囲の人々との関係に対する不信感を露わにしています。この「かごめかごめ」のフレーズは、彼が感じている社会や人間関係の裏切り、見え隠れする真実の探求を象徴していると解釈できます。
また、歌詞中には「拳に刺さるこの鏡じゃ痛みも足りない」という表現があり、これは自己反省や自己認識の試みが痛みを伴うものの、それでも自分自身の本質や周囲の現実には触れきれていない状態を示唆しています。このように「かごめかごめ」は、自分自身や他者との関係の中での見えない真実や葛藤を探る試みを表していると言えるでしょう。
曲名「かごめ」は、単なる遊びの名前を超え、深い内省と社会に対する疑問を投げかけるメタファーとして機能していると考えられます。
かごめという歌詞の意味を徹底解釈
拳をまた握りしめた 怒りのまま恨んでやるのさ
そいつの胸ぐらを掴んで 力のまま殺してやるのさ
かごめ -優里
この歌詞は、強い怒りや復讐心を表現しているようです。具体的には、「拳をまた握りしめた」というフレーズから、何かに対する怒りが再燃している様子が伺えます。そして、その怒りは非常に強いもので、「怒りのまま恨んでやるのさ」という部分で、ただ怒るだけでなく、恨みを持続させていることが示されています。
また、「そいつの胸ぐらを掴んで 力のまま殺してやるのさ」という行は、その怒りが具体的な暴力行為に発展していることを示しています。ここでの「そいつ」とは、歌詞の話者が怒りを感じている相手を指し、非常に個人的で強い感情が投影されています。
全体として、この歌詞は内面的な感情の激しさを描いており、特に怒りや復讐の感情がどのように人間の行動に影響を及ぼすかを強調しているように感じられます。音楽としての表現を通じて、感情の高ぶりやその破壊的な側面がリアルに表現されていると言えるでしょう。
歪んだ顔がほらバラバラに 崩れ落ちあたりに飛び散る血
法を犯さない方法で 自分を殺す方法があるなら僕を今すぐ殺してみたい
かごめ -優里
この歌詞は、内面的な苦悩や自己否定感を表現しているように思えます。「歪んだ顔がほらバラバラに」というフレーズは、自己のアイデンティティが崩壊している様子を示しており、それが「崩れ落ちあたりに飛び散る血」というイメージでさらに強調されています。この血は、文字通りの物理的なものではなく、精神的な痛みや苦痛を象徴している可能性があります。
また、「法を犯さない方法で 自分を殺す方法があるなら僕を今すぐ殺してみたい」という部分は、法的な意味での自殺ではなく、どうにかしてこの苦痛から逃れたいという切実な願望を表しています。ここでの「自分を殺す方法」は、現実の自我や社会的な自分から逃れることを望む心の叫びとも取れます。このような表現は、深い精神的な危機や自己喪失感を感じている人物の内面を描いていると解釈できます。
全体的に、この歌詞は非常に暗く、苦悩が深い心情を描き出しています。リスナーには精神的な戦いや内面での葛藤に対する共感を呼び起こすかもしれません。
誰かが死んでもね イラつくくらいでした
乱れたダイヤに舌打ちして 溜息をついた
貴方が死んだこと 昨日聞かされました
拳に刺さるこの鏡じゃ痛みも足りない
かごめ かごめ
後ろの正面だあれ
かごめ -優里
この歌詞は、失った愛や人への複雑な感情を表現しています。最初の一節「誰かが死んでもね イラつくくらいでした」からは、登場人物が他人の死に対して感じる鈍感さや、自分の感情に対する違和感が伝わってきます。これは、感情が麻痺してしまっている状態を示唆している可能性があります。
次に「乱れたダイヤに舌打ちして 溜息をついた」というフレーズは、価値あるもの(ダイヤ)が乱れている状況に対して、不満を感じつつもその場で何もできずにいる心情を表しています。ここでも、登場人物の無力感や苛立ちが感じられます。
「貴方が死んだこと 昨日聞かされました」という部分では、突然の知らせによって登場人物の心情が変化します。これまで他人の死に無感動だったのが、身近な人の死に直面すると、その現実が重くのしかかることでしょう。
「拳に刺さるこの鏡じゃ痛みも足りない」という表現では、内面の苦痛が物理的な痛みとしても表れており、それでもその痛みが十分ではないと感じている深い悲しみや罪悪感が伺えます。
最後に繰り返される「かごめ かごめ 後ろの正面だあれ」は、日本の伝統的な遊び「かごめかごめ」の歌から引用されており、この遊びの中で誰かが中心にいる人を囲んで歌を歌い、最後に「後ろの正面だあれ」と問いかける部分です。このフレーズを用いることで、登場人物が感じている孤独感や、失った人に対する問いかけ、見えない真実を探求する心情が表現されています。
全体として、この歌詞は深い喪失感とそれに伴う内省的な葛藤を描いており、過去への未練と現実の受容の間での心の動きを敏感に捉えています。
血も涙も流れるのに 心のまま動けないのさ
壊れる事に慣れたから 思いのまま使われるのさ
かごめ -優里
この歌詞は、心の葛藤と自己犠牲について深く掘り下げているようです。最初の行、「血も涙も流れるのに 心のまま動けないのさ」は、感情的または物理的な痛みを経験しているにも関わらず、自分の本当の感情や願望に従うことができない状況を表しています。ここでの「心のまま動けない」という表現は、内面の声や真の感情が抑圧され、本来の自己を表現することができない状態を指していると解釈できます。
次の行、「壊れる事に慣れたから 思いのまま使われるのさ」は、繰り返し傷つけられることによって、自己を守ることを諦めた状態を示しています。この部分では「壊れる事に慣れた」という言葉が、過去の経験から心が麻痺してしまっていることを暗示しており、結果として他者によって自分の意志とは無関係に「使われる」状況に甘んじてしまっていることを表しています。これは、自己価値を見失い、他人の期待や要求に従うことでしか自己の存在を確認できないような状態を描いているのかもしれません。
全体として、この歌詞は自己喪失と外部による支配を感じている人物の内面を浮き彫りにしています。そのような状態にある人がどのように自我を取り戻すか、またはさらに迷い込むのか、曲の残りの部分でどのように展開するかが見どころとなるでしょう。
軋んだ身体が叫ぶ声に
耳も傾けずににべもなし
愛する人だけ守れりゃ良い
他人を蹴落とせどこれが正義など
なんと小さき人でしょうか
かごめ -優里
この歌詞は、現代社会における自己中心的な考え方と、それが引き起こす人間関係の断絶について深く掘り下げているようです。まず、「軋んだ身体が叫ぶ声に耳も傾けずににべもなし」というフレーズは、身体的、または精神的な苦痛を訴える声に対して、周囲が無関心である様子を表しています。この「にべもなし」という言葉は、「冷淡」という意味も含み、人々が他人の痛みに対して感じるべき共感や思いやりが欠如している状況を暗示しています。
次に、「愛する人だけ守れりゃ良い 他人を蹴落とせどこれが正義など」という部分は、自分と直接関係のある人々だけを守り、それ以外の人々は踏みにじっても構わないという冷酷な価値観を示しています。この考え方は、個人主義が極端に傾いた結果、社会全体の倫理観が歪んでいることを表している可能性があります。また、「これが正義など」という皮肉な表現は、そうした行動が本当の「正義」ではなく、自己正当化の産物であることを批判しています。
この歌詞は、自分の利益を最優先し他人を無視する行動が、どれほど人間を「小さく」してしまうかを訴えかけるものです。それは社会の連帯感や共感を欠くことで、結果的には自己の孤立を招くという警鐘を鳴らしているとも解釈できます。全体として、この歌詞は現代社会の個々人の価値観の問題を浮き彫りにし、それによって生じる人間関係の希薄化に警鐘を鳴らしていると言えるでしょう。
貴方が死んでもね 悲しむ以外なくて
非力を正当化するだけの脳みそが恨めしい
黄色い線の外で懺悔を繰り返した
綺麗なものを見かける度 黒く澱んでく
かごめ かごめ 後ろの正面だあれ
かごめ -優里
この歌詞には深い悲しみと内省が込められているようです。まず、「貴方が死んでもね 悲しむ以外なくて」という部分から、大切な人を失った悲痛な感情が表現されています。ここでの「悲しむ以外なくて」は、その死に対して他にできることが何もないという無力感を感じさせます。
次に、「非力を正当化するだけの脳みそが恨めしい」というフレーズは、自分自身の無力さや、それを受け入れざるを得ない自分の心情に対する怒りや憤りを示しています。その非力さが許せないという自己対話が感じられます。
「黄色い線の外で懺悔を繰り返した」という部分は、文字通りの意味では安全地帯を越えて危険を冒し、何かしらの過ちや罪を反省し続ける様子を表している可能性があります。黄色い線は通常、警告や境界を意味するため、それを超えることはルールや常識を破る行為を暗示しているかもしれません。
「綺麗なものを見かける度 黒く澱んでく」という行は、美しいものを見るたびに心が沈んでいく、つまり美しいものが逆に心の闇を強調してしまう様子を描いています。これは失った人との対比によるものか、または美しいもの自体がもたらす痛みの象徴かもしれません。
最後の「かごめ かごめ 後ろの正面だあれ」は、日本の伝統的な遊び歌から取られています。この遊びでは、中央の人が目を閉じている間に周囲の人が回り、突然止まって中央の人が誰が後ろにいるかを当てます。この歌詞では、この遊びを通じて、見えない真実や予期せぬ現実、または人間関係の不確かさを象徴している可能性があります。それは、突然の死や失うことの突然性、そしてそれに対する心の準備のできなさを表しているのかもしれません。
全体を通じて、この歌詞は失われた愛や人への深い感情、自己との葛藤、そして人生の不条理や突然の変化を表現していると考えられます。非常に情感豊かで考察を促す内容です。
幸せってどんな顔で俺の事を見てんの
幸せってどんな顔で俺の事を笑うの
生きるために必要な最小ってなんでしょう
君のために僕ができる何かってなんでしょう
愛を持って生きろって どの面で歌うの
信じられるものなんて 積み上げてないから
あれもこれも目に刺さって 心流れる
どうせいらない いらない
俺が生きてるこの世界じゃ見向きもされない
飛び込んだとしても誰も悲しまぬなら
俺は俺らしく生きてやろう 泥水の中で
高く高く飛べたらいいな
かごめ -優里
この歌詞は、自己探求と孤独、そして周囲との関係性について深く掘り下げているようです。歌詞全体を通して、主人公(歌い手)は自分自身と幸せの定義について問いかけています。また、自己価値や他者とのつながりに対する疑問を投げかけることで、人生の意味を模索している様子がうかがえます。
「幸せってどんな顔で俺の事を見てんの」「幸せってどんな顔で俺の事を笑うの」というフレーズは、幸せという抽象的な概念が、どのようにして個人に影響を与えるのか、または個人にどのように反映されるのかを問いかけています。ここでの「顔」という言葉は、幸せが具体的な形でどのように現れるのか、または主人公にどのように接するのかという点を象徴していると考えられます。
「生きるために必要な最小ってなんでしょう」「君のために僕ができる何かってなんでしょう」という部分では、生きる意味と他者への貢献についての自問自答が展開されています。これは、自己実現と他者との関係性のバランスを模索していることを示しています。
「愛を持って生きろって どの面で歌うの」「信じられるものなんて 積み上げてないから」という歌詞は、愛や信念といったポジティブな価値が現実の苦悩や挑戦とどう折り合いをつけるかという葛藤を表しています。ここでは、理想と現実のギャップが感じられる部分です。
最後のセクション、「どうせいらない いらない」「俺が生きてるこの世界じゃ見向きもされない」「飛び込んだとしても誰も悲しまぬなら」「俺は俺らしく生きてやろう 泥水の中で」「高く高く飛べたらいいな」は、社会からの孤立や見放された感情を表現しつつ、それでも自己のアイデンティティを保ちながら生きていく決意を示しています。特に「泥水の中で」という表現は、困難や抵抗に満ちた環境の中でも、自分らしく生きることの大切さを強調しています。
総じて、「かごめ」の歌詞は、自己価値の探求、孤独感、社会との摩擦、そして運命や困難を受け入れつつも自己実現を目指す複雑な感情が織り交ぜられています。
まとめ
今回は優里の「かごめ」の歌詞の意味を徹底解釈しました。
歌詞を聞いて、深く共感する人も多いのではないでしょうか。
これからもmusic.branchwithでは優里を追って行くのでぜひチェックしてみてください!